投稿

春の終わり

今年の3月は寒い日が多く、吾妻だけでなく前橋でも数回雪が降りました。ところが4月に入り急激に気温は上昇し、暖かいというより暑いと言ってもよいような日もありましたね。遅れていた桜の開花はやっと訪れたと思ったら、あっという間に満開になり、そして散り始めてしまいました。この季節は意識して敷島公園や前橋公園の中を走ります。早朝ですが、カメラをもって写真撮影をしている人も少なからずいます。この時期の特徴です。 それにしても、桜という花は何ともあわただしいものです。今年は開花に至るまでの期間が長かったこともあり、花を待ちわびる心もひとしおでした。     なにとなく春になりぬと聞く日より 心にかかる み吉野の山 西行 私は吉野には行ったこともありません。当然、吉野山の山桜を目にしたことはありません。西行に関する本はいくつか読んでいるとはいえ、その知識は乏しいものです。それでも吉野の山桜を十分想像することができます。吉野の桜は実際に現場に行くより、観念の中でその美しさを味わう方がよいのかもしれません。(もし行けば考えが変わるのでしょうか・・) ところで22日朝のランニング時には、桜はずいぶん散っていました。わずかに残る花びらも、その多くは風に乗って漂っていました。春の終わりを感じさせます。   さくら花 散りぬる風のなごりには 水なき空に 波ぞ立ちける 紀貫之 この歌については大岡信の卓越した批評があります。一瞬の影像をとらえながらも、それで完結するのではなく、むしろ意識の流れそのものとしてあらわれている、と、このようなことを述べています。この歌から水のない空にも波が立つのだと知りました。それが春の余波であり、春の名残りなのでしょう。 今年の能登の春は、そこに暮らす人々にどのような思いをもたらしているのでしょうか。 4月20日の午後、東吾妻町の役場で原町赤十字病院から派遣された救護班の活動報告がありました。日赤には「いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守る」という使命があります。救護に出向いた職員はもちろん大変だったでしょうが、はるかに大変なのはそこで生活する人たちです。能登で暮らす人たちが、少しでも良い方向に向かうよう心から願います。そして災害が少ないと言われる群馬でも、いつ何が起こるかわかりません。原町赤十字病院は災害拠点病院です。行政、保健所などと協力しながら、十

音楽コンサート

4月14日の午後、東吾妻町コンベンションホールで開催された、ソプラノ歌手の見角悠代さんたちによる音楽コンサートに行ってきました。このイベントを企画した方、すなわち実行委員会の代表の方と古くからの知り合いだったこともあり、私はこのコンサートを楽しみにしておりました。今回はそのことについて書きたいと思います。 会場は東吾妻町のコンベンションホールでした。最大432名収容可能の席がほぼ完全に満席だったことに、失礼ながら大変驚きました。このコンサートについては、私などよりはるかに楽しみにしていた方がこれだけいたのですね。まずこのことに素直に感激です。 そして肝心のコンサートの内容です。私は音楽が割と好きなので、何かをするときはほぼいつも音楽を流しています。もちろんこの文章を書く時も音楽が流れています。しかしそれは流れてくる音を意識しているわけではなく、音楽を正面から受けとめて聴いておりません。このコンサートは、心してしっかり聴きました。最近小林秀雄の音楽に関する評論をたまたま読みました。「音楽は音ではない、一つの意味である。耳の敏感性とは何ら関係がない、耳で聴くものではない、精神で聴くものだ」わかったような、わからないような小林独特の解釈ですが、なんとなく理解できるような気もします。(そのように感じているだけかもしれませんが)ただ今日のようなコンサートを現場で経験すると、音楽は間違いなく聴覚だけでの問題ではないと強く実感します。歌い手の振る舞い、歌うときの表情、そしてなんといっても指の動きの優雅さは、その場にいないとなかなかわからないものです。そしてそれが一つの記憶として残り、今後同じような曲を聴くたびに、それがどんな境遇であってもその時の記憶が呼び起こされ、思い出すことができるのかもしれません。それこそが精神で聴くということなのでしょうか。 ところで今回のコンサートは、様々な災害に対するチャリティーの意味もありました。原町赤十字病院や、私が代表を務めるNPO法人あがつま医療アカデミーも、東吾妻町や吾妻郡医師会とともにこのコンサートを後援という形で関わらせていただきました。それだけでも大変名誉なことでしたが、今回の収益の一部を震災復興支援の一部として役立ててくださいと、原町赤十字病院に対して義援金が送られました。関係者の皆様に改めて感謝を申し上げるとともに、音楽の力を改めて

