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地域医療の未来が輝くために

ここ数年、地域医療にまつわる様々な問題について報道されることが多くなったと感じています。その一番の理由は、日本の病院の多くの経営状態が必ずしも良好でない、ということでしょう。特に地方にある病院はその傾向が顕著です。病院の職員が怠けているから経営が悪いのであれば全く言い訳ができませんが、多くの病院はそんなことはありません。おそらくどこの病院でも、少しでも経営がよくなるよう努力しています。ではなぜ病院は赤字になってしまうのでしょうか。 いくつかの要因があります。 一つ目は人口動態の変化です。どこの地域でも、都会から離れれば離れるほど人口減少が進んでいます。日本の人口が減るということは日本の歴史上初めてのことであり、しかもそのスピードは驚くべき早さです。人口減少は病院を受診する患者の減少につながります。私が原町赤十字病院に勤め始めた1999年には7万人を超えていた吾妻の人口は、現在5万を下回っています。 二つ目は医療材料の高騰化です。医療に関する器具や装置などは、とてつもなく高価になっています。古くても大事に使えば長持ちすると思いがちですが、医療器具となるとそんなわけにはいきません。故障しても修理はできないなどの理由で、定期的に新規購入せざるを得ません。例えば電子カルテの更新も数年ごとに求められますが、その費用も原町赤十字病院規模でも数億円が必要になります。 三つめは医師の偏在です。ほぼ毎年同じ数の新しい医師が誕生しているわけですが、都会で働くことを選択する医師の割合はどうしても高くなります。さらにどの分野でも専門性が求められ、様々な疾患に対応できる医師(あるいは対応しようとする医師)が相対的に少なくなっており、地域の病院の医師不足の一因となっています。 四つ目は看護師の絶対的不足に加え、やはり地域偏在です。看護師を職業として選択しようとする若者が年々減り、日本の多くの看護学校が定員割れに陥り看護学校の存続自体も問題になっています。また看護師になっても、医師同様に(すべての職種に言えることですが)都会志向であり、地方の病院を選ぶ人数は少なくなっています。 五つ目は施設や様々な備品の老朽化です。原町赤十字病院は今年築25年となります。外見上は問題ないように見えても、内部の多くの備品や電気系統の器具は定期的な修理が必要となります。これらには毎年莫大な出費が伴います。 六つ目は...

自分の感受性くらい

最近NHKラジオで、詩人の茨木のり子を取り上げた番組が2回にわたって放送されました。1回目は気がつかず聞くことはできませんでしたが、2回目については聴き逃しサービスでぎりぎり聞くことができました。 私は好んで詩を読むことはなかったのですが、40歳を超えてからたまに図書館で借りるようになり、いくつかの詩を時々読んでいます。茨木のり子の詩もそのうちの一つであり、私の好きな詩人の一人です。茨木のり子の生まれは大正15年(1926年)で今年は生誕100年です。亡くなったのは平成18年(2006年)2月17日でちょうど20年前になります。 今回私が聴いたラジオでは、2004年にNHKラジオ番組で放送された77歳の彼女の声とともに、彼女の代表作である「わたしが一番きれいだったとき」「清談について」「自分の感受性くらい」「倚りかからず」が紹介されました。 茨木のり子の詩は平明な言葉を使い、断定的な表現が多く、とても強い柱を持った人というイメージがあります。聴き手のアナウンサーが「自分の感受性くらい」を朗読しました。読めば自分自身が励まされている、しっかりしろよ、と言われているような詩です。この詩について、彼女自身が語っていました。「自分は決して強い人間ではない、むしろ弱い人間である この詩は人のために、他人を励ますために書いたものではない この詩は自分自身を励ましているのだ」そして戦争中の経験を語ります。「当時、美しいものは悪であると教育を受けた 美しいものを求めるのは非国民である 美しいものに対して自ら蓋をしてしまった 今になって思うと、美しいものを美しいと感じる感性、感受性は正しかった それは大事にすべきものである」 「自分の感受性くらい」の詩を紹介します。自分を叱咤激励するために書いたということですが、やはり私たちの心に響きます。そしてやはり励まされます。 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

