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原則禁止と全面禁止 本則と付則

「原則禁止ということにしましょう」とか、「ルールはルールとして臨機応変に対応しましょう」とか言う文言を、私は様々な委員会や会合などでよく使います。私だけでなく、他の方がこのような発言をすることもしばしば耳にします。この文言の裏には、当然例外というものはありますよ、という意味を含んでいます。似たような言葉に「全面禁止」というものがあります。「原則禁止」とは全く異なります。いっさいの例外を認めない、極めて強い言葉です。例を一つ挙げましょう。昭和の時代から平成の初めにかけて、病院内でも喫煙は可能でした。灰皿は至る所にありましたし、職員も仕事をしながら喫煙する姿を特に違和感なく目にしました。それがいつしか病院内禁煙、そして病院敷地内禁煙、つまり喫煙は「全面禁止」となりました。これが「原則禁止」だったら様々な問題が起こることは容易に想像されます。しかし何らかの決まりやルールを作る際、それはあまりよくないな、禁止にした方がいいだろう、ということで何でもかんでも「全面禁止」としたら、これはこれで大きな問題が起こることも同じように容易に想像されます。 「原則禁止」という文言は、「和を以て貴しとなす」とされる日本文化にはとても馴染みやすいものだと思います。原則はしっかり守ってくださいと言いながら、初めからある程度の例外を認めています。「原則禁止」という文言をルールに入れるのであれば、そしてそのルールが重要なものであれば、どのようなことが例外か、そしてその例外を認めるのは誰か、ということについてもある程度決めておく必要があるかもしれません。 本日のタイトルの後半の「本則と付則」についてです。私は「群馬NST研究会」の代表を務めています。代表に就任した際、その会則を一部修正しました。また「NPO法人あがつま医療アカデミー」の代表も務めていますが、この定款も数年前に一部修正しました。ともに総会での中で承認を得たうえで決定されたことです。その中には本則と付則が存在しますが、改定の際にその違いや重要性について熟慮することは全くありませんでした。 今回なぜこのようなタイトルにしたか、改めて説明するまでもないことと思います。再審開始決定に対する検察官の不服申し立て(抗告)に関する法務省と政府与党との議論が、現在まさに行われているからです。その議論の中で「原則禁止と全面禁止 本則と付則」の問題が度々...

春の日の夕暮れ

夕暮れは毎日やってくるものですが、季節によってその感慨は異なるものです。日本では古くから秋の夕暮れを読んだ名歌がたくさん存在します。秋の夕暮れは、空気の冷え込みとともに草木は燃え、そして枯れ始めます。この自然の移り変わりが人の心に寂寥感や無常観を引き起こし、多くの歌人たちが歌の題材にしてきました。ところが春については、その夕暮れ自体を対象として読まれた歌は、私の勉強不足もあるのでしょうがどうも少ないような気がします。 私は仕事を始めて以来、夕暮れ時間に外を眺めることが実に少なくなっています。したがって夕暮は、過去の記憶に直接つながることもあります。だからでしょうか、時々目にし、自らの体で体験する夕暮れは、その時の自分自身の心身の状態にもよりますが、様々な感情を呼び起こします。その中でも春の夕暮れは、他の季節にはない、やわらかさ、曖昧さ、はかなさを感じさせます。 中原中也の代表作に「春の日の夕暮れ」という詩があります。彼が17歳の時に書いたとされています。語句だけにこだわると、訳がわからず袋小路に入り込んでしまったような気分になる詩です。しかし何度も繰り返し読むと、春の穏やかな風景とともに、漠然とした不安、理由のはっきりしない寂しさを表現しているのだなと感じることができます。自分自身の十代後半頃の心情にも重なります。私は春の日の夕暮れを眺めると、時々この詩が心に浮かんできます。ここに紹介します。 トタンがセンベイ食べて  春の日の夕暮は静かです  アンダースローされた灰が蒼ざめて  春の日の夕暮は穏かです  あゝ、案山子はないか―あるまい  馬嘶くか―嘶きもしまい  ただただ月の光のヌメランとするまゝに  従順なのは 春の日の夕暮か  ポトホトと野の中の伽藍は紅く  荷馬車の車 油を失ひ  私が歴史的現在に物を云へば  嘲る嘲る 空と山とが 瓦が一枚 はぐれました  これから春の日の夕暮は 無言ながら 前進します 自らの 静脈管の中へです

