思ひ知れども 思ひ知られず
最近、ある女性二人による源氏物語の対談集を読みました。この中で、紫式部集の歌の一つが紹介されていました。 心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども 思ひ知られず 「かなふ」とは適う、思いがかなうとか理屈に合っている、道理にかなっている、とかいう意味になります。心だけでもどんな身の上にも合わせてもらいたいものだがやはり難しいのだろう 道理では分かっていても納得することができないし諦められない 言い方を変えると、人の気持ちとはどんな境遇になっても満足することができない 承知はしていてもやりきれない、といった意味になるのだと思います。 この歌は源氏物語に登場するほとんどの人物にも当てはまります。幸せのように見える人たちも、みな心の中に悩みや葛藤を抱えています。紫の上が手すさびで書いた自分の和歌を見て、「わが身には思ふこと(悩むこと)ありけりとみずからぞ思し知らるる」といった文章があります。(私自身が原文を読んだわけではなく、この対談集に書かれていたものです)自分自身の心の中とは自分でも案外気が付かないものですし、それがふとしたことで、そうだったのか、と得心がいくことは私たちも経験することです。 ところで今回なぜこのタイトルにしたか、です。1月29日の木曜の朝、私は大きなめまい発作に襲われました。初めての経験です。いつものように病院に来て病棟に行ったのですがどうもふらふらする。そのうち座っていることもできなくなり、さらに数回嘔吐してしまいました。目を開けることもできず、車椅子に座ることもできず、初めてストレッチャーに載り救急外来に連れていかれました。体の方は全く何もできない状態でしたが、頭の方は何ともなく、頭痛も腹痛も胸痛もないし、麻痺もないし、人の声も聞こえるし、嘔吐はあっても下痢はないし、アルコールも数日間飲んでいないし、これこそ自分が医師として救急外来で何度も経験した「めまい」というやつだな、と自分なりに判断していました。心は割と冷静でしたが、体の方は寝ていることしかできない、つまり心と体が適うことのない、思ひ知れども 思ひ知られずの状態です。ただし式部の歌は心が主体で、私の経験は体が主体ですので全く異なるのですが。そのままずっと寝ていたら夜になり少しずつ動けるようになり21時過ぎに夕食を摂取、その後も朝まで熟睡したところ翌朝にはだいぶ元気になり、最...