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新入職員歓迎会

4月26日、原町赤十字病院では5年ぶりの新入職員歓迎会が開催されました。病院内では今もマスク着用が義務つけられています。面会についてはだいぶ制限が緩和されたとはいえ、以前のように自由に病棟内を出入りすることはできません。この数年間、多くの医療や介護の従事者は、第三者に気軽に話すことができないような多くの苦労してきたことと思います。特に、保育園や学校に通うお子さんを持つ方々、医療や介護の支援を要する家族がいる方々にとっては、その肉体的、精神的負担はいかばかりだったかとお察しします。 昨年5月に新型コロナの扱いが5類になったことで、ようやく様々なイベントが可能となりました。原町赤十字病院でも、昨年秋に4年振りとなるイベント、日赤フォーラムを開催しました。しかしながら、病院全体だけでなく部署ごとの歓送迎会については中止としていました。施設の性質上、致し方がないことと判断したためです。この間に入職した職員の歓迎会は全く行われておりません。また退職された多くの職員の送別会も行うことができませんでした。その件については大変申し訳なく思うと同時に、残念なことでありました。もちろん歓送迎会を開催しなくても、私たちの普段の生活も、仕事内容も大きく変わることはありません。そして行わない生活が数年続くと、それに慣れてきてしまったとも言えます。 歓送迎会のようなイベントが苦手と思う人も多々いると思います。「無しでいいのではないか」という声もあるのも承知しています。ところで私自身の意見はどうかといいますと、このようなイベントは割と好きな方です。職場を同じくする人、共通の趣味を持つ人、親しい友人、一緒にいて楽しく感じる人、このような人たちとたわいのない雑談をすることは、悪くはないと思っています。というよりも、とっても意味のあることと信じています。気分転換にもなりますし、他人の普段とは異なる姿を見るのはとても楽しいことです。 今回の歓迎会には100名近い職員が参加しました。壮観でした。その光景を見るだけで感激しました。ところで「私たちの様子を住民の方々は見ているので、節度を持って楽しみましょう」などと偉そうなことを最初の挨拶で話しましたが、自分が一番節度をわきまえていなかったかな、とちょっと反省しています。以前よりずいぶん減ったとはいえ、こういった反省をいったい何度したことでしょうか。進歩があり

春の終わり

今年の3月は寒い日が多く、吾妻だけでなく前橋でも数回雪が降りました。ところが4月に入り急激に気温は上昇し、暖かいというより暑いと言ってもよいような日もありましたね。遅れていた桜の開花はやっと訪れたと思ったら、あっという間に満開になり、そして散り始めてしまいました。この季節は意識して敷島公園や前橋公園の中を走ります。早朝ですが、カメラをもって写真撮影をしている人も少なからずいます。この時期の特徴です。 それにしても、桜という花は何ともあわただしいものです。今年は開花に至るまでの期間が長かったこともあり、花を待ちわびる心もひとしおでした。     なにとなく春になりぬと聞く日より 心にかかる み吉野の山 西行 私は吉野には行ったこともありません。当然、吉野山の山桜を目にしたことはありません。西行に関する本はいくつか読んでいるとはいえ、その知識は乏しいものです。それでも吉野の山桜を十分想像することができます。吉野の桜は実際に現場に行くより、観念の中でその美しさを味わう方がよいのかもしれません。(もし行けば考えが変わるのでしょうか・・) ところで22日朝のランニング時には、桜はずいぶん散っていました。わずかに残る花びらも、その多くは風に乗って漂っていました。春の終わりを感じさせます。   さくら花 散りぬる風のなごりには 水なき空に 波ぞ立ちける 紀貫之 この歌については大岡信の卓越した批評があります。一瞬の影像をとらえながらも、それで完結するのではなく、むしろ意識の流れそのものとしてあらわれている、と、このようなことを述べています。この歌から水のない空にも波が立つのだと知りました。それが春の余波であり、春の名残りなのでしょう。 今年の能登の春は、そこに暮らす人々にどのような思いをもたらしているのでしょうか。 4月20日の午後、東吾妻町の役場で原町赤十字病院から派遣された救護班の活動報告がありました。日赤には「いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守る」という使命があります。救護に出向いた職員はもちろん大変だったでしょうが、はるかに大変なのはそこで生活する人たちです。能登で暮らす人たちが、少しでも良い方向に向かうよう心から願います。そして災害が少ないと言われる群馬でも、いつ何が起こるかわかりません。原町赤十字病院は災害拠点病院です。行政、保健所などと協力しながら、十

