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群馬の古墳

7月11日の土曜、先月に続いて群馬県立女子大学で行われた群馬学の勉強に行ってきました。今回のテーマは群馬の古墳です。私が想像していた内容は、群馬の古墳と畿内の古墳との関係やその歴史的背景、大和王朝と群馬との当時の結びつき、さらに直接関連はありませんが群馬県内で読まれた万葉集に収められている歌などの解説もあればいいなあなどと考えていました。残念ながら期待は全く裏切られました。(事前に内容を確認すればわかることでしたが) 日本の古墳は4世紀から7世紀にかけて築造された古代の王や豪族の墳墓です。2019年の群馬県教育委員会の調査では、現在群馬では13,000基以上の古墳が確認されているようです。驚きです。専門家に指摘してもらえなければ、私たちはほとんどの古墳を認識できないでしょう。 ところで今回の内容は、その数多くある古墳がどのような形で現代まで生き残ったのか、というものでした。長きにわたって、これだけの多くの古墳が存在し続けた鍵は何なのか。考えてみれば実に不思議なことです。それは古墳が単なる古代の遺跡ではなく、それぞれの地域の中で人間たちが、古墳を何らかの形で利用してきたということでした。古墳の再利用ということです。たとえば、古墳の跡地が神社や民俗芸能の拠点になったり、あるいは物置や貯蔵庫、災害時の避難場所として使われたり、そしてごく一部の人たちにとっては信仰の場になった、つまり古墳を利用して新たな意義を見出し続けた、ということのようです。 形あるものは、通常長い年月の中で消滅してしまうものです。残り続けるためには何らかの力が働く必要があります。奈良や京都の多くの建造物が現在も存在するのは(火災などで消滅後再建されたものを含め)、人の力が加わっているからです。古墳が今も生き残っているのは、人の力が関与しているのは間違いありませんがそれだけではありません。それを生活の中にうまく溶け合わせ、本来の目的とは異なった形で利用し続けたためです。また古墳の多くはその形態が単純なマウンド上の高まりで、風景の中に生き続けたということも非常に重要な理由のひとつです。 現代を生きる私たちは、古墳から一つの教訓が得られるかもしれません。どんなものであれ、またどんなことであれ、それが長い間存在するためには、過去に囚われることなく、その時の状況に応じて柔軟に変化し続けることが大切なのだ、というこ...

小児科診療について考える

7月4日の土曜、原町日赤フォーラムが 東吾妻町コンベンションホールで 開催されました。 今回のテーマは「吾妻の子供たちの未来のために」です。 今年の4月より 、 原町赤十字病院に小児科医師である西澤拓哉先生が赴任し ました 。 群馬県には10の医療圏がありますが、小児科を専門とする医師が不在なのは吾妻医療圏のみであったことから、数年前から吾妻地域 へ の小児科医師の派遣を 様々な場で 依頼して き ました。 そして 群馬県、群馬大学小児科学教室、群馬県医師会などのバックアップにより 、今回の決定に至ったということです。   フォーラム前半は 、 小児救急について 西澤先生が 分かりやすく、 そして 優しい口調でお話ししてくれました。子育て中の親御さんたちにとってはとても有意義だったと思います。考えてみると私は医師になって38年になりますが、小児科の先生の話をじっくり聞いたのは初めてでした。自分自身もとても新鮮で、大いに勉強になりました。後半は吾妻郡医師会長である布施正博先生の司会で、吾妻の小児診療の課題や 期待 、そして吾妻の医療全般について、パネルディスカッションが行われました。 パネリストは群馬県医務課長の木村様をはじめ、長野原診療所の金子先生、東吾妻町保健センター長の藤岡様、原町小学校教諭の小池様、小学校保護者代表の本間様、そして原町赤十字病院小児科外来看護師の丸橋様 の6名 です。 子供のどんな症状に注意すべきか、夜間休日の救急対応、発達障害や外国籍のお子さんへの対応、 教育と医療の連携、 ワクチン接種、そして診療の現場においてはお子さんだけでなく親への対応がいかに大事か、などについて議論がなされました。布施先生が非常に上手に進行してくださり、とても良い ディスカッション であったと思います。なおこのフォーラムについては、7月5日の上毛新聞で取り上げていただきました。   さて、改めて小児科診療について考えてみたいと思います。 小児科診療には、現場でお子さんの病気を診るだけでなく、 地域 社会 の 将来に関わる重要な役割があると考えています。吾妻の15歳未満のお子さんは3600名程度です。この数は他の医療圏に比べて決して多いわけではありません。しかし子供が少ないから小児科は必要ないという考えには、どうしても賛成できません。一人一人の子供の健...

