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12月, 2023の投稿を表示しています

中学時代の記憶

記憶というものの正体がどういうものであるかよくわかりません が 、 私の場合 それは一つのスナップ写真のような映像として 、 心のどこかに納められているような気がしています。特に幼年時代から小学校、中学校時代については無数のスナップ写真が 私の心の中に あると感じています。しかしそれを上手に思い出すことはとても難しい。小林秀雄 が言うように、私たちは記憶するだけでは不十分で、それを時々思い出すことが、私たちをして人間たらしめる所以 である と言っても 言い過ぎで はないでしょう。   少年時代に焼き付いた映像 の多く は、何らかの心象と関りがあ ります 。美しい叙景として 記憶されているものはたくさんありますが、それらについてもその時の抒情的なものが伴っているようです。一方忘れてしまったものも多々あります。なぜ忘れてしまうの でしょう。 それを思い出そうとしないからなのでしょうか。   12月23日の土曜、中学校時代の 同級生計12名が集まり、尾島という小さな町で飲み会 が行われ ました 。 当時 私の母校であ る 尾島中学校は 、 尾島小学校から 同じメンバー140数名がそのまま中学に上がりましたので、 私たちは 9年間(保育園から数えると10年前後) ほぼ同じ 環境で年を積み上げてき たことになります 。卒業して45年以上の 歳月 が流れたわけですが、 私自身の根本は、この土地と同級生、 そして その当時の 様々な 経験や 心に残った 風景によって成り立っているのだと今さらながら実感します。年を重ね 多種多様な鎧を身に着けてしまいましたが、一皮むけば少年時代の小さな 恥ずべき悲しい人格が残るのみです。 当時の時代を同じ場所で過ごした 中学時代の同級生 だからこそ、彼ら彼女らとは 気楽に話ができるのかもしれません。そしてここでの会話 は 、忘れかけていたいくつもの記憶を思い出させてくれます。記憶はされてい た のです。それを自分の心 の中へ 導く道程に、いろいろな障害物が あっ ただけだったようです。これらをどかして道の掃除を してや ると、鮮やかに昔の記憶がよみがえって きます 。 楽しいことも悲しいこともです。   今回の会は4年ぶりでした。前回、還暦前に同級生全員による 大々的な 同窓会を 行おう という話 で盛り上がり ましたが、コロナのため実現しませんで

成田赤十字病院を訪問して

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成田赤十字病院ホームページより 成田赤十字病院の青墳信之先生からお声をかけていただき、12月13日の水曜に成田赤十字病院を訪れました。ところで青墳という字を読める人はいるでしょうか?「あおつか」と読みます。私自身も青墳先生にお会いして初めて知りました。全国でも極めて珍しい名前のようです。この苗字もさることながら、私にとっては「信之」という名前に惹かれました。私と同じです。「之を信じる」の信之という名前は決して珍しいわけではないと思いますが、今まで自分の身近に同じ名前の人はおりませんでした。そんな単純な理由で青墳先生には個人的に大変親近感を覚え、副院長時代から親しくさせていただいております。 話しは戻りますがその訪問した12月13日です。この日は朝から夕方まで雲一つない、完璧な晴天でした。青空の中にわずかに存在する雲にも趣はありますが、どこも見ても雲はありません。あれこそまさに、果てしなき広がる蒼穹といっていいでしょう。実に気持ちのいい日でした。おかげで車の運転での往復はずいぶん時間もかかりましたが、原町赤十字病院の看護部長と地域医療連携課長も一緒だったこともあり、道中とても楽しく過ごすことができました。 ところで成田まで遊びに行ったわけではありません。成田市の隣にある富里市より依頼を受け、アドバンス・ケア・プランニングに関する吾妻での活動の紹介と、カードを使ったゲームを行ってきました。私一人ではどうしようもなかったでしょうが、同行した二人が上手に仕切ってくれました。 成田赤十字病院内も医療社会事業課の関課長の案内で、十分見学させていただきました。成田赤十字病院は全国の赤十字病院の中でもトップクラスの病床数を持ちます。原町赤十字病院の3倍以上です。人口減少が著しい地方の中核病院が今後どうあるべきかというのは大変難しい問題ですが、都会にある(といっても失礼ですが大都会というわけではなさそうでしたが)大病院のあり方も、とても難しいことがよくわかりました。いずれにせよ私たちは、私たちに与えられている様々な力を結集して、地域住民のためによりよい病院になっていくことが最重要課題なのだ、ということを改めて強く実感した次第です

