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苔の水

 我が家の庭にはほんのわずかですが、苔が生えているところがあります。いつの間にかある部分を占領していました。それほど増え続けている様子でなく、また苔が生えているのも悪くはないと思い、そのままにしてあります。普段、苔について考えることなどありませんでしたが、たまたま読んだ小説の中に、苔のこと、苔のそばを滴り落ちる水のことを詠んだ歌が二つほど紹介されていました。 岩間とぢ 氷は今朝は とけそめて 苔の下水 道もとむらん  西行 岩と岩との間を縫い閉じるように凍っていた氷が解け、それが苔の下に伝わり、さらに流れ出る道を求めているという。単純なようだが複雑な水路、複雑に折れ曲がる水の心を詠んでいる。と、この小説の中では解説しています。 山かげの岩間をつたふ苔水の かすかに 我はすみわたるかも  良寛 岩肌についた苔のあいだをわずかな水が滴り落ちてくるという。自分は苔水のように澄み渡っているわけでもないかもしれないし、苔水と自分とは無関係でありながら、それでも何らかの関係があるような気もするし、歌の中では共存している、といったような解説です。 先週参加した岩櫃城忍び登山では、岩にはいつくばっていた苔がたくさんありました。ちょうど雨上がりで、おそらく苔に沿って水が滴り落ちる光景がそこにはあったと想像されます。しかし先週はそんな感慨に耽る余裕は全くなく、滑って転ばないように、細心の注意を払いながら一歩一歩進んでいました。したがって、その時に岩の間を滴る苔水を見ることはできませんでした。この二つの歌を知っていれば、違った風景が見られたかもしれません。そして今思い返すと、間違いなく私が通ったコースの中に、その景色はあったと確信しています。 結局人は、見ているようで実は何も見ていない、ということを思い知らされます。しかしその自覚があれば、少しぐらい時間が経過した後でも、心の目で見直すことも可能なのかもしれません。

悲愴と岩櫃城忍び登山

先週末は群馬県の東毛地区、埼玉県深谷市、栃木県足利市などで大雨による被害が発生しました。群馬の東毛地区は自然災害が比較的少ないところです。そして私が生まれ育った場所でもあります。一部の道路は通行止めになったという話でしたが、18日土曜、太田市民会館で開催された群馬交響楽団の定期演奏会に行ってきました。私が通った道は普段と変わることがなかったようで、何の問題もなく到達することができました。演奏会は、言わずもがな、いつものように実に心地よい幸せな気持ちにさせてくれました。ピアニストの桑原志織さんがベートーヴェンの「悲愴」第2楽章を弾きました。席がたまたまよかったこともあり、ピアノの音色だけでなく演奏中の表情までも身近に伺うことができました。悲愴というタイトルですが、悲しみは人と共有することによって温かいものに変わるということなのでしょうか。こんな音楽に包まれているならば、他に何を望むことがあろうか。そんな心持ちになりました。これこそ音楽の魅力なのでしょう。 翌日の19日に日曜は、東吾妻町で開催された岩櫃城忍び登山に初参加しました。大会実行委員長の長谷川さんよりだいぶ前からお誘いを受けていたこともあり、また東吾妻町の齋藤町長も走るという噂を耳にしたため参加を決意しました。ホームページを見て相当険しいコースであることは知っていたのですが、予想をはるかに超える、私にとっては恐ろしいと言って過言でないコースでした。ランニングではなく完全に登山です。途中の区間では結構な距離にわたり両手を使いながら少しずつ岩を這い上がるところがあり、反対に雨で濡れた岩場を、一歩一歩足元を確かめながら、転倒しないように降りていくところもあり、登山をほとんどしたことのない私には、初めて経験する全く場違いのレースでした。十分に気を付けないと大怪我をしそうなところが多々あり、緊張しながら何とか完走しました。というより完走しなければ元の場所に戻れない、ということで完走せざるを得なかったというのが実情です。 この日は朝方こそ曇りでしたが、レースが始まる頃は太陽が顔を出し、炎天下の中でのレースとなりました。レース参加者には原町日赤の職員が数名いましたし、大会スタッフの中には東吾妻町の職員も多数いました。また走っている最中には知り合いに声をかけてもらったり、群馬県赤十字無線奉仕団の皆さんにお会いできたり(そのうち...

群馬の古墳

7月11日の土曜、先月に続いて群馬県立女子大学で行われた群馬学の勉強に行ってきました。今回のテーマは群馬の古墳です。私が想像していた内容は、群馬の古墳と畿内の古墳との関係やその歴史的背景、大和王朝と群馬との当時の結びつき、さらに直接関連はありませんが群馬県内で読まれた万葉集に収められている歌などの解説もあればいいなあなどと考えていました。残念ながら期待は全く裏切られました。(事前に内容を確認すればわかることでしたが) 日本の古墳は4世紀から7世紀にかけて築造された古代の王や豪族の墳墓です。2019年の群馬県教育委員会の調査では、現在群馬では13,000基以上の古墳が確認されているようです。驚きです。専門家に指摘してもらえなければ、私たちはほとんどの古墳を認識できないでしょう。 ところで今回の内容は、その数多くある古墳がどのような形で現代まで生き残ったのか、というものでした。長きにわたって、これだけの多くの古墳が存在し続けた鍵は何なのか。考えてみれば実に不思議なことです。それは古墳が単なる古代の遺跡ではなく、それぞれの地域の中で人間たちが、古墳を何らかの形で利用してきたということでした。古墳の再利用ということです。たとえば、古墳の跡地が神社や民俗芸能の拠点になったり、あるいは物置や貯蔵庫、災害時の避難場所として使われたり、そしてごく一部の人たちにとっては信仰の場になった、つまり古墳を利用して新たな意義を見出し続けた、ということのようです。 形あるものは、通常長い年月の中で消滅してしまうものです。残り続けるためには何らかの力が働く必要があります。奈良や京都の多くの建造物が現在も存在するのは(火災などで消滅後再建されたものを含め)、人の力が加わっているからです。古墳が今も生き残っているのは、人の力が関与しているのは間違いありませんがそれだけではありません。それを生活の中にうまく溶け合わせ、本来の目的とは異なった形で利用し続けたためです。また古墳の多くはその形態が単純なマウンド上の高まりで、風景の中に生き続けたということも非常に重要な理由のひとつです。 現代を生きる私たちは、古墳から一つの教訓が得られるかもしれません。どんなものであれ、またどんなことであれ、それが長い間存在するためには、過去に囚われることなく、その時の状況に応じて柔軟に変化し続けることが大切なのだ、というこ...