思想は一つの意匠であるか

思想は一つの意匠になりうるのか。この問いに皆さんはどう答えるでしょうか。あるいはどのような感想を抱くでしょうか。そもそも意匠という言葉はよく耳にするようで、自分の口からこの言葉を発することは少ないかもしれません。分かったようでよく分からない言葉の一つと言えるでしょう。 今回のタイトルは萩原朔太郎の詩のタイトルをそのまま借用しています。大変短い詩で、このタイトルの象徴という意味なのでしょう、仏陀のことが述べられています。そしてその詩の中で、朔太郎はこの問いの解答を示しているわけではありません。私自身は、ちょっと不思議な感じがするこのタイトルのことが忘れられず、常に頭の片隅に存在していました。 自分の内面にある思想を表現しようとすれば、何らかの形、姿にする必要があります。(表現を望まなければ、それは自分の内面に留まることになるでしょう)表現には様々な方法があります。文章や音楽、絵画、建築などの芸術的分野では、意匠として自己の思想を現すことが可能です。優れた芸術に触れる(意匠に触れると言い換えることも可能かと思います)ことは作者の思想に触れるということです。思想に触れ得ない作品については、その作品自体が原因ということもあるのでしょうが、自分自身の感受性の乏しさがそうせしめているのかもしれません。また思想というものは何も芸術分野だけに現れるものではありません。私たちの日常生活の中でも自然に体現しているものです。 さて、今回なぜこのタイトルにしたかというと、次の命題が私の中に浮かぶからです。 宗教は一つの意匠であるか 世界各地の宗教の歴史、日本の中での仏教の歴史、現在の宗教問題などを鑑みると、宗教というものは実に複雑で多様です。宗教は本来世界観や人間観などの思想が基盤にあるものなのでしょうが、多くの場合それを表現するために建築物や絵画などが作成されます。それらは美というものが何であるかを人々に示し、さらに人々の心を豊かにしてくれました。一方で各時代の統治者たちは、これらをできる限り荘厳にきらびやかに作ることで自らの権威にもつなげた、つまり宗教の意匠の部分だけを利用したという一面もあると、司馬遼太郎は述べています。 思想も宗教も意匠になりうるけれど、本質的には全く異なるものです。つまり思想も宗教も一つの意匠として捉えることは可能なのでしょうが、意匠の部分だけをのぞき込んでいると...

平等について

赤十字の7つの基本原則に中に、「公平」というものがあります。その説明には、「いかなる差別もせず、最も助けが必要な人を優先します」と書かれています。 「公平」と似たような言葉に「平等」があります。法の前では平等、人間は生まれながらにして平等、四民平等、ジェンダー平等、民族の平等などの言葉を、私たちはしばしば耳にします。私たち人間はこの「平等」という言葉の重要性を、誰に教わるわけでなく、その人なりに理解しているものです。 ところで「平等」とは「公平」であると言えるのでしょうか。福沢諭吉は「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言いましたが、これはあくまでもスタートラインの話であって、本当に大事なことは、その後の人生でどれだけ学問を修めたか、つまり学問を修める機会は誰にでも公平に与えられているが、学問を自分の血肉にすることができるかどうかで人間には大きな違い、つまり平等ではない状況が生まれることを、福沢ははっきりと述べています。そもそも生まれながらにして平等という言葉にしても、生命の尊厳という意味では正しくても、様々なハンディキャップを持って生まれてくるお子さんが常に存在します。 「平等」を強調することで、「不公平」が発生することもしばしばあります。足の速い人もいれば遅い人もいます。背の高い人もいれば低い人もいます。物覚えがとても早い人もいればそうでない人もいます。努力によってそれなりに克服できるとは言え、誰もが大谷翔平のようになれるわけではありません。そしてこれらの多様な人たちを平等に対応することはとても難しく、むしろ不可能と言って過言でないでしょう。しかし公平に対応することは可能です。 「平等」という言葉は、人類の歴史の転換点において一つのスローガンとして叫ばれてきました。「平等」という言葉には強いエネルギーがあります。一方人は自分自身のことに関しては、他人から区別され、評価されたいと思うものです。変な話ですが、「平等に扱ってくれるな」と思うことがあります。「平等」を強調すると、必ずその「平等」の範囲から除外される人々が生まれます。それが排除、序列につながります。つまり「平等」とはもともと差異が存在することが前提であり、その微妙なバランスの中で意味を成す言葉と言えるかもしれません。 赤十字の基本原則の中に「公平」という言葉はあっても「平等」という言葉がないのは、そ...

