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節目

1か月以上前になりますが、5月1日の金曜、横浜市立みなと赤十字病院 開院20周年記念祝賀会が横浜で開催され出席しました。6月13日土曜には、渋川医療センター設立10周年記念式典が高崎で開催され出席しました。 私たちは生活するうえで様々な節目があります。人生の区切りとなる時期や出来事、これから何か新しいことが始まる、あるいは何かが変わるタイミングなどです。進学、就職、退職、還暦などはわかりやすいですが、目に見えない、他人は知らない、知ってほしくないごく個人的なことも、その人にとっては大きな区切り、つまり節目となることがあります。また新年や新年度、昇進や転職なども大きな節目です。組織においても開設10年や20年は一つの節目ですし、100年となればとても大きな節目です。私たちの生活は、あるいは所属している組織においても、日々の変化というものは実に些細なものです。ほぼ同じような日々が繰り返されます。節目があることで過去を振り返ることができます。そして未来に向けて新たな世界にチャレンジしていこうという気持ちにさせてくれます。節目を意識することで日々の生活に彩を与え、大袈裟に言えば、私たちが生きる意義を再構築してくれるものかもしれません。 令和9年、すなわち2027年は、日本赤十字社創立150年になります。明治10年(1877年)の西南戦争時に、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)らにより日赤の前身である博愛者が設立されました。そして明治20年(1887年)に日本赤十字社と改称されました。現在創立150周年プロジェクトが全国の日赤で展開されています。 そして原町赤十字病院です。開院は昭和27年、すなわち1952年です。来年の令和9年は創立75年となります。75という数字は節目としては若干インパクトに欠けるかもしれませんが、本社設立150年のちょうど半分でもあります。本社のプロジェクトに便乗して、原町赤十字病院でも何か良いキャッチフレーズを作って、何らかのイベントを行いたいと思います。その第一弾が来年1月24日の日曜に開催される「日本医療マネジメント学会群馬支部会」になるでしょう。たまたま私が当番会長を仰せつかったので、何らかの関連性を持たせようと思っています。 ところで私が代表を務める「NPO法人あがつま医療アカデミー」も来年は設立15年となります。日赤の10分の1の期間ですしま...

無限の前に腕を振る

6月6日の土曜、東京駅近くで大学ラグビー部 時代の仲間たちとの小さな 集まり がありました。東京で働くものだけでなく、私のように東京以外のところから来たもの も数名 いました。年齢でいうと一番上が私、一番下は私が6年生だった時の1年生で、すべて同じ時代に一緒にプレーをした仲間です。そして当然のことながら還暦前後ということです。卒業後始めて会うものもいて、非常に感慨深いものがありました。 それぞれ重要な立場 で働いていて 、しかも元気で、(一人はいまだに毎週のようにラグビーをしている)、話すことと言ったらやはり昔のことばかりで す。 40年前に 引き戻されましたが、途中からの記憶は少々あやふやです。   当時は皆それぞれの生活があり、事情 も あり、もちろん学校の実習があり、最低限の勉強もする必要がある中で、ほぼ毎日夕方 の同じ時間 に集まり、一つの目標のために汗を流していました。学校には行かなくても部活動の練習だけは誰一人休むことはなく、 怪我 のため練習に参加できなくてもグラウンドには必ず来ていました。誰だって調子の良くない時もあったと思われますが、不思議なことに病気で休んだという人の記憶もありません。練習は厳しかったのですが、終わった後に時々みんなで飲みに行くのは実に楽しいものでした。   6月7日の午後、ラグビートップリーグの決勝戦がテレビ中継されました。 途中から見始めたのですが、つい見入ってしまいました。レベルは全く異なりますが、私自身も大学時代に3回決勝戦を戦ったことがあります。すべて負けましたので優勝の喜びを知りません。しかし負け惜しみでなく、優勝できなかったことは実はそれほど重要なことではなく、優勝を目指して仲間たちと同じ時間を共有したこと、言い換えればトップを目標とするチームに所属していたことの方がはるかに大事であると確信しています。大学卒業後はそんな気持ちでスポーツに取り組むことはなくなりましたが、 その時の経験が今の私を心身ともに支えているのだと実感しています。   無限の前で腕を振る 中原中也のある詩の中の一節です。 その解釈は人によって、また同じ人でもその時々によってかなりの幅があります。目に見えない世界、理解できない世界、言語化できない世界が無限というものでしょうか。あるいは全く効率的でない世界というものも無限...