小児科診療について考える

7月4日の土曜、原町日赤フォーラムが 東吾妻町コンベンションホールで 開催されました。 今回のテーマは「吾妻の子供たちの未来のために」です。 今年の4月より 、 原町赤十字病院に小児科医師である西澤拓哉先生が赴任し ました 。 群馬県には10の医療圏がありますが、小児科を専門とする医師が不在なのは吾妻医療圏のみであったことから、数年前から吾妻地域 へ の小児科医師の派遣を 様々な場で 依頼して き ました。 そして 群馬県、群馬大学小児科学教室、群馬県医師会などのバックアップにより 、今回の決定に至ったということです。   フォーラム前半は 、 小児救急について 西澤先生が 分かりやすく、 そして 優しい口調でお話ししてくれました。子育て中の親御さんたちにとってはとても有意義だったと思います。考えてみると私は医師になって38年になりますが、小児科の先生の話をじっくり聞いたのは初めてでした。自分自身もとても新鮮で、大いに勉強になりました。後半は吾妻郡医師会長である布施正博先生の司会で、吾妻の小児診療の課題や 期待 、そして吾妻の医療全般について、パネルディスカッションが行われました。 パネリストは群馬県医務課長の木村様をはじめ、長野原診療所の金子先生、東吾妻町保健センター長の藤岡様、原町小学校教諭の小池様、小学校保護者代表の本間様、そして原町赤十字病院小児科外来看護師の丸橋様 の6名 です。 子供のどんな症状に注意すべきか、夜間休日の救急対応、発達障害や外国籍のお子さんへの対応、 教育と医療の連携、 ワクチン接種、そして診療の現場においてはお子さんだけでなく親への対応がいかに大事か、などについて議論がなされました。布施先生が非常に上手に進行してくださり、とても良い ディスカッション であったと思います。なおこのフォーラムについては、7月5日の上毛新聞で取り上げていただきました。   さて、改めて小児科診療について考えてみたいと思います。 小児科診療には、現場でお子さんの病気を診るだけでなく、 地域 社会 の 将来に関わる重要な役割があると考えています。吾妻の15歳未満のお子さんは3600名程度です。この数は他の医療圏に比べて決して多いわけではありません。しかし子供が少ないから小児科は必要ないという考えには、どうしても賛成できません。一人一人の子供の健...

啓蒙の光がすべての幻を祓う日まで

世の中には様々な決まりごとがあります。法と言い換えてもいいかもしれません。法律と言われる「憲法」や「刑法」、「民法」、組織の中での「定款」や「規定」、昔からの習慣が社会ルールとして定着した「慣習法」。古くは「十七条憲法」や「大宝律令」などもありますし、海外では「マグナ・カルタ」が存在しました。 人間は法を想像することによって(もちろんそれだけではありませんが)社会を築くことができました。世の中の多々ある組織も様々な規定があり、それに基づいてその組織は成り立ちます。 法と似た言葉に「理法」というものがあります。物事の筋道にかなった法則、ということです。分かったような、分からないような説明です。たとえば「自然の理法」と言えば、「自然の法則、原理、摂理」といった意味になります。私たちは社会の中では存在する規範に従って、そして生活するうえでは理法に従って生きています。 ところが人間というものは、常にそれらに対して従順であるわけではありません。ふとしたことでそれらの矛盾を実感することもあれば、それが正しいとは思いながらも反感してしまうこともあります。そこには実はたいした理由もないこともあります。というより、ほとんどはまったく理由もなくそれらの法や規範を破ることの方が多いかもしれません。そして原因がわからない出来事が起こると、いつの間にか超越的な存在を作り出したり、あるいは因果とは何の関連もない存在もしない意思を見出そうとします。つまり私たちは、自分でも意識することなく幻を作り出してしまいます。 それは良いことなのでしょうか。それとも悪いことなのでしょうか。答えは明瞭です。良いとか悪いとかという問題ではなく、人間は本来そういうものです。そしてその本性によって、音楽や絵画、文学などの芸術が生み出されてきたと言って過言ではないでしょう。 今回のタイトルは、私がつい先日読んだある作家の短編から借用したものです。(正確には、啓蒙の光が、の後に、「、」がついています。それは相当の意味があるのでしょうがあえて外しました)共感するところがありで今回のタイトルとしました。人間は啓蒙によって、教育によって、あるいは洗脳によって自分自身の価値観が変化することはあるでしょうが、その人の心の中に存在する幻(意識している場合もありますが、無意識の世界に存在していることもあるでしょう)を完全に消滅させるこ...

