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苔の水

 我が家の庭にはほんのわずかですが、苔が生えているところがあります。いつの間にかある部分を占領していました。それほど増え続けている様子でなく、また苔が生えているのも悪くはないと思い、そのままにしてあります。普段、苔について考えることなどありませんでしたが、たまたま読んだ小説の中に、苔のこと、苔のそばを滴り落ちる水のことを詠んだ歌が二つほど紹介されていました。 岩間とぢ 氷は今朝は とけそめて 苔の下水 道もとむらん  西行 岩と岩との間を縫い閉じるように凍っていた氷が解け、それが苔の下に伝わり、さらに流れ出る道を求めているという。単純なようだが複雑な水路、複雑に折れ曲がる水の心を詠んでいる。と、この小説の中では解説しています。 山かげの岩間をつたふ苔水の かすかに 我はすみわたるかも  良寛 岩肌についた苔のあいだをわずかな水が滴り落ちてくるという。自分は苔水のように澄み渡っているわけでもないかもしれないし、苔水と自分とは無関係でありながら、それでも何らかの関係があるような気もするし、歌の中では共存している、といったような解説です。 先週参加した岩櫃城忍び登山では、岩にはいつくばっていた苔がたくさんありました。ちょうど雨上がりで、おそらく苔に沿って水が滴り落ちる光景がそこにはあったと想像されます。しかし先週はそんな感慨に耽る余裕は全くなく、滑って転ばないように、細心の注意を払いながら一歩一歩進んでいました。したがって、その時に岩の間を滴る苔水を見ることはできませんでした。この二つの歌を知っていれば、違った風景が見られたかもしれません。そして今思い返すと、間違いなく私が通ったコースの中に、その景色はあったと確信しています。 結局人は、見ているようで実は何も見ていない、ということを思い知らされます。しかしその自覚があれば、少しぐらい時間が経過した後でも、心の目で見直すことも可能なのかもしれません。

悲愴と岩櫃城忍び登山

先週末は群馬県の東毛地区、埼玉県深谷市、栃木県足利市などで大雨による被害が発生しました。群馬の東毛地区は自然災害が比較的少ないところです。そして私が生まれ育った場所でもあります。一部の道路は通行止めになったという話でしたが、18日土曜、太田市民会館で開催された群馬交響楽団の定期演奏会に行ってきました。私が通った道は普段と変わることがなかったようで、何の問題もなく到達することができました。演奏会は、言わずもがな、いつものように実に心地よい幸せな気持ちにさせてくれました。ピアニストの桑原志織さんがベートーヴェンの「悲愴」第2楽章を弾きました。席がたまたまよかったこともあり、ピアノの音色だけでなく演奏中の表情までも身近に伺うことができました。悲愴というタイトルですが、悲しみは人と共有することによって温かいものに変わるということなのでしょうか。こんな音楽に包まれているならば、他に何を望むことがあろうか。そんな心持ちになりました。これこそ音楽の魅力なのでしょう。 翌日の19日に日曜は、東吾妻町で開催された岩櫃城忍び登山に初参加しました。大会実行委員長の長谷川さんよりだいぶ前からお誘いを受けていたこともあり、また東吾妻町の齋藤町長も走るという噂を耳にしたため参加を決意しました。ホームページを見て相当険しいコースであることは知っていたのですが、予想をはるかに超える、私にとっては恐ろしいと言って過言でないコースでした。ランニングではなく完全に登山です。途中の区間では結構な距離にわたり両手を使いながら少しずつ岩を這い上がるところがあり、反対に雨で濡れた岩場を、一歩一歩足元を確かめながら、転倒しないように降りていくところもあり、登山をほとんどしたことのない私には、初めて経験する全く場違いのレースでした。十分に気を付けないと大怪我をしそうなところが多々あり、緊張しながら何とか完走しました。というより完走しなければ元の場所に戻れない、ということで完走せざるを得なかったというのが実情です。 この日は朝方こそ曇りでしたが、レースが始まる頃は太陽が顔を出し、炎天下の中でのレースとなりました。レース参加者には原町日赤の職員が数名いましたし、大会スタッフの中には東吾妻町の職員も多数いました。また走っている最中には知り合いに声をかけてもらったり、群馬県赤十字無線奉仕団の皆さんにお会いできたり(そのうち...