啓蒙の光がすべての幻を祓う日まで

世の中には様々な決まりごとがあります。法と言い換えてもいいかもしれません。法律と言われる「憲法」や「刑法」、「民法」、組織の中での「定款」や「規定」、昔からの習慣が社会ルールとして定着した「慣習法」。古くは「十七条憲法」や「大宝律令」などもありますし、海外では「マグナ・カルタ」が存在しました。 人間は法を想像することによって(もちろんそれだけではありませんが)社会を築くことができました。世の中の多々ある組織も様々な規定があり、それに基づいてその組織は成り立ちます。 法と似た言葉に「理法」というものがあります。物事の筋道にかなった法則、ということです。分かったような、分からないような説明です。たとえば「自然の理法」と言えば、「自然の法則、原理、摂理」といった意味になります。私たちは社会の中では存在する規範に従って、そして生活するうえでは理法に従って生きています。 ところが人間というものは、常にそれらに対して従順であるわけではありません。ふとしたことでそれらの矛盾を実感することもあれば、それが正しいとは思いながらも反感してしまうこともあります。そこには実はたいした理由もないこともあります。というより、ほとんどはまったく理由もなくそれらの法や規範を破ることの方が多いかもしれません。そして原因がわからない出来事が起こると、いつの間にか超越的な存在を作り出したり、あるいは因果とは何の関連もない存在もしない意思を見出そうとします。つまり私たちは、自分でも意識することなく幻を作り出してしまいます。 それは良いことなのでしょうか。それとも悪いことなのでしょうか。答えは明瞭です。良いとか悪いとかという問題ではなく、人間は本来そういうものです。そしてその本性によって、音楽や絵画、文学などの芸術が生み出されてきたと言って過言ではないでしょう。 今回のタイトルは、私がつい先日読んだある作家の短編から借用したものです。(正確には、啓蒙の光が、の後に、「、」がついています。それは相当の意味があるのでしょうがあえて外しました)共感するところがありで今回のタイトルとしました。人間は啓蒙によって、教育によって、あるいは洗脳によって自分自身の価値観が変化することはあるでしょうが、その人の心の中に存在する幻(意識している場合もありますが、無意識の世界に存在していることもあるでしょう)を完全に消滅させるこ...