壷坂観音霊験記

6月20日の土曜、群馬県立女子大学で人形浄瑠璃の公演がありました。人形浄瑠璃については、いつか鑑賞したいと思いながらもその機会に恵まれませんでした。正確には、機会は作ればいくらでもあったのでしょうが積極的にその機会を得ようとしなかった、というべきなのでしょう。テレビで時々放映される文楽の公演を録画して見ることはありましたが、いくら画質が良くなったとしても画面の中の世界にはなかなか集中できないものです。ここ数年、群馬交響楽団の演奏を生で鑑賞する機会があります。自分の全神経を注ぎ込んでその世界に没頭すること、聴覚だけでなく視覚的にも、そして会場の雰囲気を体全体で触れることこそが、広い意味での芸能を鑑賞するということなのだと思います。 今回の公演は沼田市の沼須人形芝居保存会あけぼの座による、「壷坂観音霊験記 山の段」というものでした。この公演が素晴らしいものであったかどうか私には判断しかねますが、少なくとも私の心に響くものがありました。常々感じていることですが、人の真心のようなものはしゃべって通じるものではなく、音楽を通じて、絵画を通じて、詩を通じて、人形を通じて、あるいはちょっとしたしぐさを通じて、つまり他の物に託してこそ可能なのではないか、ということです。それらはとても抽象的なものであり、その解釈は決して一つではないということも多分大切なことです。 公演前に群馬県立女子大の先生が、「浄瑠璃王国・ぐんまの文化力」というテーマでレクチャーをしてくださいました。群馬県内には8か所で人形芝居が伝承されており、また残念ながら伝承は途絶えてしまったものの道具が保存されているところも17か所あるということです。さらに道具は残されていないもののその存在が記録されているところはなんと22か所あるということでした。群馬は浄瑠璃王国であったというのもうなずけます。 この先生は大変興味深いことをおっしゃっていました。人形芝居は平野部より山沿いや山間に多く伝承されているということです。これらはいわゆる「小さな地域」といっていい場所です。ところが日本は経済的な合理性や豊かさを求め「大きな地域」を作るために行政区の合併を繰り返しました。その結果「小さな地域」が大きく変わりました。残した方がよいもの、残すべきものが消えつつあります。私たちは大事なものを見失いつつあるのかもしれません。 その先生がおっ...

節目

1か月以上前になりますが、5月1日の金曜、横浜市立みなと赤十字病院 開院20周年記念祝賀会が横浜で開催され出席しました。6月13日土曜には、渋川医療センター設立10周年記念式典が高崎で開催され出席しました。 私たちは生活するうえで様々な節目があります。人生の区切りとなる時期や出来事、これから何か新しいことが始まる、あるいは何かが変わるタイミングなどです。進学、就職、退職、還暦などはわかりやすいですが、目に見えない、他人は知らない、知ってほしくないごく個人的なことも、その人にとっては大きな区切り、つまり節目となることがあります。また新年や新年度、昇進や転職なども大きな節目です。組織においても開設10年や20年は一つの節目ですし、100年となればとても大きな節目です。私たちの生活は、あるいは所属している組織においても、日々の変化というものは実に些細なものです。ほぼ同じような日々が繰り返されます。節目があることで過去を振り返ることができます。そして未来に向けて新たな世界にチャレンジしていこうという気持ちにさせてくれます。節目を意識することで日々の生活に彩を与え、大袈裟に言えば、私たちが生きる意義を再構築してくれるものかもしれません。 令和9年、すなわち2027年は、日本赤十字社創立150年になります。明治10年(1877年)の西南戦争時に、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)らにより日赤の前身である博愛者が設立されました。そして明治20年(1887年)に日本赤十字社と改称されました。現在創立150周年プロジェクトが全国の日赤で展開されています。 そして原町赤十字病院です。開院は昭和27年、すなわち1952年です。来年の令和9年は創立75年となります。75という数字は節目としては若干インパクトに欠けるかもしれませんが、本社設立150年のちょうど半分でもあります。本社のプロジェクトに便乗して、原町赤十字病院でも何か良いキャッチフレーズを作って、何らかのイベントを行いたいと思います。その第一弾が来年1月24日の日曜に開催される「日本医療マネジメント学会群馬支部会」になるでしょう。たまたま私が当番会長を仰せつかったので、何らかの関連性を持たせようと思っています。 ところで私が代表を務める「NPO法人あがつま医療アカデミー」も来年は設立15年となります。日赤の10分の1の期間ですしま...

無限の前に腕を振る

6月6日の土曜、東京駅近くで大学ラグビー部 時代の仲間たちとの小さな 集まり がありました。東京で働くものだけでなく、私のように東京以外のところから来たもの も数名 いました。年齢でいうと一番上が私、一番下は私が6年生だった時の1年生で、すべて同じ時代に一緒にプレーをした仲間です。そして当然のことながら還暦前後ということです。卒業後始めて会うものもいて、非常に感慨深いものがありました。 それぞれ重要な立場 で働いていて 、しかも元気で、(一人はいまだに毎週のようにラグビーをしている)、話すことと言ったらやはり昔のことばかりで す。 40年前に 引き戻されましたが、途中からの記憶は少々あやふやです。   当時は皆それぞれの生活があり、事情 も あり、もちろん学校の実習があり、最低限の勉強もする必要がある中で、ほぼ毎日夕方 の同じ時間 に集まり、一つの目標のために汗を流していました。学校には行かなくても部活動の練習だけは誰一人休むことはなく、 怪我 のため練習に参加できなくてもグラウンドには必ず来ていました。誰だって調子の良くない時もあったと思われますが、不思議なことに病気で休んだという人の記憶もありません。練習は厳しかったのですが、終わった後に時々みんなで飲みに行くのは実に楽しいものでした。   6月7日の午後、ラグビートップリーグの決勝戦がテレビ中継されました。 途中から見始めたのですが、つい見入ってしまいました。レベルは全く異なりますが、私自身も大学時代に3回決勝戦を戦ったことがあります。すべて負けましたので優勝の喜びを知りません。しかし負け惜しみでなく、優勝できなかったことは実はそれほど重要なことではなく、優勝を目指して仲間たちと同じ時間を共有したこと、言い換えればトップを目標とするチームに所属していたことの方がはるかに大事であると確信しています。大学卒業後はそんな気持ちでスポーツに取り組むことはなくなりましたが、 その時の経験が今の私を心身ともに支えているのだと実感しています。   無限の前で腕を振る 中原中也のある詩の中の一節です。 その解釈は人によって、また同じ人でもその時々によってかなりの幅があります。目に見えない世界、理解できない世界、言語化できない世界が無限というものでしょうか。あるいは全く効率的でない世界というものも無限...