群馬の古墳

7月11日の土曜、先月に続いて群馬県立女子大学で行われた群馬学の勉強に行ってきました。今回のテーマは群馬の古墳です。私が想像していた内容は、群馬の古墳と畿内の古墳との関係やその歴史的背景、大和王朝と群馬との当時の結びつき、さらに直接関連はありませんが群馬県内で読まれた万葉集に収められている歌などの解説もあればいいなあなどと考えていました。残念ながら期待は全く裏切られました。(事前に内容を確認すればわかることでしたが) 日本の古墳は4世紀から7世紀にかけて築造された古代の王や豪族の墳墓です。2019年の群馬県教育委員会の調査では、現在群馬では13,000基以上の古墳が確認されているようです。驚きです。専門家に指摘してもらえなければ、私たちはほとんどの古墳を認識できないでしょう。 ところで今回の内容は、その数多くある古墳がどのような形で現代まで生き残ったのか、というものでした。長きにわたって、これだけの多くの古墳が存在し続けた鍵は何なのか。考えてみれば実に不思議なことです。それは古墳が単なる古代の遺跡ではなく、それぞれの地域の中で人間たちが、古墳を何らかの形で利用してきたということでした。古墳の再利用ということです。たとえば、古墳の跡地が神社や民俗芸能の拠点になったり、あるいは物置や貯蔵庫、災害時の避難場所として使われたり、そしてごく一部の人たちにとっては信仰の場になった、つまり古墳を利用して新たな意義を見出し続けた、ということのようです。 形あるものは、通常長い年月の中で消滅してしまうものです。残り続けるためには何らかの力が働く必要があります。奈良や京都の多くの建造物が現在も存在するのは(火災などで消滅後再建されたものを含め)、人の力が加わっているからです。古墳が今も生き残っているのは、人の力が関与しているのは間違いありませんがそれだけではありません。それを生活の中にうまく溶け合わせ、本来の目的とは異なった形で利用し続けたためです。また古墳の多くはその形態が単純なマウンド上の高まりで、風景の中に生き続けたということも非常に重要な理由のひとつです。 現代を生きる私たちは、古墳から一つの教訓が得られるかもしれません。どんなものであれ、またどんなことであれ、それが長い間存在するためには、過去に囚われることなく、その時の状況に応じて柔軟に変化し続けることが大切なのだ、というこ...

小児科診療について考える

7月4日の土曜、原町日赤フォーラムが 東吾妻町コンベンションホールで 開催されました。 今回のテーマは「吾妻の子供たちの未来のために」です。 今年の4月より 、 原町赤十字病院に小児科医師である西澤拓哉先生が赴任し ました 。 群馬県には10の医療圏がありますが、小児科を専門とする医師が不在なのは吾妻医療圏のみであったことから、数年前から吾妻地域 へ の小児科医師の派遣を 様々な場で 依頼して き ました。 そして 群馬県、群馬大学小児科学教室、群馬県医師会などのバックアップにより 、今回の決定に至ったということです。   フォーラム前半は 、 小児救急について 西澤先生が 分かりやすく、 そして 優しい口調でお話ししてくれました。子育て中の親御さんたちにとってはとても有意義だったと思います。考えてみると私は医師になって38年になりますが、小児科の先生の話をじっくり聞いたのは初めてでした。自分自身もとても新鮮で、大いに勉強になりました。後半は吾妻郡医師会長である布施正博先生の司会で、吾妻の小児診療の課題や 期待 、そして吾妻の医療全般について、パネルディスカッションが行われました。 パネリストは群馬県医務課長の木村様をはじめ、長野原診療所の金子先生、東吾妻町保健センター長の藤岡様、原町小学校教諭の小池様、小学校保護者代表の本間様、そして原町赤十字病院小児科外来看護師の丸橋様 の6名 です。 子供のどんな症状に注意すべきか、夜間休日の救急対応、発達障害や外国籍のお子さんへの対応、 教育と医療の連携、 ワクチン接種、そして診療の現場においてはお子さんだけでなく親への対応がいかに大事か、などについて議論がなされました。布施先生が非常に上手に進行してくださり、とても良い ディスカッション であったと思います。なおこのフォーラムについては、7月5日の上毛新聞で取り上げていただきました。   さて、改めて小児科診療について考えてみたいと思います。 小児科診療には、現場でお子さんの病気を診るだけでなく、 地域 社会 の 将来に関わる重要な役割があると考えています。吾妻の15歳未満のお子さんは3600名程度です。この数は他の医療圏に比べて決して多いわけではありません。しかし子供が少ないから小児科は必要ないという考えには、どうしても賛成できません。一人一人の子供の健...