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看護職就職ガイダンスに参加して   2月23日の天皇誕生日に、群馬Gメッセで看護職就職ガイダンスがありました。看護部から特別に依頼を受けたわけではないのですが、ガイダンスの様子を知りたかったため参加してきました。今回はそのことについて記したいと思います。 この看護職就職ガイダンスは上毛新聞社が主催です。看護学生や再就職を希望する看護師を対象に、群馬県内の病院がブースを出してそれぞれの持ち場で病院説明するものです。参加した計36の病院は自慢の数字を提示していましたが、そのうち最も多いのが年間休日の日数です。他には専門認定看護師の人数、男性看護師の割合などがありました。病院の特徴をわかるだけでなく、新職員の勧誘に何が重要なのかを知ることができ、興味深いものでした。 会場内の様子です。それぞれのブースには15個程度のいすが置かれ、病院の担当者がスライドを使用しながら15分から20分程度、独自の方法で紹介をします。それを何回も繰り返します。そこは大変シビアな世界で、病院の人気を手に取るように知ることになります。都会の大病院には常に人が集まっていますが、規模の小さな病院、地方の病院は少なめとなります。ですから病院の担当者は必然的に、話しが上手な人、勧誘が上手な人、明るい性格の人、そして見眼麗しい人などが選ばれるのでしょう。私が看護部から依頼を受けなかった理由を十分理解し、なるべく後ろの方で控えめにしていました。 参加した人たちの気持ちを知る由もありませんが、この病院で働きたいという強い希望をもってその病院の説明を聞き、そのまま就職先が決まる方も多いでしょう。一方このガイダンスをきっかけとしてある病院を知り、就職先が決まるという人もいるのではないでしょうか。人生の中で大事な選択というものは、自分の意志とは関係なく偶然に、あるいはほんの短時間に決まってしまうということも少なからずあるものです。 ところでこの日、群馬県看護協会の神山智子会長と話をする機会を得ました。神山会長は吾妻で継続して行っている「リビング・ウィル啓発活動」に以前から関心を持っていただき、いつも暖かい言葉をかけてくださいました。神山会長の下で群馬県の看護師がますます充実していくことを強く期待します。また医師と同様に看護師についても、その絶対数の不足や地域偏在の問題を、県全体で検討していただくことも併せてお願いする

音楽の力

医療に携わるものとして、医療に関わる最低限の知識と技術を得る努力を惜しまないことは当然の義務で す。またそれが医療機関に訪れる患者さんや家族、そしてその地域で生活する住民の 幸せ ためになると信じてきました 。 これからもその思いは変わらない でしょう 。   しかしながら長年この仕事に関わってきた私 は、医療 の知識や技術 が 重要であることは理解しますが、医療だけで人間は幸せになることはない 、 と いつしか 実感するようになりました。受付で優しい声をかけられてとても安心した、検査前の緊張しているときに 背中 を さすって もらい ほっとした、など の言葉を たびたび耳にします。 その通りなのだと思います。 そ れらの行為に は 、 医療という言葉 が持つ負の部分である 冷たい 響き を、 体の奥底から じんわりと温めてくれる 力があるのだと思います。これからの医療機関は、病気を治すことよりも、人を幸せにすることを第一に考えるべきなのでしょう 。 原町赤十字病院もそのような病院になって ほしい と 個人的には 思います。もちろん病気が治ることが幸福につながる最も大事な方法であることは私自身も十分承知しています し、その努力を怠ることは 決してありません。   ところで医療以外で人を幸せにするものには 他に 何があるでしょうか。たくさんあるでしょう。 音楽の力 は 、 その中でもかなり上位に占めるもの だと思います。   2月18日の日曜、前橋市で 吹奏楽 の楽団によるコンサートがありました。 私は音楽が好きなので普段もよく聞きます。聞くh ear です。 この文章を書いているときも必ず音楽を流しています。本を読むときも勉強するときも同様です。集中しているといつの間にか終わっていることもしばしばあります。 聞くとは実に気軽なものです。 今日は音楽を聴いてきました。聴く Listen です。   意識せず聞こえてくる音楽が、ある情景の記憶と強く結びつくことは よく あります。映画の ある シーンなどでも同様なことが言えます。聞くから、いつの間にか聴いていることもあるでしょう。音楽のコンサートは始めから聴くになります。   今日のコンサートの楽団メンバーの一人が 、 原町赤十字病院の職員でした。だからというわけではありませんが、より親しみを持って楽しみながら聴くことが