赤十字の精神

私たちは時々「何々の精神」という言葉を使います。特に改まった場面で使うことが多いかと思います。例えば「ラグビー精神」というものがあります。ボールゲームでありながら、試合中に実際にボールに触れている時間は実に少ないものです。驚くべきことでしょうが、試合中に1回しかボールに触れなかった、もしくは一度もボールにさわらなかったという選手も時々存在します。つまり試合中にやっていることのほとんどは、ボールに触れることのないサポートプレイです。味方のために体を張ること、これこそが「ラグビー精神」であると高校時代に教えられました。一見派手に見えるスポーツですが、地味なサポートプレイの中にこそ「ラグビー精神」の神髄があります。 「外科医の精神」というものもあります。私がこの世界に入った頃、外科医は365日、24時間、いつでもスタンバイの態勢をとらなければならないという指導を受けました。現代社会では全く通用しない理念ですが、この精神が自分自身を育ててくれた一因であるとも感じています。 ところで「何々の精神」という言葉です。ある人の精神と言えば、その人の考えや生き方などの象徴なのでしょうが、医療従事者の精神、教育者の精神、公務員の精神、はたまた親の精神、子供の精神、日本国民の精神、日本の精神、などと、実態があるようなないようなものまでも「何々の精神」と言います。翻って考えてみると、私たちが所属している集団の中で、自分自身の考えや態度、つまり自分自身の精神というのはあるのでしょうが、それは吹けば飛ぶような脆弱なものです。自分自身の弱い心を支え、倫理観を高め、冷静に責任感を持って物事に当たるための規範となり、その集団に帰属していることで安心感を与えてくれるものが「何々の精神」というものなのでしょう。それはその人がとるべき態度や立つ位置を示してくれます。 さて、今回のタイトルである「赤十字の精神」です。赤十字には基本原則があります。人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性の7つです。そしてこの基本原則をもとに、「苦しんでいる人を救いたいという思いを結集し、いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守ります。」というのが赤十字の使命であり、赤十字の精神と言えます。 この赤十字の象徴ともいえる、日本赤十字社の元社長であり国際赤十字・赤新月社連盟の元会長の近衛忠輝日本赤十字社名誉社長がご逝去さ...

群馬NST研究会

5月23日の土曜、群馬県公社総合ビルにおいて第34回群馬NST研究会が開催されました。NSTとはNutrition Support Teamの略で、日本語では栄養サポートチームと言います。あらゆる病気の治療は、病気そのものの治療に加え、栄養補給の面からもサポートが必要です。特に高齢の方や併存疾患を持っている方に対しては、病気の治療と同等、もしくはそれ以上に栄養サポートが重要になります。そのために医師や栄養士、看護師、薬剤師、理学療法士などの多職種での関与が極めて大切であり、NSTは最近では当たり前となったチーム医療の先駆けでもあります。 今回の群馬NST研究会の当番世話人は太田記念病院救急科の小橋大輔先生でした。数年前には原町赤十字病院の救急科部長として吾妻の救急医療の発展にご尽力いただいております。小橋先生は日本版重症患者の栄養療法ガイドライン検討委員会のメンバーの一人でもあり、救急現場での栄養療法の意義について全国の錚々たる有識者とともにガイドライン2024の作成に深く関与しています。今回の研究会のテーマは「はじめが肝心、亜急性気につなげる入院早期からの栄養管理」で、急性期の栄養管理に関する演題が多数でした。私がNSTに関わり始めた2005年頃は、NSTと言えば消化器外科に関する話題、特に手術前後の周術期管理が大半でしたが、その後は慢性疾患、さらに整形外科疾患、そして超急性期の栄養補給など実に幅広く栄養の重要性が叫ばれています。今回の特別講演1では、心不全のマネジメントとして栄養アセスメントと適切な栄養補給を欠くことはできないと、群馬大学循環器内科の小保方勝先生が力説しておりました。栄養状態がよくなることですべてが解決するわけでもありませんが、どんな病態でも栄養という側面からも患者の病態を観察することは、私たち医療者にとって必須なことと言えます。 今回の一般演題の最後は、原町赤十字病院5階病棟看護師の片山さんの発表でした。原町赤十字病院の循環器内科医師は非常勤ですが、心不全の診断で入院となる患者さんは少なからず存在します。片山さんの発表は心不全で入院となった患者さんを栄養の面から詳細に検討し、その課題を見出しさらに今後の対応を考察していました。私自身も大変勉強になりました。発表した片山さんだけでなく、この発表に関わったすべての皆さんに敬意を称したいと思います。 ...