少年が来る

「内田、世界が変わるぞ」   高校2年の10月、つまり1979年(昭和54年)の秋、私の隣の席の友人が発した言葉です。当時の韓国の大統領 である 朴正熙氏が暗殺され た 事件 を踏まえた うえでの 発言でした。新聞の一面に大きく掲載されそれが大事件であることは理解できましたが、直ちに世界の変化につながる自覚は全くありませんでした。実際私自身の生活は何一つ変わることはありません。ただこの友人の言葉は ずっと私の心の中のある部分を占めています 。それはその事件の重要性よりも、その事件を受け世界が変わるぞ、と口にするその友人の 社会に対する 見識 に 対して 、 当時の私が 驚き その友人に少しばかり尊敬の念を抱いたこと、 言い方を変えれば 私 をして社会に対して いかに 無関心、 無知だったこと を 知らしめた こと によるものだったと思います 。   その翌年の1980年(昭和55年)の5月、いわゆる光州事件が起こりました。この事件は私が高校3年の時です。韓国の歴史にとって、そして世界史的にもこれほど重大な事件について、当時 の私 は全く 記憶がありません 。 それは私の社会に対する常識の 欠如でもあるのですが 、厳しい報道規制があったことも理由の一つなの だと思います。   私自身が年を重ね、光州事件についておぼろげながらその実体の一部を知るようにな りました。 また近年韓国の文学が日本の新聞で紹介されることが多くなったこともあり、 韓国 の 文学 や歴史 に 関心を抱くように も なりました。1,2年前から 群馬 県立図書館 の 韓国文学のコーナーにある本を(蔵書数は少ないのですが)時々借りては読んでいました。 そして読めば読むほど、韓国の文学 と 韓国の歴史 が 切っても切り離せない深い関係にあるということを実感します。   光州事件を題材にした ハン・ガン氏の「少年が来る」を やっと借りることができ、 最近 読 み通 すことができま した。 人間とはどうしてこんな残虐なことができてしまうのか 。 これほどの暴力と抑圧の中においてどうして 人間は 誠実さを失わないでいることが可能な の か。そして人間が集団になると、 良いことであれ悪いことであれ、なぜ極端な方向に向かって しまうのか。   集団でものを考えること、...

思ひ知れども 思ひ知られず

 最近、ある女性二人による源氏物語の対談集を読みました。この中で、紫式部集の歌の一つが紹介されていました。 心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども 思ひ知られず 「かなふ」とは適う、思いがかなうとか理屈に合っている、道理にかなっている、とかいう意味になります。心だけでもどんな身の上にも合わせてもらいたいものだがやはり難しいのだろう 道理では分かっていても納得することができないし諦められない 言い方を変えると、人の気持ちとはどんな境遇になっても満足することができない 承知はしていてもやりきれない、といった意味になるのだと思います。 この歌は源氏物語に登場するほとんどの人物にも当てはまります。幸せのように見える人たちも、みな心の中に悩みや葛藤を抱えています。紫の上が手すさびで書いた自分の和歌を見て、「わが身には思ふこと(悩むこと)ありけりとみずからぞ思し知らるる」といった文章があります。(私自身が原文を読んだわけではなく、この対談集に書かれていたものです)自分自身の心の中とは自分でも案外気が付かないものですし、それがふとしたことで、そうだったのか、と得心がいくことは私たちも経験することです。 ところで今回なぜこのタイトルにしたか、です。1月29日の木曜の朝、私は大きなめまい発作に襲われました。初めての経験です。いつものように病院に来て病棟に行ったのですがどうもふらふらする。そのうち座っていることもできなくなり、さらに数回嘔吐してしまいました。目を開けることもできず、車椅子に座ることもできず、初めてストレッチャーに載り救急外来に連れていかれました。体の方は全く何もできない状態でしたが、頭の方は何ともなく、頭痛も腹痛も胸痛もないし、麻痺もないし、人の声も聞こえるし、嘔吐はあっても下痢はないし、アルコールも数日間飲んでいないし、これこそ自分が医師として救急外来で何度も経験した「めまい」というやつだな、と自分なりに判断していました。心は割と冷静でしたが、体の方は寝ていることしかできない、つまり心と体が適うことのない、思ひ知れども 思ひ知られずの状態です。ただし式部の歌は心が主体で、私の経験は体が主体ですので全く異なるのですが。そのままずっと寝ていたら夜になり少しずつ動けるようになり21時過ぎに夕食を摂取、その後も朝まで熟睡したところ翌朝にはだいぶ元気になり、最...

健康とは何か?

あなたは今、健康ですか? この質問にあなたはどう答えるでしょうか。健康である、と断言する人もいるでしょうし、いや、今は健康ではない、と答える人もいるでしょう。あるいは健康のような気もするが、健康だと言い切ることはできないな、と思う人もいると思います。全く健康ではない、と答える人もいるでしょう。そもそも健康とは何でしょうか。 大きな病気を経験したことのなく普段の生活に何の支障もない方であれば、病気ではない状態こそが健康であると答えるかもしれません。大きな病気を経験してもそれを乗り越えた方であれば、自分は健康であると答える方はそれなりにいるでしょう。それでは高血圧や糖尿病などの病気の治療中の方は健康と言えるのでしょうか。さらに言えば悪性疾患の治療中の方はどうでしょうか。あるいは何らかの障がいを抱えている人はどう考えるでしょうか。こんなことを考えると、健康であるとは何も身体的な問題で割り切れるものではないということがわかります。 1948年に採択されたWHO憲章の前文では、「健康」を次のように定義しています。 「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」 私たちは「心身ともに健康」といった表現を用います。つまりWHO前文に記載のある、「肉体的にも精神的にも」というところは理解できます。最後の「社会的に」という部分はどう思いますか。人によっては違和感のある方もいるかもしれません。私自身も何の知識もなくこの前文を読めば、社会的に健康とは何なのだろう、と感じるところです。 1月24日の土曜、東吾妻町中央公民館で吾妻郡医師会とNPO法人あがつま医療アカデミーおよび吾妻郡の6町村などの共催で、あがつま医療フォーラム2025 冬が開催されました。第1部の講演では、群馬大学大学院医学系研究科 総合医療学教授の小和瀬桂子先生に【健康格差をもたらす「健康の社会的決定要因」にどのように向き合うか】というタイトルでお話をしていただきました。「健康の社会的決定要因」とはSocial Determinant of Health : SDH と呼ばれるものです。SDHについてこの文章の中で説明することはできませんが、健康には間違いなく社会的要因が関与しており、私たち医療や介護に従事する者は、普段からこれを意識する必要が...