雪の日の朝の出来事

2月5日月曜の昼頃より、原町赤十字病院の周囲は久しぶりの雪となりました。20㎝程度は積もったでしょう。たまに降るものですから苦労なさった方は多かったのではないでしょうか。 私には雪に様々な思い出があります。その多くは、大学時代を過ごした昭和最後の新潟での出来事です。あまりにたくさんあるのでここで書き尽くすことは到底できません。生活は確かに大変でしたが、すぐに慣れるものです。私が住んでいたアパートのそばに定食屋さんがありました。私は毎日外食でしたので、その店にも週1回は通っていました。その定食屋のおじさんが、雪の中を注文の料理を肩に担いで自転車を操る姿を見て、恐るべし、と心から思ったものです。あっという間に雪が積もるので、車のタイヤ交換はかなり上手になりました。12月の末に群馬に戻り、1月初めに新潟に行くわけですが、当時は高速道路がなかったので三国トンネルを走りました。あのあたりでもよくタイヤ(当時はスパイクタイヤ)交換したものです。 話しが逸れました。2月6日の雪の朝の出来事に話を戻しましょう。自宅から病院までの道は若干混んでいましたが、7時40分過ぎには病院に着いたと思います。その時に私が見た病院の駐車場での風景についてここに記させていただきます。20年以上原町赤十字病院に勤めていますので、毎年よくある光景と言っていいかもしれません。病院駐車場にはすでにたくさんの職員が雪かきをしていました。30名以上はいたでしょうか。とても寒い中、朝早くから大変な肉体労働です。これは明らかに自分のためではなく、病院に通院する患者さんのため、自分以外の他の職員のための行為です。現在災害救護に従事されている日赤の職員は多々います。その活動のように世間に対して強くアピールする行為ではないかもしれません。しかしその控えめな行為であるからこそ、災害救護活動と同じ、もしくはそれ以上の献身的な活動と思います。世の中にこういった善意があることを目の当たりにすると、とても幸せに感じます。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。 ところで私も早く病院に来てすればいいと思いながらも、靴下の中まで冷たい雪を感じつつ、いつものよう1時間ばかりランニングをしていました。どうもすみません

グリーフケアから考えること

2月3日の土曜午後、東吾妻町中央公民館で「グリーフケア」の研修会が開催されました。久しぶりの対面方式の研修です。吾妻郡内の医療介護の従事者、行政の職員など50名以上が参加しました。研修会そのものもよかったのですが、多くの人と直接話しができたことが何よりうれしいことでしたし、改めてその重要性を実感した次第です。 ところで「グリーフケア」という言葉をご存じでしょうか。あまり馴染みがないかもしれません。私自身も実はよく知りませんでした。研修会で得た知識ですが、「Griefグリーフとは、大切な人、モノを失った後に起こる、心的・身体的反応で一定期間続く。それをそっと支援すること」ということです。そっと支援というのは私自身の解釈です。吾妻郡では毎年800から900名の方がお亡くなりになります。私たちは「グリーフケア」にもっと関心を持つべきなのかもしれません。それは「心のケア」が中心であるべきですが、「生活の援助」も同じように大事なことです。医療介護従事者、行政が一体となって取り組むべき課題のひとつと考えます。 話しが変わりますが、先週原町赤十字病院のある職員から「生活者の視点」で患者さんをケアすることの重要性を指摘する意見がありました。とてもいい言葉だなあと、深く感銘を受けました。病院で働いていると、どうしても病気をよくすることに意識が向きがちです。「医療者の視点」としてそれは当然のことであり、大切なことです。ただしそこに「生活者の視点」を加えることで、さらに多くの重要な問題に気付くことができるかもしれません。グリーフケアとも関連することだと思います。 住民が医療に望むことは千差万別です。原町赤十字病院をはじめ、吾妻郡の医療機関のみで提供できる医療には限りがあります。すべての希望をかなえることはできないでしょう。しかし私たちはそれを卑下する必要はありません。吾妻のような地域だからこそできることがあります。それは「生活者の視点」で「生活を援助する」という考えのもとに、診療する、ケアする、サポートするということです。私たちの周りには様々な繋がりがあります。繋がりが乏しい方もいます。すべての方にそれぞれの生活があります。それを支える「生活者の視点」こそ、私たちに求められていることなのでしょう。吾妻ではきっとそれができると、私は信じています。