クイズです

Aは男でBを見ている。BはCを見ている。Cは女だ。さて、この三人において、男は女を見ているか? 1.見ている 2.見ていない 3.どちらかわからない ある学校のクラスで、ある教師が一つのルールを作りました。 「すべての授業が終わった後、帰宅する前に教室内のゴミを十個拾い、教師の前のゴミ箱に捨てる」 生徒たちは、ゴミを10個に分解するようになりました。そこで教師はごゴミ分解するのを禁止とするルールを作りました。 すると生徒たちは、授業中に自分の足元にゴミを捨てておくようにしました。その結果、以前より教室は汚れてしまいました。そこで教師は床にゴミを捨てるのは禁止というルールを作りました。 身なりの良くない生徒が一人いました。その生徒は歩くだけでゴミが落ちてしまいます。その生徒は「移動のたびに床にゴミを捨てている」という理由で虐められました。教師が諫めると、生徒たちは「ルール違反を指摘しているだけだ」と言い訳しました。 さて、この教師は最初に定めたルールを守るために、どのようなルールを設定したでしょうか。 最初のクイズはよく考えればわかるかと思います。回答を記しませんが、Bが男である場合と、Bが女である場合を考えると、必然的に答えが導き出されます。 後半のクイズは結構難しいかもしれません。ヒントは、確かにこの方法を採用すれば、間違いなく明瞭にゴミはなくなる、ということです。 ところで前半のクイズです。こういった質問は今後どうなっていくのでしょうか。現在は、ヒトを男女に分けて物事を考えることがあまりよくないとされています。つまり男と女を分けない考え方が主流ですし、実際にどちらとも言えないヒトも増えてきているようです。 後半のクイズは、世の中の仕組みというものを考える、もっと大げさに言うと歴史を考える上で、私たちに多くの示唆を与えてくれます。 なおこれらのクイズは、ある小説の中に書かれたものを一部抜粋(少し変更)したものです。どうしても回答を知りたいと思う人は、私に直接尋ねてください。

原則禁止と全面禁止 本則と付則

「原則禁止ということにしましょう」とか、「ルールはルールとして臨機応変に対応しましょう」とか言う文言を、私は様々な委員会や会合などでよく使います。私だけでなく、他の方がこのような発言をすることもしばしば耳にします。この文言の裏には、当然例外というものはありますよ、という意味を含んでいます。似たような言葉に「全面禁止」というものがあります。「原則禁止」とは全く異なります。いっさいの例外を認めない、極めて強い言葉です。例を一つ挙げましょう。昭和の時代から平成の初めにかけて、病院内でも喫煙は可能でした。灰皿は至る所にありましたし、職員も仕事をしながら喫煙する姿を特に違和感なく目にしました。それがいつしか病院内禁煙、そして病院敷地内禁煙、つまり喫煙は「全面禁止」となりました。これが「原則禁止」だったら様々な問題が起こることは容易に想像されます。しかし何らかの決まりやルールを作る際、それはあまりよくないな、禁止にした方がいいだろう、ということで何でもかんでも「全面禁止」としたら、これはこれで大きな問題が起こることも同じように容易に想像されます。 「原則禁止」という文言は、「和を以て貴しとなす」とされる日本文化にはとても馴染みやすいものだと思います。原則はしっかり守ってくださいと言いながら、初めからある程度の例外を認めています。「原則禁止」という文言をルールに入れるのであれば、そしてそのルールが重要なものであれば、どのようなことが例外か、そしてその例外を認めるのは誰か、ということについてもある程度決めておく必要があるかもしれません。 本日のタイトルの後半の「本則と付則」についてです。私は「群馬NST研究会」の代表を務めています。代表に就任した際、その会則を一部修正しました。また「NPO法人あがつま医療アカデミー」の代表も務めていますが、この定款も数年前に一部修正しました。ともに総会での中で承認を得たうえで決定されたことです。その中には本則と付則が存在しますが、改定の際にその違いや重要性について熟慮することは全くありませんでした。 今回なぜこのようなタイトルにしたか、改めて説明するまでもないことと思います。再審開始決定に対する検察官の不服申し立て(抗告)に関する法務省と政府与党との議論が、現在まさに行われているからです。その議論の中で「原則禁止と全面禁止 本則と付則」の問題が度々...

春の日の夕暮れ

夕暮れは毎日やってくるものですが、季節によってその感慨は異なるものです。日本では古くから秋の夕暮れを読んだ名歌がたくさん存在します。秋の夕暮れは、空気の冷え込みとともに草木は燃え、そして枯れ始めます。この自然の移り変わりが人の心に寂寥感や無常観を引き起こし、多くの歌人たちが歌の題材にしてきました。ところが春については、その夕暮れ自体を対象として読まれた歌は、私の勉強不足もあるのでしょうがどうも少ないような気がします。 私は仕事を始めて以来、夕暮れ時間に外を眺めることが実に少なくなっています。したがって夕暮は、過去の記憶に直接つながることもあります。だからでしょうか、時々目にし、自らの体で体験する夕暮れは、その時の自分自身の心身の状態にもよりますが、様々な感情を呼び起こします。その中でも春の夕暮れは、他の季節にはない、やわらかさ、曖昧さ、はかなさを感じさせます。 中原中也の代表作に「春の日の夕暮れ」という詩があります。彼が17歳の時に書いたとされています。語句だけにこだわると、訳がわからず袋小路に入り込んでしまったような気分になる詩です。しかし何度も繰り返し読むと、春の穏やかな風景とともに、漠然とした不安、理由のはっきりしない寂しさを表現しているのだなと感じることができます。自分自身の十代後半頃の心情にも重なります。私は春の日の夕暮れを眺めると、時々この詩が心に浮かんできます。ここに紹介します。 トタンがセンベイ食べて  春の日の夕暮は静かです  アンダースローされた灰が蒼ざめて  春の日の夕暮は穏かです  あゝ、案山子はないか―あるまい  馬嘶くか―嘶きもしまい  ただただ月の光のヌメランとするまゝに  従順なのは 春の日の夕暮か  ポトホトと野の中の伽藍は紅く  荷馬車の車 油を失ひ  私が歴史的現在に物を云へば  嘲る嘲る 空と山とが 瓦が一枚 はぐれました  これから春の日の夕暮は 無言ながら 前進します 自らの 静脈管の中へです