頼むから静かにしてくれ

どこにでもいるごく当たり前の、そして良心的に生きようと努力している人が、何らかの原因によって、それはおそらくほんのわずかな欠陥のせいで、やはりどこにでもあるような人生の落とし穴に落ち込んで、にっちもさっちもいかなくなっている。(この文章はある作家の文章を一部引用しています)こんな光景は、誰でも目にしたことがあるのではないでしょうか。というより、誰もが経験していると言った方が適切かもしれませんね。落とし穴に落ちても這い上がれればいいのですが、最初はほんのわずかな窪みだったはずが、知らぬ間に蟻地獄の巣のようになってしまうこともあります。 人は時間を持て余すと、様々ななことをあれこれ考えすぎる傾向にあります。考えすぎることが悪いわけではないのでしょうが、そのちょっとした考えが誤解を生み、小さな落とし穴に入り込んだことをきっかけに他人との関係を気まずくしてしまうことは、私たちにはよくあることです。話が変わりますが、働き方改革は私たち自身が自由に使える時間を確かに増やしました。おかげでいろいろなこともできるし、考える時間も以前よりも増えました。それは良いことのように見えますが、実はその得られた時間を上手に使いこなすことは、実はかなり難しいことです。 私たちの日々の生活には、常に不条理な要素が紛れ込んできます。如何ともし難いこれらの不条理に知性や理性だけで解決しようと思っても、なかなかうまくはいかないものです。上手にいなすことができれば良いのでしょうが。あるいは見て見ぬふりをするというのも一つの方法かもしれません。いや、そんなことは自分の良心が許さない、真っ向から対決だ、という選択をしなくてはならないこともあるでしょう。特に正解があるわけではありません。 年末年始はいつもより自由にできる時間が増えましたので、その分私は普段より多くの本を読むことができました。今回のタイトルはいくつか読んだ本の中で、最もインパクトのあるタイトルを借用しました。今回の文章はその感想のようなものです。 頼むから静かにしてくれ Will you please be quiet, please? 口に出すのは憚られても、このような言葉を発したいときは誰でもありますよね。ただ単に周りがうるさいからというのではなく、とても悲しい時、何かについて考えを巡らしている時、反省している時、蟻地獄の巣の中に落ち込んでし...

全国大学ラグビー選手権決勝

1月11日の日曜、全国大学ラグビー選手権の決勝がありました。今回は早稲田と明治による決勝です。優勝回数の第1位は早稲田で16回、2位が明治で13回(帝京も13回)であり、まさに大学ラグビー伝統校同士の一戦となりました。 自分がラグビーに熱中していた高校大学時代、つまり昭和50年代から60年代、横の早稲田(ボールをバックスに展開しグランドを自由自在に走り回る)と、縦の明治(強いフォワードを中心にゴールラインに向かって直線的に走る)というように、全く異なるチームスタイルでした。監督についても数年ごとに変わる早稲田に対して、明治は北島忠治氏が昭和4年からずっと監督を務めていました。それぞれの戦略についても、定期的に監督が代わる早稲田では基本的に横への展開を重視しながらも常に変化していくのに対し、明治では北島監督の言葉として知られる“前へ”というスタイルを徹底的に貫き通しました。もちろん今では両校ともに昔のスタイルに固執することは全くないのでしょうが、大学ラグビーの伝統校である2校が選手権の決勝まで勝ち上がってきましたので、久しぶりにテレビ観戦しました。両チームの選手たちはともに激しく熱のこもったプレーを見せてくれ、結果は明治大学が7年ぶりの大学日本一に輝きました。明治大学の関係者、応援していた方、おめでとうございます。試合終了時のノーサイドの瞬間は、いつ見てもすがすがしいものですね。 ところで全国大学ラグビー選手権の決勝には忘れられない思い出があります。私の高校時代、ラグビーは人気スポーツの一つになりつつありました。高校3年の1月、ラグビー部ではないラグビー好きな友人たちに誘われ(確か7,8人くらい)、太田駅から電車に乗って国立競技場まで試合観戦に行ったことがあります。その1週間後には共通一次試験という大学受験のための試験があり、ほとんど皆受けることになっていました。(私は国立のみ受験するつもりでしたのでかなり大事な試験でした)ですから何もそんな時に行くのは相当間抜けな話で皆不安を抱えていたはずですが、そんな気持ちを表出する者はなく(いたかもしれませんが覚えていません)、つまり若者特有の見栄もあったでしょうし、実際それだけラグビー好きだったということでもあります。私を含め全員受験は失敗し、つまり挫折を経験し、ほとんどは東京で予備校生活を送りました。その後皆大学を入学卒業し...