三島由紀夫Vs高校生

たまたまラジオをつけたら、三島由紀夫が男子高校生と女子高校生の二人から質問を受けている番組が放送されていました。三島由紀夫は39歳、今から60年前の放送です。しゃべっている内容については、既にいくつかの書物等で読んでいたものでしたので決して目新しいものではありませんでしたが、三島由紀夫と当時の非常に優秀な高校生の対話に、思わず聞き入ってしまいました。心に残ったいくつかの話を紹介します。 体験について。私たちは誰でも毎日何らかのことを体験しています。ほんの些細な体験の中にでも何らかの意味を見出すこと、そしてそれを言葉という媒体で人に伝えること、それが作家の条件である、と述べていました。たぶんその通りだと思います。言葉で伝えるという後者の部分は、おそらく大きな才能と努力を要すると思われますが、前者については作家でなくとも私たちすべてに可能なことかもしれません。難しいことでしょうが、その体験をどう感受しどう生かすかは、私たち次第なのでしょう。 男女の考え方について、生き方について。これについては、私の表現能力では誤解を招く可能性が高くここでは記しませんし、記すことができません。三島由紀夫なりの考えだけでなく、60年前という当時の日本の風潮も多分に影響されることです。 愛について。愛とは社会からはみ出したもの、嫌悪されるもの、認められないものの中に純粋さが存在し、意味があり、たとえば近松門左衛門の心中物語を例に挙げ、それこそが文学のテーマとなると述べていました。文学者としての意見でしょう。その後女子高校生からは女性の恋愛について、また男子高校生からは同性愛について質問がありました。これらについてもここで記すことを控えますが、三島由紀夫は丁寧に答えていました。とても興味深かったです。 全体を通して思うことは、当時の高校生が今では考えられないくらい優秀で、様々なことを悩みながらも、自分の言葉で意見を言えるということに、とても感銘を受けました。たまたまこの番組に出ている二人がそうだっただけなのかもしれませんが。 文学を愛する者はそれほど多くはないかもしれませんが、老いも若きも、そしていつの時代にも存在します。文学を愛する一人の人間として、文学こそが人間の歴史の証であると、なんとなくですがそう考えています。

新しいことを始めてみませんか

新年の始まり と同様 、新年度の始めも心も体も引き締まり、私たち日本人にとって重要な時期 です 。学校の入学も、社会人として一歩を踏み出す時も4月であることがほとんどです。 自分の人生を振り返っても、ほとんどが4月に新たなページがめくられます。 何かが変わる時 です 。   原町赤十字病院にもこの4月に多くの仲間が加わります。彼ら、彼女らがきっと新たな息吹をもたらしてくれるでしょう。焦らず少しずつ慣れていって、いつか原町赤十字病院の一隅を照らす人材になることを願っています。   原町赤十字病院には、私を含め20年以上勤務を続けているベテランの職員も多数います。同じ組織にずっと属していると、 どうしても新人時代の向上心は薄れがちです。 私たちはそれなりの年齢ですので、 親がもし健在であれば そのために ご苦労されている方も多いと思います。そもそも自身も何らかの病を抱えながら仕事をしているという 方 も、少なからずいることでしょう。私の同級生 には すでに定年を迎えたものが多数います。 新たな ページをめくる季節 とわかっていても 、そんな余裕はありません、という人も多い かもしれません 。   しかも日々の仕事 が忙しければなおさらでしょう。若い方々 にして も 、 育児をしながら、あるいは親の介護をしながら仕事もしている人も 多い と思います。   話し は変わりますが、 能登半島地震で被災された方 より、 NHKラジオのある番組に 次のようなメッセージ が 投稿 され ました。 「前を向いて進んでください、という励ましの言葉 を 素直に受け入れられない」その言葉に対する多数のコメントが、同じ番組で 今朝 紹介されました。 ランニングをしながら聴いていたのでうろ覚えですが、いくつか を 紹介 します。   「病院でもよく前向きに考えていきましょうと言われ ます。 重い病気を抱えていれば前向きになれるはずがありません 。私もその言葉に違和感を覚えます 」   「右を向いても、左を向いても、後ろを向いても、それが自分にとって前になります。そんな気持ちで人生に向き合うのでよいのではないでしょうか」   「人間の体は前に顔があります。前向きになるというのはそのままの自分でいることです」   前向きになるという言葉は奥が深いですね。   気持ちに余裕を持てないという方 で も