建礼門院右京大夫

建礼門院は平家物語の悲劇のヒロインですので、日本人であればほとんどの方がよく知っている人物だと思います。平清盛の娘にして、第80代天皇である高倉天皇の皇后です。壇ノ浦の戦いのとき、母親である二位尼と息子である安徳天皇の後を追って海に飛び込んだものの救い出され、その後出家し京都の寂光院で余生を送ったとされています。数年前に訪れましたが静かなところですよね。またいつか行って、手を合わせたいと思います。 ところで今回の話題は建礼門院右京大夫です。4,5年前に図書館に行った時、中国人である彭丹という女性が執筆した「いにしえの恋歌」という本が、たまたま私の目に留まりました。借りてもほとんど読まないことも多いのですが、この本はかなり面白かっただけでなく、無教養の私にはとても刺激になりました。本の内容は、簡単に言うと漢詩と和歌の比較です。この中で、北宋時代の中国人女性の李清照と建礼門院右京大夫の比較をしていました。その時から右京大夫は私にとって身近な存在になりました。(その後この本についてはもう一度借りて再読し、また右京大夫を描いた別の本も借りて読みました) 話しは変わりますが、日曜6時からNHKラジオ第2で「古典朗読」という番組があります。私は10年以上前からランニングをしながらこの番組を聞いています。ただし聞くといっても車が通ると聞こえなくなりますし、だいたいボーっとしているときが多いですのでほとんど頭には入っていません。この番組で、11月後半から「建礼門院右京大夫集」が取り上げられています。 建礼門院右京大夫は清盛の孫である資盛の恋人であり、たくさんの恋歌を歌っています。実は若き日の三島由紀夫は、この女性のある歌からインスピレーションを得てひとつの作品を書いています。十代の時です。とても信じられません。また彭丹の本の中では、建礼門院右京大夫について恋歌の巧みさを評価するだけでなく、星の美しさを表現した歌に注目しています。日本人は月を歌った名歌はたくさんありますが、実は星を描いた歌は少ないようです。   月をこそ眺めなれしか 星の夜の深きあはれを今宵知りぬる 今頃の季節に読んだ歌と言われています。

中之条町リレーマラソン

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12月3日の日曜、中之条町で開催された「中之条まちなか5時間リレーマラソン」に、日赤チームの一員として参加してきました。今までも数回参加し、非常に楽しかった思い出があります。しばらく中止が続いたため、4年ぶりの開催を心待ちにしておりました。今回は日赤として過去最高の4つのチームがエントリーしました。いつものように前橋日赤や日赤支部からも多くの職員(実は原町日赤よりも多い)が参加してくれました。前橋日赤救急科の小橋先生をはじめ、以前原町日赤で働いていた仲間たちとも久しぶりに再会できたことも、とても喜ばしいことでした。時々太陽が雲に隠れることもありましたが、風もほとんどない穏やかな一日で、ランニングをするには最高の一日だったと思います。 ところで走るという行為は、徹底的に個人に帰するものです。自分のペースで、好きな時に、誰かに負担を強いることもない、個人スポーツの典型です。私が走ることを好む理由もそこにあるのですが、私自身はもともと団体スポーツをしておりました。ですから団体スポーツの魅力も(厳しさも)よく知っています。走るという個人的なスポーツでも、今回のようにみんなで一緒に走り、しかも休んでいる時にとりとめのない話をするのは、団体スポーツではないのですが本当に楽しいですよね。私自身は早く走ることはできませんが、チームの皆さんに迷惑をかけないように、自分のベストを尽くすように走ることを心掛けました。しかもこの大会は走っている時に多くの人から声をかけてもらえるので、どうしても一所懸命に走らざるを得ないことも、つらいことではありますがやっぱり気持ちの良いものです。実は走ってみたいなあと思っている方、是非来年は一緒に走りましょう。 ところでこのリレーマラソンには悲しい思い出があります。9年前の大会の時、まさにこれからスタートとなる直前に病院から連絡が入りました。私たち外科医にとってはよくあることですが、そのまま緊急手術となりました。夕方電車で家路についたのですが、少しでも走りたいという気持ちだけは残っていましたので、渋川駅で下車し自宅までの約10kmを走って帰りました。その時私はかけがえのない経験をしました。上毛大橋を走っているとき、東から昇ってくる見事な満月が私を見守ってくれたのです。あの美しい月を忘れることはありません。