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働くということ

  人間社会の黎明期、 ひとは 自然との関係の中で 生活 手段を得ること で生存しえ ました。 その当時、働くということ は生きるということとほぼ同じ意味であり、労働という意識、概念はなかったと 推測さ れます。 それが 古代ギリシャの時代 になると、人間社会の中で身分の違いが強調され、労働は苦役、という考えに変わってきたようです。 ところが 15世紀の宗教改革の時代、プロテスタンティズムの台頭とともに、働くということ、労働そのものに価値を見出し、天職という概念が生まれました。そして勤勉な労働の結果として得られる富が、資本主義の萌芽に つなが ったと考えられています 。 この資本主義社会は、資本家と労働者という立場を鮮明にし、 労働に対して対価 が与えられる 過程で、 労働は 何らかの制約や苦痛を与える原因 になっ ていった のかもしれません 。   ところで 労働とは私たちにとって苦役でしょうか。それとも 天職でしょうか。 あるいは 使命でしょうか。 働くことの考えは個人によって大きく異なるでしょうが、働くこ と によって得られる報酬 が 必要ないという人はないでしょう。営利を目的としない私たちのような組織でも、報酬は重要です。それは重々承知しています。   私たちの仕事は直接何かを生産するものではありません。しいて言えば、人をつくる、人の心をつくる、と 言えます。 言い過ぎでしょうか 。 少なくとも、 皆さんと協力して、 苦役と感じることのない職場にしたいと思います。

赤城山の風景

  私が生まれ育ったところは旧尾島町です。小学校も、中学校も尾島でした。完璧な平野で、町内の山といったら尾島公園の小さな山だけだったと思います。ですから海ほどでないにせよ、山も身近な存在ではありませんでした。 自宅は町の北側にありました。そのため自宅に帰る時は北に向かうことになります。その道中に、赤城山が真正面にとらえられ、実に雄大に大きく見えるところがありました。 雲一つない澄み切った青空の日、あるいは茜色に染まった夕暮れ時、手を伸ばせば届くのではないかと思われるくらい、赤城山が明瞭にすぐそばに見える時がありました。こういう時、自分は赤城山に見守られているような気分になったことを覚えています。今思うと赤城山はいつも同じ場所に存在していますので、自分のコンディションとその時の自然条件がうまく適合し、私をしてそのように感じせしめたのでしょう。 私たちは何か見たり聞いたりした場合、最も美しい姿、自分にとって都合のいい側面、あるいは最も不快に感じたところだけが記憶され、その実体や本質を見ていないことがしばしばあります。少年の頃に記憶した赤城山の風景は、赤城山の最も美しいものであり、広大無辺で、時に私の気持ちを奮い立たせるものでした。 赤城山の記憶は他にもいくつかあります。いずれ紹介します。
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子供のころ、 梅雨の時期になるとたくさんのかたつむりを見かけました。 それは、特に見つけようとしなくても、 この時期には当たり前のように私の目に入りました。 ところがいつの頃からか、 かたつむりを全く見かけることがなくなりました。 いつの頃というのもはっきりしませんが、 もう数十年になるかもしれません。 数年前に意識して見つけようとした時がありましたが、 残念ながら見つけることができませんでした。 実際にかたつむりは減ってきているのでしょうか。 それとも私の生活する場にいないだけで、 いるところにはたくさんいるのでしょうか。 あるいは私の生活の場にもいるのだけれども、 私の心に余裕がなく、 私だけが見つけることができないのでしょうか。 考えてみると、最近は歩くことはほとんどありません。 ランニングはしますが、散歩をすることほとんどありません。 ランニング中にあの小さなかたつむりを見つけることは困難でしょ う。足を止めればいいのでしょうが、 ランニング中に足を止めることは滅多にありません。 かたつむりを見つけるためには、ゆっくり歩くこと、 時に立ち止まることが大事なのでしょう。 今年は是非見つけたいと思っています。