音楽コンサート

4月14日の午後、東吾妻町コンベンションホールで開催された、ソプラノ歌手の見角悠代さんたちによる音楽コンサートに行ってきました。このイベントを企画した方、すなわち実行委員会の代表の方と古くからの知り合いだったこともあり、私はこのコンサートを楽しみにしておりました。今回はそのことについて書きたいと思います。 会場は東吾妻町のコンベンションホールでした。最大432名収容可能の席がほぼ完全に満席だったことに、失礼ながら大変驚きました。このコンサートについては、私などよりはるかに楽しみにしていた方がこれだけいたのですね。まずこのことに素直に感激です。 そして肝心のコンサートの内容です。私は音楽が割と好きなので、何かをするときはほぼいつも音楽を流しています。もちろんこの文章を書く時も音楽が流れています。しかしそれは流れてくる音を意識しているわけではなく、音楽を正面から受けとめて聴いておりません。このコンサートは、心してしっかり聴きました。最近小林秀雄の音楽に関する評論をたまたま読みました。「音楽は音ではない、一つの意味である。耳の敏感性とは何ら関係がない、耳で聴くものではない、精神で聴くものだ」わかったような、わからないような小林独特の解釈ですが、なんとなく理解できるような気もします。(そのように感じているだけかもしれませんが)ただ今日のようなコンサートを現場で経験すると、音楽は間違いなく聴覚だけでの問題ではないと強く実感します。歌い手の振る舞い、歌うときの表情、そしてなんといっても指の動きの優雅さは、その場にいないとなかなかわからないものです。そしてそれが一つの記憶として残り、今後同じような曲を聴くたびに、それがどんな境遇であってもその時の記憶が呼び起こされ、思い出すことができるのかもしれません。それこそが精神で聴くということなのでしょうか。 ところで今回のコンサートは、様々な災害に対するチャリティーの意味もありました。原町赤十字病院や、私が代表を務めるNPO法人あがつま医療アカデミーも、東吾妻町や吾妻郡医師会とともにこのコンサートを後援という形で関わらせていただきました。それだけでも大変名誉なことでしたが、今回の収益の一部を震災復興支援の一部として役立ててくださいと、原町赤十字病院に対して義援金が送られました。関係者の皆様に改めて感謝を申し上げるとともに、音楽の力を改めて

三島由紀夫Vs高校生

たまたまラジオをつけたら、三島由紀夫が男子高校生と女子高校生の二人から質問を受けている番組が放送されていました。三島由紀夫は39歳、今から60年前の放送です。しゃべっている内容については、既にいくつかの書物等で読んでいたものでしたので決して目新しいものではありませんでしたが、三島由紀夫と当時の非常に優秀な高校生の対話に、思わず聞き入ってしまいました。心に残ったいくつかの話を紹介します。 体験について。私たちは誰でも毎日何らかのことを体験しています。ほんの些細な体験の中にでも何らかの意味を見出すこと、そしてそれを言葉という媒体で人に伝えること、それが作家の条件である、と述べていました。たぶんその通りだと思います。言葉で伝えるという後者の部分は、おそらく大きな才能と努力を要すると思われますが、前者については作家でなくとも私たちすべてに可能なことかもしれません。難しいことでしょうが、その体験をどう感受しどう生かすかは、私たち次第なのでしょう。 男女の考え方について、生き方について。これについては、私の表現能力では誤解を招く可能性が高くここでは記しませんし、記すことができません。三島由紀夫なりの考えだけでなく、60年前という当時の日本の風潮も多分に影響されることです。 愛について。愛とは社会からはみ出したもの、嫌悪されるもの、認められないものの中に純粋さが存在し、意味があり、たとえば近松門左衛門の心中物語を例に挙げ、それこそが文学のテーマとなると述べていました。文学者としての意見でしょう。その後女子高校生からは女性の恋愛について、また男子高校生からは同性愛について質問がありました。これらについてもここで記すことを控えますが、三島由紀夫は丁寧に答えていました。とても興味深かったです。 全体を通して思うことは、当時の高校生が今では考えられないくらい優秀で、様々なことを悩みながらも、自分の言葉で意見を言えるということに、とても感銘を受けました。たまたまこの番組に出ている二人がそうだっただけなのかもしれませんが。 文学を愛する者はそれほど多くはないかもしれませんが、老いも若きも、そしていつの時代にも存在します。文学を愛する一人の人間として、文学こそが人間の歴史の証であると、なんとなくですがそう考えています。

新しいことを始めてみませんか

新年の始まり と同様 、新年度の始めも心も体も引き締まり、私たち日本人にとって重要な時期 です 。学校の入学も、社会人として一歩を踏み出す時も4月であることがほとんどです。 自分の人生を振り返っても、ほとんどが4月に新たなページがめくられます。 何かが変わる時 です 。   原町赤十字病院にもこの4月に多くの仲間が加わります。彼ら、彼女らがきっと新たな息吹をもたらしてくれるでしょう。焦らず少しずつ慣れていって、いつか原町赤十字病院の一隅を照らす人材になることを願っています。   原町赤十字病院には、私を含め20年以上勤務を続けているベテランの職員も多数います。同じ組織にずっと属していると、 どうしても新人時代の向上心は薄れがちです。 私たちはそれなりの年齢ですので、 親がもし健在であれば そのために ご苦労されている方も多いと思います。そもそも自身も何らかの病を抱えながら仕事をしているという 方 も、少なからずいることでしょう。私の同級生 には すでに定年を迎えたものが多数います。 新たな ページをめくる季節 とわかっていても 、そんな余裕はありません、という人も多い かもしれません 。   しかも日々の仕事 が忙しければなおさらでしょう。若い方々 にして も 、 育児をしながら、あるいは親の介護をしながら仕事もしている人も 多い と思います。   話し は変わりますが、 能登半島地震で被災された方 より、 NHKラジオのある番組に 次のようなメッセージ が 投稿 され ました。 「前を向いて進んでください、という励ましの言葉 を 素直に受け入れられない」その言葉に対する多数のコメントが、同じ番組で 今朝 紹介されました。 ランニングをしながら聴いていたのでうろ覚えですが、いくつか を 紹介 します。   「病院でもよく前向きに考えていきましょうと言われ ます。 重い病気を抱えていれば前向きになれるはずがありません 。私もその言葉に違和感を覚えます 」   「右を向いても、左を向いても、後ろを向いても、それが自分にとって前になります。そんな気持ちで人生に向き合うのでよいのではないでしょうか」   「人間の体は前に顔があります。前向きになるというのはそのままの自分でいることです」   前向きになるという言葉は奥が深いですね。   気持ちに余裕を持てないという方 で も