壷坂観音霊験記
6月20日の土曜、群馬県立女子大学で人形浄瑠璃の公演がありました。人形浄瑠璃については、いつか鑑賞したいと思いながらもその機会に恵まれませんでした。正確には、機会は作ればいくらでもあったのでしょうが積極的にその機会を得ようとしなかった、というべきなのでしょう。テレビで時々放映される文楽の公演を録画して見ることはありましたが、いくら画質が良くなったとしても画面の中の世界にはなかなか集中できないものです。ここ数年、群馬交響楽団の演奏を生で鑑賞する機会があります。自分の全神経を注ぎ込んでその世界に没頭すること、聴覚だけでなく視覚的にも、そして会場の雰囲気を体全体で触れることこそが、広い意味での芸能を鑑賞するということなのだと思います。
今回の公演は沼田市の沼須人形芝居保存会あけぼの座による、「壷坂観音霊験記 山の段」というものでした。この公演が素晴らしいものであったかどうか私には判断しかねますが、少なくとも私の心に響くものがありました。常々感じていることですが、人の真心のようなものはしゃべって通じるものではなく、音楽を通じて、絵画を通じて、詩を通じて、人形を通じて、あるいはちょっとしたしぐさを通じて、つまり他の物に託してこそ可能なのではないか、ということです。それらはとても抽象的なものであり、その解釈は決して一つではないということも多分大切なことです。
公演前に群馬県立女子大の先生が、「浄瑠璃王国・ぐんまの文化力」というテーマでレクチャーをしてくださいました。群馬県内には8か所で人形芝居が伝承されており、また残念ながら伝承は途絶えてしまったものの道具が保存されているところも17か所あるということです。さらに道具は残されていないもののその存在が記録されているところはなんと22か所あるということでした。群馬は浄瑠璃王国であったというのもうなずけます。
この先生は大変興味深いことをおっしゃっていました。人形芝居は平野部より山沿いや山間に多く伝承されているということです。これらはいわゆる「小さな地域」といっていい場所です。ところが日本は経済的な合理性や豊かさを求め「大きな地域」を作るために行政区の合併を繰り返しました。その結果「小さな地域」が大きく変わりました。残した方がよいもの、残すべきものが消えつつあります。私たちは大事なものを見失いつつあるのかもしれません。
その先生がおっしゃるには、物事が継続するために大切なことが三つあるということです。一つは男女の区別がないこと、二つ目はそれが全世代の人たちに開かれていること、三つ目は空間的にも時間的にも常に全世界に開かれていること。その通りだと思います。
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