歌会始への夢

3月24日の日曜、朝日新聞の「男のひといき」という読者投稿欄に、「歌会始への夢 私も」という投稿文が掲載されていました。冒頭部分をそのまま記します。 「世間は広いようで狭いというのか、狭いようで広いというのか。同じような夢を持った人が世の中にいるものだと、驚くやらうれしいやら」 歌会始は日本の皇室伝統行事の一つです。日本文化の継承者としての皇室の重要性については、私なりに理解しています。新年を迎える姿は時代とともに変わっていますが、その中で歌会始が毎年厳かに開催されることは、とても意味があることだと思っています。と言っても、新聞やテレビ、ラジオのニュースで報道される部分のみが私の知識です。真面目に読んだり聞いたりしているわけではありませんので、歌会始について決して詳しいわけではありません。 今回の投稿のタイトルは、「歌会始への夢 私も」です。つまり同じ夢を語る投稿が既にあったということです。それは今年2月11日に掲載された、「歌会始への夢」というものです。投稿者は、歌会始に選ばれることを目標に75歳からカルチャーセンターの短歌教室に通っている、91歳の男性です。この方の文章の最後の部分を記します。 「いつかは、あのような席に選ばれたい。この願いは変わらない。もうろくして何が何だか分からなくなるまで、毎年、歌会始をめざして詠進歌を作り続けるつもりでいる。愚かな老人の儚い夢は、まだまだ続くのである。」 この方の投稿が私の記憶に残っていたため、今回の投稿に私自身が深く感激し、この院長便りで紹介しようと思った次第です。今回の投稿者の方は30年ほど前から歌会始に関心を持ち、時々詠進してきたのですが、そろそろやめにしようかと迷っていた矢先だったようです。87歳の男性です。この方の最後の文章も紹介します。 「こともあろうに私より4歳も年上のかたの投稿を拝読し、もう一度、夢を見たくなってしまいました。今年米寿を迎えます。残り少ない人生を、楽しい夢をもって充実した日を送れるなら、これに越した幸せはありません。心を入れ替え、図書館から歌会始関連の本を借りて、歌会始を目指して勉強し直し、頑張っていく覚悟です。勇気と希望と夢を再び抱くことができ、感謝しています。」 日本の文化はこういった方々によって守られ継続してきたのでしょう。市井の徒である自分自身も、常に夢を持ち続けたいと改めて思うとこ