人の寿命を決めるものとは何か?

人は誰でも亡くなることはわかっているものですが、その亡くなり方があまりに急だと、あるいは予想していなかったような亡くなり方だと、その現実を素直に受け入れられないことがあります。私は様々な場所で健康な方を対象に、自分が亡くなる場合どんな形が良いですか、と質問することがあります。するとかなり多くの方が、「ピンピンコロリ」を望むと答えます。その頻度は、若い方の方が多い印象があります。しかし本当に「ピンピンコロリ」で亡くなってしまうと、あるいは「ピンピンコロリ」でなくとも急に亡くなってしまうと、その方のご家族や友人たちの悲しみは実に深いものです。それは悲しみだけでなく、くやしさや怒り、やるせなさなど様々な感情を引き起こします。そのような経験がある方であれば誰もが共感するでしょうし、私自身も簡単には語りつくせない、つらい経験があります。 ところで人の寿命を決めるものとは何でしょうか。私は外科医ですので、悪性腫瘍に罹患した多くの患者さんを診ています。早期であれば命に関わることは比較的少ないですが、すでに他の臓器に転移している場合、あるいは手術後に再発している場合、現代の医学では完全に治癒させることは一部の例外を除いて困難とされています。必然的に治療の目的は、完全に治すということではなく、進行をできる限り抑えて副作用の少ない治療を行い病気とうまく付き合う、つまり病気と共存する、ということになります。とは言ってもいつまでもうまく付き合っていけないのも事実です。残念ながら病気は少しずつ進行し、そうして人の命(肉体の命)を奪っていきます。 また、悪性腫瘍だけを罹患しているという方はむしろ稀で、高血圧や糖尿病、心臓疾患や脳血管疾患、肺や肝臓などの慢性疾患などを抱えている方が大半です。これらの病気自体も直接生命に関わるものも多々ありますし、間接的に影響していることも言うまでもありません。 悪性腫瘍の治療成績を評価する方法として、治療開始後の生存期間というものがあります。治療する時の病気の進行具合で、生命予後をある程度推測することができますし、最近はこの件について直接質問される方が多くなっています。2,3年です、と答えることもあれば、1年くらい、あるいは数か月、あるいは1か月も厳しい、と答えることもあります。もちろんこのような答えをするのは、その答えを冷静に受け止めることができるであろうとい...

雲隠(くもがくれ)