赤十字の精神

私たちは時々「何々の精神」という言葉を使います。特に改まった場面で使うことが多いかと思います。例えば「ラグビー精神」というものがあります。ボールゲームでありながら、試合中に実際にボールに触れている時間は実に少ないものです。驚くべきことでしょうが、試合中に1回しかボールに触れなかった、もしくは一度もボールにさわらなかったという選手も時々存在します。つまり試合中にやっていることのほとんどは、ボールに触れることのないサポートプレイです。味方のために体を張ること、これこそが「ラグビー精神」であると高校時代に教えられました。一見派手に見えるスポーツですが、地味なサポートプレイの中にこそ「ラグビー精神」の神髄があります。 「外科医の精神」というものもあります。私がこの世界に入った頃、外科医は365日、24時間、いつでもスタンバイの態勢をとらなければならないという指導を受けました。現代社会では全く通用しない理念ですが、この精神が自分自身を育ててくれた一因であるとも感じています。 ところで「何々の精神」という言葉です。ある人の精神と言えば、その人の考えや生き方などの象徴なのでしょうが、医療従事者の精神、教育者の精神、公務員の精神、はたまた親の精神、子供の精神、日本国民の精神、日本の精神、などと、実態があるようなないようなものまでも「何々の精神」と言います。翻って考えてみると、私たちが所属している集団の中で、自分自身の考えや態度、つまり自分自身の精神というのはあるのでしょうが、それは吹けば飛ぶような脆弱なものです。自分自身の弱い心を支え、倫理観を高め、冷静に責任感を持って物事に当たるための規範となり、その集団に帰属していることで安心感を与えてくれるものが「何々の精神」というものなのでしょう。それはその人がとるべき態度や立つ位置を示してくれます。 さて、今回のタイトルである「赤十字の精神」です。赤十字には基本原則があります。人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性の7つです。そしてこの基本原則をもとに、「苦しんでいる人を救いたいという思いを結集し、いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守ります。」というのが赤十字の使命であり、赤十字の精神と言えます。 この赤十字の象徴ともいえる、日本赤十字社の元社長であり国際赤十字・赤新月社連盟の元会長の近衛忠輝日本赤十字社名誉社長がご逝去さ...

群馬NST研究会

5月23日の土曜、群馬県公社総合ビルにおいて第34回群馬NST研究会が開催されました。NSTとはNutrition Support Teamの略で、日本語では栄養サポートチームと言います。あらゆる病気の治療は、病気そのものの治療に加え、栄養補給の面からもサポートが必要です。特に高齢の方や併存疾患を持っている方に対しては、病気の治療と同等、もしくはそれ以上に栄養サポートが重要になります。そのために医師や栄養士、看護師、薬剤師、理学療法士などの多職種での関与が極めて大切であり、NSTは最近では当たり前となったチーム医療の先駆けでもあります。 今回の群馬NST研究会の当番世話人は太田記念病院救急科の小橋大輔先生でした。数年前には原町赤十字病院の救急科部長として吾妻の救急医療の発展にご尽力いただいております。小橋先生は日本版重症患者の栄養療法ガイドライン検討委員会のメンバーの一人でもあり、救急現場での栄養療法の意義について全国の錚々たる有識者とともにガイドライン2024の作成に深く関与しています。今回の研究会のテーマは「はじめが肝心、亜急性気につなげる入院早期からの栄養管理」で、急性期の栄養管理に関する演題が多数でした。私がNSTに関わり始めた2005年頃は、NSTと言えば消化器外科に関する話題、特に手術前後の周術期管理が大半でしたが、その後は慢性疾患、さらに整形外科疾患、そして超急性期の栄養補給など実に幅広く栄養の重要性が叫ばれています。今回の特別講演1では、心不全のマネジメントとして栄養アセスメントと適切な栄養補給を欠くことはできないと、群馬大学循環器内科の小保方勝先生が力説しておりました。栄養状態がよくなることですべてが解決するわけでもありませんが、どんな病態でも栄養という側面からも患者の病態を観察することは、私たち医療者にとって必須なことと言えます。 今回の一般演題の最後は、原町赤十字病院5階病棟看護師の片山さんの発表でした。原町赤十字病院の循環器内科医師は非常勤ですが、心不全の診断で入院となる患者さんは少なからず存在します。片山さんの発表は心不全で入院となった患者さんを栄養の面から詳細に検討し、その課題を見出しさらに今後の対応を考察していました。私自身も大変勉強になりました。発表した片山さんだけでなく、この発表に関わったすべての皆さんに敬意を称したいと思います。 ...

クイズです

Aは男でBを見ている。BはCを見ている。Cは女だ。さて、この三人において、男は女を見ているか? 1.見ている 2.見ていない 3.どちらかわからない ある学校のクラスで、ある教師が一つのルールを作りました。 「すべての授業が終わった後、帰宅する前に教室内のゴミを十個拾い、教師の前のゴミ箱に捨てる」 生徒たちは、ゴミを10個に分解するようになりました。そこで教師はごゴミ分解するのを禁止とするルールを作りました。 すると生徒たちは、授業中に自分の足元にゴミを捨てておくようにしました。その結果、以前より教室は汚れてしまいました。そこで教師は床にゴミを捨てるのは禁止というルールを作りました。 身なりの良くない生徒が一人いました。その生徒は歩くだけでゴミが落ちてしまいます。その生徒は「移動のたびに床にゴミを捨てている」という理由で虐められました。教師が諫めると、生徒たちは「ルール違反を指摘しているだけだ」と言い訳しました。 さて、この教師は最初に定めたルールを守るために、どのようなルールを設定したでしょうか。 最初のクイズはよく考えればわかるかと思います。回答を記しませんが、Bが男である場合と、Bが女である場合を考えると、必然的に答えが導き出されます。 後半のクイズは結構難しいかもしれません。ヒントは、確かにこの方法を採用すれば、間違いなく明瞭にゴミはなくなる、ということです。 ところで前半のクイズです。こういった質問は今後どうなっていくのでしょうか。現在は、ヒトを男女に分けて物事を考えることがあまりよくないとされています。つまり男と女を分けない考え方が主流ですし、実際にどちらとも言えないヒトも増えてきているようです。 後半のクイズは、世の中の仕組みというものを考える、もっと大げさに言うと歴史を考える上で、私たちに多くの示唆を与えてくれます。 なおこれらのクイズは、ある小説の中に書かれたものを一部抜粋(少し変更)したものです。どうしても回答を知りたいと思う人は、私に直接尋ねてください。