壷坂観音霊験記

6月20日の土曜、群馬県立女子大学で人形浄瑠璃の公演がありました。人形浄瑠璃については、いつか鑑賞したいと思いながらもその機会に恵まれませんでした。正確には、機会は作ればいくらでもあったのでしょうが積極的にその機会を得ようとしなかった、というべきなのでしょう。テレビで時々放映される文楽の公演を録画して見ることはありましたが、いくら画質が良くなったとしても画面の中の世界にはなかなか集中できないものです。ここ数年、群馬交響楽団の演奏を生で鑑賞する機会があります。自分の全神経を注ぎ込んでその世界に没頭すること、聴覚だけでなく視覚的にも、そして会場の雰囲気を体全体で触れることこそが、広い意味での芸能を鑑賞するということなのだと思います。 今回の公演は沼田市の沼須人形芝居保存会あけぼの座による、「壷坂観音霊験記 山の段」というものでした。この公演が素晴らしいものであったかどうか私には判断しかねますが、少なくとも私の心に響くものがありました。常々感じていることですが、人の真心のようなものはしゃべって通じるものではなく、音楽を通じて、絵画を通じて、詩を通じて、人形を通じて、あるいはちょっとしたしぐさを通じて、つまり他の物に託してこそ可能なのではないか、ということです。それらはとても抽象的なものであり、その解釈は決して一つではないということも多分大切なことです。 公演前に群馬県立女子大の先生が、「浄瑠璃王国・ぐんまの文化力」というテーマでレクチャーをしてくださいました。群馬県内には8か所で人形芝居が伝承されており、また残念ながら伝承は途絶えてしまったものの道具が保存されているところも17か所あるということです。さらに道具は残されていないもののその存在が記録されているところはなんと22か所あるということでした。群馬は浄瑠璃王国であったというのもうなずけます。 この先生は大変興味深いことをおっしゃっていました。人形芝居は平野部より山沿いや山間に多く伝承されているということです。これらはいわゆる「小さな地域」といっていい場所です。ところが日本は経済的な合理性や豊かさを求め「大きな地域」を作るために行政区の合併を繰り返しました。その結果「小さな地域」が大きく変わりました。残した方がよいもの、残すべきものが消えつつあります。私たちは大事なものを見失いつつあるのかもしれません。 その先生がおっ...

節目

1か月以上前になりますが、5月1日の金曜、横浜市立みなと赤十字病院 開院20周年記念祝賀会が横浜で開催され出席しました。6月13日土曜には、渋川医療センター設立10周年記念式典が高崎で開催され出席しました。 私たちは生活するうえで様々な節目があります。人生の区切りとなる時期や出来事、これから何か新しいことが始まる、あるいは何かが変わるタイミングなどです。進学、就職、退職、還暦などはわかりやすいですが、目に見えない、他人は知らない、知ってほしくないごく個人的なことも、その人にとっては大きな区切り、つまり節目となることがあります。また新年や新年度、昇進や転職なども大きな節目です。組織においても開設10年や20年は一つの節目ですし、100年となればとても大きな節目です。私たちの生活は、あるいは所属している組織においても、日々の変化というものは実に些細なものです。ほぼ同じような日々が繰り返されます。節目があることで過去を振り返ることができます。そして未来に向けて新たな世界にチャレンジしていこうという気持ちにさせてくれます。節目を意識することで日々の生活に彩を与え、大袈裟に言えば、私たちが生きる意義を再構築してくれるものかもしれません。 令和9年、すなわち2027年は、日本赤十字社創立150年になります。明治10年(1877年)の西南戦争時に、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)らにより日赤の前身である博愛者が設立されました。そして明治20年(1887年)に日本赤十字社と改称されました。現在創立150周年プロジェクトが全国の日赤で展開されています。 そして原町赤十字病院です。開院は昭和27年、すなわち1952年です。来年の令和9年は創立75年となります。75という数字は節目としては若干インパクトに欠けるかもしれませんが、本社設立150年のちょうど半分でもあります。本社のプロジェクトに便乗して、原町赤十字病院でも何か良いキャッチフレーズを作って、何らかのイベントを行いたいと思います。その第一弾が来年1月24日の日曜に開催される「日本医療マネジメント学会群馬支部会」になるでしょう。たまたま私が当番会長を仰せつかったので、何らかの関連性を持たせようと思っています。 ところで私が代表を務める「NPO法人あがつま医療アカデミー」も来年は設立15年となります。日赤の10分の1の期間ですしま...