年度末になりました。日本には新年という大きな区切りがありますが、生活上の変化としては新年より新年度の方がずっと重要です。学生時代は年度が変わるたびに一つ学年が上がります。そして3月には卒業式があり4月は入学式です。社会人も多くの場合4月に入職もしくは移動です。年度初めは新たな気持ちを呼び起こしますが、その前に必ず訪れる年度末は何かと慌ただしいものです。 年度末は退職の時期でもあります。この春退職される方の心情はいかばかりでありましょう。特に長きにわたってある組織に勤務された方であれば、その期間の長さに比例して多くの経験を重ねたことでしょうし、ご苦労もあったことと思います。勤務場所が変わる方々も、仕事の引継ぎに加え新たな職場への準備を怠りなく行う必要があります。お子さんが進級や進学、もしくは新社会人として4月から働き始めるという方もおられましょう。引っ越しなどを伴うとなればさらに大変です。年度末とは実に忙しい時期です。 私自身のことを言えば、個人的には何かが大きく変わるところはありません。ただし原町赤十字病院の院長として年度が変わる今の時期の重要性を十分理解しています。原町赤十字病院の在り方について、近日中に自分なりの意見を述べるつもりです。 ところで年度末になり、私がとても残念に思っていることが一つあります。日曜朝6時からNHKで放送されていた「光源氏でたどる源氏物語」が3月29日をもって終了したことです。この番組では、玉鬘十帖や宇治十帖、匂宮3帖に加え、エピソード的に挿入されているいくつかの帖を省き、源氏のメインストリートの部分だけを取り上げ、実に丁寧にゆっくりと講師の先生が解説してくれました。毎週楽しみにしていました。こういう番組を聴いていると、今さらながら系統的に日本の古典を勉強したくなります。 最終回は幻の巻でした。紫の上亡き後、悲嘆にくれながら静かに暮らす源氏が描かれます。この帖には源氏の死についての記述はありません。そして雲隠の帖が続きます。この帖はタイトルだけで文章はありません。文章がないことについては様々な説があるようですが、私には余白の持つ力、沈黙の強さを感じますし、死というものは本来そういうもの、まさに雲隠なのだと思います。 年度末の何かと忙しい時期ですが、22日には前橋文化ホールで、28日には高崎芸術劇場で、ベートーヴェンの交響曲を聴いてきまし...

墓参り

3月20日の日の春分の日、墓参りに行ってきました。この日は全く日が差すことのない、真冬に戻ったような冷え込みでした。今年は母親の1周忌でもありました。全くの偶然ですが、父親も今から26年前の2000年3月に亡くなり、二人ともお通夜が3月31日、告別式が4月1日に執り行われました。父親についてはこれも偶然でしょうが70歳の誕生日が告別式当日でした。桜が咲き始める頃です。 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月の頃   西行法師 両親が西行法師をどこまで読み込んでいたか、今となっては知る由もありません。残念ながら今年の墓参りでは、桜の花を見出すことはできませんでした。 お彼岸に墓参りに行くと、必ず同じように墓参りをしている人たちに遭遇します。特に会話を交わすわけではありませんし、墓参りが終わればいつまでもそこに滞在しているわけでなく、お互い速やかにお墓を後にします。それは多少の違いはあれ、決められた(と言っても誰かに命令されたわけではありませんが)儀式を、粛々と行うといった感があります。すべての日本国民がそうであるということはないでしょうが、墓参りの習慣というものはやはり日本の伝統の一つなのでしょう。またそのように思うと、それはこれからも続いてほしいところでもあります。しかし現在の日本の現状を鑑みれば、それは大変難しくなっていることもわかります。家族というものの形が徐々に変化し、お墓の意義も問われることが多くなりました。別の視点から言えば、日本人の死に対する考え、あるいは覚悟、つまり死生観というものが、変化している現れかもしれません。 墓参りは故人を偲ぶことであると、以前は当たり前のように思っていました。しかし自分自身が還暦を過ぎ、今年64歳という年齢に達する昨今、墓参りに対する考え方が変わってきました。遠くない将来、自分自身の命が尽きることは明白なことです。墓参りとは、そのための準備を自分なりに行い、死に対する覚悟を醸成(この言葉が適切かどうかよくわかりませんが)する行為であり、そういう場でもあるのだと考えるようになりました。それはごく自然にそう思うようになりました。 萩原朔太郎の詩に、「艶めかしい墓場」というものがあります。墓地という場所は、人の心を穏やかにもするだけでなく、なんだか不思議な気持ちにさせる場所でもあります。艶めかしいという朔...