原則禁止と全面禁止 本則と付則

「原則禁止ということにしましょう」とか、「ルールはルールとして臨機応変に対応しましょう」とか言う文言を、私は様々な委員会や会合などでよく使います。私だけでなく、他の方がこのような発言をすることもしばしば耳にします。この文言の裏には、当然例外というものはありますよ、という意味を含んでいます。似たような言葉に「全面禁止」というものがあります。「原則禁止」とは全く異なります。いっさいの例外を認めない、極めて強い言葉です。例を一つ挙げましょう。昭和の時代から平成の初めにかけて、病院内でも喫煙は可能でした。灰皿は至る所にありましたし、職員も仕事をしながら喫煙する姿を特に違和感なく目にしました。それがいつしか病院内禁煙、そして病院敷地内禁煙、つまり喫煙は「全面禁止」となりました。これが「原則禁止」だったら様々な問題が起こることは容易に想像されます。しかし何らかの決まりやルールを作る際、それはあまりよくないな、禁止にした方がいいだろう、ということで何でもかんでも「全面禁止」としたら、これはこれで大きな問題が起こることも同じように容易に想像されます。 「原則禁止」という文言は、「和を以て貴しとなす」とされる日本文化にはとても馴染みやすいものだと思います。原則はしっかり守ってくださいと言いながら、初めからある程度の例外を認めています。「原則禁止」という文言をルールに入れるのであれば、そしてそのルールが重要なものであれば、どのようなことが例外か、そしてその例外を認めるのは誰か、ということについてもある程度決めておく必要があるかもしれません。 本日のタイトルの後半の「本則と付則」についてです。私は「群馬NST研究会」の代表を務めています。代表に就任した際、その会則を一部修正しました。また「NPO法人あがつま医療アカデミー」の代表も務めていますが、この定款も数年前に一部修正しました。ともに総会での中で承認を得たうえで決定されたことです。その中には本則と付則が存在しますが、改定の際にその違いや重要性について熟慮することは全くありませんでした。 今回なぜこのようなタイトルにしたか、改めて説明するまでもないことと思います。再審開始決定に対する検察官の不服申し立て(抗告)に関する法務省と政府与党との議論が、現在まさに行われているからです。その議論の中で「原則禁止と全面禁止 本則と付則」の問題が度々...

春の日の夕暮れ

夕暮れは毎日やってくるものですが、季節によってその感慨は異なるものです。日本では古くから秋の夕暮れを読んだ名歌がたくさん存在します。秋の夕暮れは、空気の冷え込みとともに草木は燃え、そして枯れ始めます。この自然の移り変わりが人の心に寂寥感や無常観を引き起こし、多くの歌人たちが歌の題材にしてきました。ところが春については、その夕暮れ自体を対象として読まれた歌は、私の勉強不足もあるのでしょうがどうも少ないような気がします。 私は仕事を始めて以来、夕暮れ時間に外を眺めることが実に少なくなっています。したがって夕暮は、過去の記憶に直接つながることもあります。だからでしょうか、時々目にし、自らの体で体験する夕暮れは、その時の自分自身の心身の状態にもよりますが、様々な感情を呼び起こします。その中でも春の夕暮れは、他の季節にはない、やわらかさ、曖昧さ、はかなさを感じさせます。 中原中也の代表作に「春の日の夕暮れ」という詩があります。彼が17歳の時に書いたとされています。語句だけにこだわると、訳がわからず袋小路に入り込んでしまったような気分になる詩です。しかし何度も繰り返し読むと、春の穏やかな風景とともに、漠然とした不安、理由のはっきりしない寂しさを表現しているのだなと感じることができます。自分自身の十代後半頃の心情にも重なります。私は春の日の夕暮れを眺めると、時々この詩が心に浮かんできます。ここに紹介します。 トタンがセンベイ食べて  春の日の夕暮は静かです  アンダースローされた灰が蒼ざめて  春の日の夕暮は穏かです  あゝ、案山子はないか―あるまい  馬嘶くか―嘶きもしまい  ただただ月の光のヌメランとするまゝに  従順なのは 春の日の夕暮か  ポトホトと野の中の伽藍は紅く  荷馬車の車 油を失ひ  私が歴史的現在に物を云へば  嘲る嘲る 空と山とが 瓦が一枚 はぐれました  これから春の日の夕暮は 無言ながら 前進します 自らの 静脈管の中へです