少年が来る
「内田、世界が変わるぞ」 高校2年の10月、つまり1979年(昭和54年)の秋、私の隣の席の友人が発した言葉です。当時の韓国の大統領 である 朴正熙氏が暗殺され た 事件 を踏まえた うえでの 発言でした。新聞の一面に大きく掲載されそれが大事件であることは理解できましたが、直ちに世界の変化につながる自覚は全くありませんでした。実際私自身の生活は何一つ変わることはありません。ただこの友人の言葉は ずっと私の心の中のある部分を占めています 。それはその事件の重要性よりも、その事件を受け世界が変わるぞ、と口にするその友人の 社会に対する 見識 に 対して 、 当時の私が 驚き その友人に少しばかり尊敬の念を抱いたこと、 言い方を変えれば 私 をして社会に対して いかに 無関心、 無知だったこと を 知らしめた こと によるものだったと思います 。 その翌年の1980年(昭和55年)の5月、いわゆる光州事件が起こりました。この事件は私が高校3年の時です。韓国の歴史にとって、そして世界史的にもこれほど重大な事件について、当時 の私 は全く 記憶がありません 。 それは私の社会に対する常識の 欠如でもあるのですが 、厳しい報道規制があったことも理由の一つなの だと思います。 私自身が年を重ね、光州事件についておぼろげながらその実体の一部を知るようにな りました。 また近年韓国の文学が日本の新聞で紹介されることが多くなったこともあり、 韓国 の 文学 や歴史 に 関心を抱くように も なりました。1,2年前から 群馬 県立図書館 の 韓国文学のコーナーにある本を(蔵書数は少ないのですが)時々借りては読んでいました。 そして読めば読むほど、韓国の文学 と 韓国の歴史 が 切っても切り離せない深い関係にあるということを実感します。 光州事件を題材にした ハン・ガン氏の「少年が来る」を やっと借りることができ、 最近 読 み通 すことができま した。 人間とはどうしてこんな残虐なことができてしまうのか 。 これほどの暴力と抑圧の中においてどうして 人間は 誠実さを失わないでいることが可能な の か。そして人間が集団になると、 良いことであれ悪いことであれ、なぜ極端な方向に向かって しまうのか。 集団でものを考えること、...