思想は一つの意匠であるか

思想は一つの意匠になりうるのか。この問いに皆さんはどう答えるでしょうか。あるいはどのような感想を抱くでしょうか。そもそも意匠という言葉はよく耳にするようで、自分の口からこの言葉を発することは少ないかもしれません。分かったようでよく分からない言葉の一つと言えるでしょう。 今回のタイトルは萩原朔太郎の詩のタイトルをそのまま借用しています。大変短い詩で、このタイトルの象徴という意味なのでしょう、仏陀のことが述べられています。そしてその詩の中で、朔太郎はこの問いの解答を示しているわけではありません。私自身は、ちょっと不思議な感じがするこのタイトルのことが忘れられず、常に頭の片隅に存在していました。 自分の内面にある思想を表現しようとすれば、何らかの形、姿にする必要があります。(表現を望まなければ、それは自分の内面に留まることになるでしょう)表現には様々な方法があります。文章や音楽、絵画、建築などの芸術的分野では、意匠として自己の思想を現すことが可能です。優れた芸術に触れる(意匠に触れると言い換えることも可能かと思います)ことは作者の思想に触れるということです。思想に触れ得ない作品については、その作品自体が原因ということもあるのでしょうが、自分自身の感受性の乏しさがそうせしめているのかもしれません。また思想というものは何も芸術分野だけに現れるものではありません。私たちの日常生活の中でも自然に体現しているものです。 さて、今回なぜこのタイトルにしたかというと、次の命題が私の中に浮かぶからです。 宗教は一つの意匠であるか 世界各地の宗教の歴史、日本の中での仏教の歴史、現在の宗教問題などを鑑みると、宗教というものは実に複雑で多様です。宗教は本来世界観や人間観などの思想が基盤にあるものなのでしょうが、多くの場合それを表現するために建築物や絵画などが作成されます。それらは美というものが何であるかを人々に示し、さらに人々の心を豊かにしてくれました。一方で各時代の統治者たちは、これらをできる限り荘厳にきらびやかに作ることで自らの権威にもつなげた、つまり宗教の意匠の部分だけを利用したという一面もあると、司馬遼太郎は述べています。 思想も宗教も意匠になりうるけれど、本質的には全く異なるものです。つまり思想も宗教も一つの意匠として捉えることは可能なのでしょうが、意匠の部分だけをのぞき込んでいると...

平等について

赤十字の7つの基本原則に中に、「公平」というものがあります。その説明には、「いかなる差別もせず、最も助けが必要な人を優先します」と書かれています。 「公平」と似たような言葉に「平等」があります。法の前では平等、人間は生まれながらにして平等、四民平等、ジェンダー平等、民族の平等などの言葉を、私たちはしばしば耳にします。私たち人間はこの「平等」という言葉の重要性を、誰に教わるわけでなく、その人なりに理解しているものです。 ところで「平等」とは「公平」であると言えるのでしょうか。福沢諭吉は「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言いましたが、これはあくまでもスタートラインの話であって、本当に大事なことは、その後の人生でどれだけ学問を修めたか、つまり学問を修める機会は誰にでも公平に与えられているが、学問を自分の血肉にすることができるかどうかで人間には大きな違い、つまり平等ではない状況が生まれることを、福沢ははっきりと述べています。そもそも生まれながらにして平等という言葉にしても、生命の尊厳という意味では正しくても、様々なハンディキャップを持って生まれてくるお子さんが常に存在します。 「平等」を強調することで、「不公平」が発生することもしばしばあります。足の速い人もいれば遅い人もいます。背の高い人もいれば低い人もいます。物覚えがとても早い人もいればそうでない人もいます。努力によってそれなりに克服できるとは言え、誰もが大谷翔平のようになれるわけではありません。そしてこれらの多様な人たちを平等に対応することはとても難しく、むしろ不可能と言って過言でないでしょう。しかし公平に対応することは可能です。 「平等」という言葉は、人類の歴史の転換点において一つのスローガンとして叫ばれてきました。「平等」という言葉には強いエネルギーがあります。一方人は自分自身のことに関しては、他人から区別され、評価されたいと思うものです。変な話ですが、「平等に扱ってくれるな」と思うことがあります。「平等」を強調すると、必ずその「平等」の範囲から除外される人々が生まれます。それが排除、序列につながります。つまり「平等」とはもともと差異が存在することが前提であり、その微妙なバランスの中で意味を成す言葉と言えるかもしれません。 赤十字の基本原則の中に「公平」という言葉はあっても「平等」という言葉がないのは、そ...

人の寿命を決めるものとは何か?