春到来

イメージ
3月に入って寒い日が続きました。私は毎朝ほぼ同じ時間にランニングを開始しますので、外に出て1,2分で触れる空気に体が反応し、冷たさ、寒さ、温かさ、湿っぽさ、風の向き、強さなどを感じとっています。毎年3月の第2日曜あたりに鶯の初音を聞き分けることができるため、先週の土曜、日曜の利根川沿いのランニング時に耳をそばだてていたのですが、残念ながら私の耳には届きませんでした。先週までは寒い日が続いていましたし、その土日はとりわけ寒かった日です。17日の日曜、ようやく鶯の鳴き声を聞くことができました。いよいよ春到来です。 春は気温が変わるだけでなく、日が昇る時間も変わります。2月まではランニング終了時も暗かったのですが、3月に入ってからは東の空がだんだん明るくなるのを感じています。ここ数日は天気さえよければ曙光が差し込むのを眺めることもできます。春は何か新しいものが生まれる、という予感を確かに私たちに与えてくれます。 日本の社会では、春が区切りになるということが多々あります。学校の入学、卒業がこの時期に行われる影響が大きいのでしょう。先日渋川看護専門学校の卒業式に出席しました。厳かな雰囲気の中、粛々と滞りなく式は進みました。在校生の送辞、卒業生の答辞を聞きながら、自分自身の昔のことが思い出され、胸に迫るものがありました。私は中学2年の時に在校生代表として送辞を、3年の時は卒業生代表として答辞を読むという名誉にあずかりました。原稿は前の年のものを参考に自分で書いたのですが、担当の先生にずいぶん直されました。また「ゆっくり読め」と繰り返し指摘を受けました。当時の私は自分では自覚がなかったのですが、ずいぶん早口だったのでしょう。式の後、「内田がゆっくり話すのを初めて聞いた」と先生がおっしゃっていました。褒められているのか、皮肉を言われているのかわかりませんが、今となってはいい思い出です。 ところで春という季節は暖かく穏やかなイメージがありますが、だからこそそれに反する言葉は相乗的に何らかの意味を付加し、私たちの心に強い印象を与えます。三島由紀夫の「春の雪」、ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」などがそうでしょう。どちらも私にとって大事な小説です。 春の名歌は多数あります。今回、「古今和歌集 春上」 伊勢の歌を紹介します。 春ごとに流るる川を花とみて 折られぬ水に袖や濡れなむ

群馬ストーマ・排泄リハビリテーション研究会に参加して

3月9日の土曜、「第35回群馬ストーマ・排泄リハビリテーション研究会」に出席しました。久しぶりの参加でしたが、以前と同じように多くの医療従事者が熱心に聴講、議論していたのが印象的でした。 ストーマとは人工肛門、人工膀胱のことです。医療従事者でないと目にする機会はあまりないかもしれません。医療に従事していても、外科や泌尿器科の医師、その担当部署で働く看護師でないと接することは少ないでしょう。群馬県では現在2300名以上の方がストーマを保有していると言われています。決して少ない数ではありません。原町赤十字病院でも年間10名から15名程度の方が人工肛門造設の手術を受けています。もちろん自ら望んでストーマ造設術を受ける方はいません。何らかの理由があり、やむを得ずこの手術を受けることになります。したがって手術前には十分説明し、同意を得ることになります。ただしこの手術は緊急で行うことも多く、この場合は短い時間に説明し同意を得る必要があります。医師だけでなく看護師の立場も重要です。 人工肛門になるとその生活は大きく変わることになります。ストーマ保有者には、人には言えないようなたくさんの苦労があることは容易に想像されます。またその管理方法、装具など、日々変化、進歩しています。ストーマの保有者の生活が少しでも快適になることを願って、今では多くの病院でストーマ外来というものが存在します。 原町赤十字病院でもストーマ外来の歴史について紹介しましょう。私自身は、この外来を開設することがストーマ保有者にとって間違いなく有益である、という確信がありましたので、その考えに同意してくれた看護師とともに平成15年(2003年)6月27日にストーマ外来を開設しました。当時から関わっている看護師がその後認定看護師の資格を得、今では原町赤十字病院だけでなく群馬県のストーマ管理のリーダーの一人として活躍している姿を見ると、大変頼もしく、またうれしく思います。 ところで今回の研究会のテーマは「ストーマと災害への備え」でした。原町赤十字病院からの発表もそれに関するものでした。実際に災害救護の経験のある看護師の発表でしたが、発表の内容も、またその質疑応答のやり取りも大変立派なもので、私自身も誇らしい気持ちになりました。原町赤十字病院のストーマ外来のレベルの高さを知らしめることができたと思うと同時に、今後も群馬県の