無限の前に腕を振る

6月6日の土曜、東京駅近くで大学ラグビー部 時代の仲間たちとの小さな 集まり がありました。東京で働くものだけでなく、私のように東京以外のところから来たもの も数名 いました。年齢でいうと一番上が私、一番下は私が6年生だった時の1年生で、すべて同じ時代に一緒にプレーをした仲間です。そして当然のことながら還暦前後ということです。卒業後始めて会うものもいて、非常に感慨深いものがありました。 それぞれ重要な立場 で働いていて 、しかも元気で、(一人はいまだに毎週のようにラグビーをしている)、話すことと言ったらやはり昔のことばかりで す。 40年前に 引き戻されましたが、途中からの記憶は少々あやふやです。   当時は皆それぞれの生活があり、事情 も あり、もちろん学校の実習があり、最低限の勉強もする必要がある中で、ほぼ毎日夕方 の同じ時間 に集まり、一つの目標のために汗を流していました。学校には行かなくても部活動の練習だけは誰一人休むことはなく、 怪我 のため練習に参加できなくてもグラウンドには必ず来ていました。誰だって調子の良くない時もあったと思われますが、不思議なことに病気で休んだという人の記憶もありません。練習は厳しかったのですが、終わった後に時々みんなで飲みに行くのは実に楽しいものでした。   6月7日の午後、ラグビートップリーグの決勝戦がテレビ中継されました。 途中から見始めたのですが、つい見入ってしまいました。レベルは全く異なりますが、私自身も大学時代に3回決勝戦を戦ったことがあります。すべて負けましたので優勝の喜びを知りません。しかし負け惜しみでなく、優勝できなかったことは実はそれほど重要なことではなく、優勝を目指して仲間たちと同じ時間を共有したこと、言い換えればトップを目標とするチームに所属していたことの方がはるかに大事であると確信しています。大学卒業後はそんな気持ちでスポーツに取り組むことはなくなりましたが、 その時の経験が今の私を心身ともに支えているのだと実感しています。   無限の前で腕を振る 中原中也のある詩の中の一節です。 その解釈は人によって、また同じ人でもその時々によってかなりの幅があります。目に見えない世界、理解できない世界、言語化できない世界が無限というものでしょうか。あるいは全く効率的でない世界というものも無限...

赤十字の精神

私たちは時々「何々の精神」という言葉を使います。特に改まった場面で使うことが多いかと思います。例えば「ラグビー精神」というものがあります。ボールゲームでありながら、試合中に実際にボールに触れている時間は実に少ないものです。驚くべきことでしょうが、試合中に1回しかボールに触れなかった、もしくは一度もボールにさわらなかったという選手も時々存在します。つまり試合中にやっていることのほとんどは、ボールに触れることのないサポートプレイです。味方のために体を張ること、これこそが「ラグビー精神」であると高校時代に教えられました。一見派手に見えるスポーツですが、地味なサポートプレイの中にこそ「ラグビー精神」の神髄があります。 「外科医の精神」というものもあります。私がこの世界に入った頃、外科医は365日、24時間、いつでもスタンバイの態勢をとらなければならないという指導を受けました。現代社会では全く通用しない理念ですが、この精神が自分自身を育ててくれた一因であるとも感じています。 ところで「何々の精神」という言葉です。ある人の精神と言えば、その人の考えや生き方などの象徴なのでしょうが、医療従事者の精神、教育者の精神、公務員の精神、はたまた親の精神、子供の精神、日本国民の精神、日本の精神、などと、実態があるようなないようなものまでも「何々の精神」と言います。翻って考えてみると、私たちが所属している集団の中で、自分自身の考えや態度、つまり自分自身の精神というのはあるのでしょうが、それは吹けば飛ぶような脆弱なものです。自分自身の弱い心を支え、倫理観を高め、冷静に責任感を持って物事に当たるための規範となり、その集団に帰属していることで安心感を与えてくれるものが「何々の精神」というものなのでしょう。それはその人がとるべき態度や立つ位置を示してくれます。 さて、今回のタイトルである「赤十字の精神」です。赤十字には基本原則があります。人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性の7つです。そしてこの基本原則をもとに、「苦しんでいる人を救いたいという思いを結集し、いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守ります。」というのが赤十字の使命であり、赤十字の精神と言えます。 この赤十字の象徴ともいえる、日本赤十字社の元社長であり国際赤十字・赤新月社連盟の元会長の近衛忠輝日本赤十字社名誉社長がご逝去さ...