人は誰でも亡くなることはわかっているものですが、その亡くなり方があまりに急だと、あるいは予想していなかったような亡くなり方だと、その現実を素直に受け入れられないことがあります。私は様々な場所で健康な方を対象に、自分が亡くなる場合どんな形が良いですか、と質問することがあります。するとかなり多くの方が、「ピンピンコロリ」を望むと答えます。その頻度は、若い方の方が多い印象があります。しかし本当に「ピンピンコロリ」で亡くなってしまうと、あるいは「ピンピンコロリ」でなくとも急に亡くなってしまうと、その方のご家族や友人たちの悲しみは実に深いものです。それは悲しみだけでなく、くやしさや怒り、やるせなさなど様々な感情を引き起こします。そのような経験がある方であれば誰もが共感するでしょうし、私自身も簡単には語りつくせない、つらい経験があります。 ところで人の寿命を決めるものとは何でしょうか。私は外科医ですので、悪性腫瘍に罹患した多くの患者さんを診ています。早期であれば命に関わることは比較的少ないですが、すでに他の臓器に転移している場合、あるいは手術後に再発している場合、現代の医学では完全に治癒させることは一部の例外を除いて困難とされています。必然的に治療の目的は、完全に治すということではなく、進行をできる限り抑えて副作用の少ない治療を行い病気とうまく付き合う、つまり病気と共存する、ということになります。とは言ってもいつまでもうまく付き合っていけないのも事実です。残念ながら病気は少しずつ進行し、そうして人の命(肉体の命)を奪っていきます。 また、悪性腫瘍だけを罹患しているという方はむしろ稀で、高血圧や糖尿病、心臓疾患や脳血管疾患、肺や肝臓などの慢性疾患などを抱えている方が大半です。これらの病気自体も直接生命に関わるものも多々ありますし、間接的に影響していることも言うまでもありません。 悪性腫瘍の治療成績を評価する方法として、治療開始後の生存期間というものがあります。治療する時の病気の進行具合で、生命予後をある程度推測することができますし、最近はこの件について直接質問される方が多くなっています。2,3年です、と答えることもあれば、1年くらい、あるいは数か月、あるいは1か月も厳しい、と答えることもあります。もちろんこのような答えをするのは、その答えを冷静に受け止めることができるであろうとい...

雲隠(くもがくれ)

年度末になりました。日本には新年という大きな区切りがありますが、生活上の変化としては新年より新年度の方がずっと重要です。学生時代は年度が変わるたびに一つ学年が上がります。そして3月には卒業式があり4月は入学式です。社会人も多くの場合4月に入職もしくは移動です。年度初めは新たな気持ちを呼び起こしますが、その前に必ず訪れる年度末は何かと慌ただしいものです。 年度末は退職の時期でもあります。この春退職される方の心情はいかばかりでありましょう。特に長きにわたってある組織に勤務された方であれば、その期間の長さに比例して多くの経験を重ねたことでしょうし、ご苦労もあったことと思います。勤務場所が変わる方々も、仕事の引継ぎに加え新たな職場への準備を怠りなく行う必要があります。お子さんが進級や進学、もしくは新社会人として4月から働き始めるという方もおられましょう。引っ越しなどを伴うとなればさらに大変です。年度末とは実に忙しい時期です。 私自身のことを言えば、個人的には何かが大きく変わるところはありません。ただし原町赤十字病院の院長として年度が変わる今の時期の重要性を十分理解しています。原町赤十字病院の在り方について、近日中に自分なりの意見を述べるつもりです。 ところで年度末になり、私がとても残念に思っていることが一つあります。日曜朝6時からNHKで放送されていた「光源氏でたどる源氏物語」が3月29日をもって終了したことです。この番組では、玉鬘十帖や宇治十帖、匂宮3帖に加え、エピソード的に挿入されているいくつかの帖を省き、源氏のメインストリートの部分だけを取り上げ、実に丁寧にゆっくりと講師の先生が解説してくれました。毎週楽しみにしていました。こういう番組を聴いていると、今さらながら系統的に日本の古典を勉強したくなります。 最終回は幻の巻でした。紫の上亡き後、悲嘆にくれながら静かに暮らす源氏が描かれます。この帖には源氏の死についての記述はありません。そして雲隠の帖が続きます。この帖はタイトルだけで文章はありません。文章がないことについては様々な説があるようですが、私には余白の持つ力、沈黙の強さを感じますし、死というものは本来そういうもの、まさに雲隠なのだと思います。 年度末の何かと忙しい時期ですが、22日には前橋文化ホールで、28日には高崎芸術劇場で、ベートーヴェンの交響曲を聴いてきまし...

墓参り

3月20日の日の春分の日、墓参りに行ってきました。この日は全く日が差すことのない、真冬に戻ったような冷え込みでした。今年は母親の1周忌でもありました。全くの偶然ですが、父親も今から26年前の2000年3月に亡くなり、二人ともお通夜が3月31日、告別式が4月1日に執り行われました。父親についてはこれも偶然でしょうが70歳の誕生日が告別式当日でした。桜が咲き始める頃です。 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月の頃   西行法師 両親が西行法師をどこまで読み込んでいたか、今となっては知る由もありません。残念ながら今年の墓参りでは、桜の花を見出すことはできませんでした。 お彼岸に墓参りに行くと、必ず同じように墓参りをしている人たちに遭遇します。特に会話を交わすわけではありませんし、墓参りが終わればいつまでもそこに滞在しているわけでなく、お互い速やかにお墓を後にします。それは多少の違いはあれ、決められた(と言っても誰かに命令されたわけではありませんが)儀式を、粛々と行うといった感があります。すべての日本国民がそうであるということはないでしょうが、墓参りの習慣というものはやはり日本の伝統の一つなのでしょう。またそのように思うと、それはこれからも続いてほしいところでもあります。しかし現在の日本の現状を鑑みれば、それは大変難しくなっていることもわかります。家族というものの形が徐々に変化し、お墓の意義も問われることが多くなりました。別の視点から言えば、日本人の死に対する考え、あるいは覚悟、つまり死生観というものが、変化している現れかもしれません。 墓参りは故人を偲ぶことであると、以前は当たり前のように思っていました。しかし自分自身が還暦を過ぎ、今年64歳という年齢に達する昨今、墓参りに対する考え方が変わってきました。遠くない将来、自分自身の命が尽きることは明白なことです。墓参りとは、そのための準備を自分なりに行い、死に対する覚悟を醸成(この言葉が適切かどうかよくわかりませんが)する行為であり、そういう場でもあるのだと考えるようになりました。それはごく自然にそう思うようになりました。 萩原朔太郎の詩に、「艶めかしい墓場」というものがあります。墓地という場所は、人の心を穏やかにもするだけでなく、なんだか不思議な気持ちにさせる場所でもあります。艶めかしいという朔...

完全週休二日制について

3月15日の朝日新聞に、1973年3月15日の天声人語が掲載されていました。今から53年前の記事です。祝日と日曜が重なった時に、翌日の月曜を休日にしようという法案が国会に提出されることについてのコメントです。当時は1年間に52の日曜と12の祝日を足した64日(日曜と祝日が重なれば64日より少ない)が休日であるというのが日本の実状でした。欧米ではすでに週休二日制を導入していていたようですので、当時の日本人がいかに働き過ぎで世界から非難されていた?と、天声人語には記載されています。 日本の国家公務員に週休二日制が実施されたのが1992年(平成4年)、公立学校で学校週5日制(学校週休二日制)が完全実施されたのが2002年(平成14年)です。病院の週休二日は住民にとっては良いこととは言えません。原町赤十字病院では様々な意見がある中で議論を重ね、半年間の準備期間を経て昨年10月より完全週休二日制を導入しました。 完全週休二日制を導入して原町赤十字病院の職員の働き方がどう変わったかというアンケートを先月行い、その結果が数日前に私のところに届きました。総合的評価としては72.4%の方が良いと回答しましたが、悪いと回答した方は5.1%おりました。プライベートの時は64.3%の方が増えたと回答しています。一方仕事の質については約3割の方が向上、約6割は変わりなしと回答したものの、悪化したという回答も8%程度認めます。自由意見を読みますと、1日の勤務時間が25分増加し仕事の終了時間が17時15分になったことで、少なくない影響が出ていることが伺えます。この問題は完全週休二日制を導入する際にも指摘がありましたが、国が定める就業時間と休憩時間のバランスの関係でこのような決定をしました。不便になった方、苦痛に感じる方には大変申し訳なく思います。また休みが増えたため、休日出勤が増加したことによる精神的負担が大きくなったという意見もあります。病院という職場は休日だからと言ってみんなが一斉に休めない、当番を決めて出勤せざるを得ない職種がほとんどです。どうかそれぞれの部署内で話し合って、上手に休みが取れるように工夫していただければと思います。 なお2021年(令和3年)に政府から「骨太方針2021」では完全週休三日制が提言されています。今後は「働き方」だけでなく「休み方」をどうとらえるか、休みをどう過...

日赤フォーラム

3月7日の土曜、東吾妻町コンベンションホールで第4回日赤フォーラムが開催されました。ほぼ同じ時間、中之条町のバイテック文化ホールでは吾妻郡老人クラブ連合会の芸能発表大会が開催されていました。私は日赤フォーラムが始まる前に文化ホールを訪れ、老人クラブの水出会長や小林前会長をはじめ、社会福祉協議会の事務の方など幾人かの知り合いの方々にご挨拶するとともに、数多くの展示作品を拝見してきました。同じ日程になってしまったのは私自身のミスですので仕方がないことなのですが、老人クラブの発表会を鑑賞できなかったのはとても残念なことでした。 さて日赤フォーラムです。老人クラブの皆様が参加できないことが分かっていたので、参加者が少なくなることを心配していましたが、私の予想に反して多くの方々に来場していただきました。参加してくれた皆さん、本当にありがとうございました。特に東吾妻町の中澤町長は、文化ホールの開会式でご挨拶の大役を終えた後に日赤フォーラムの方にも足を運んでくださりました。この場を借りてお礼申し上げます。 今回の日赤フォーラムは、整形外科の先生方を中心に企画され、齋藤先生、小濱先生、宮間リハビリテーション課長の3名が講演しました。骨粗鬆や骨転移、そしてサルコペニアの予防など、どの話も素晴らしく興味深い内容で私自身も大変勉強になりました。健康で長生きするためには骨と筋肉の維持が大事で、そのためには運動と栄養がカギとなることがよく理解できました。また司会を務めた大須賀係長は実に堂々としており、見事な司会ぶりでした。今回は初めての試みでしたが、「健康相談コーナー」というものを設けました。健康についてのお悩みなどについて、看護師、薬剤師、栄養士、理学療法士、社会福祉士などが対応するものです。どのくらい人が集まるのか不安がありましたが、暖房が十分ではないスペースであったにも関わらずかなりの盛況でした。今後の日赤フォーラムでも同じようなコーナーを設置したいと思います。 次回の日赤フォーラムは7月4日の土曜、同じく東吾妻町コンベンションホールで開催する予定です。4月から小児科の先生が常勤として原町赤十字病院に赴任することが決まっています。小児科の先生の講演に加え、小中学校に通うお子さんやその保護者、学校の先生方にも参加していただき、吾妻郡の小児科診療の未来(これはすなわち、吾妻の未来)について...