苔の水
我が家の庭にはほんのわずかですが、苔が生えているところがあります。いつの間にかある部分を占領していました。それほど増え続けている様子でなく、また苔が生えているのも悪くはないと思い、そのままにしてあります。普段、苔について考えることなどありませんでしたが、たまたま読んだ小説の中に、苔のこと、苔のそばを滴り落ちる水のことを詠んだ歌が二つほど紹介されていました。 岩間とぢ 氷は今朝は とけそめて 苔の下水 道もとむらん 西行 岩と岩との間を縫い閉じるように凍っていた氷が解け、それが苔の下に伝わり、さらに流れ出る道を求めているという。単純なようだが複雑な水路、複雑に折れ曲がる水の心を詠んでいる。と、この小説の中では解説しています。 山かげの岩間をつたふ苔水の かすかに 我はすみわたるかも 良寛 岩肌についた苔のあいだをわずかな水が滴り落ちてくるという。自分は苔水のように澄み渡っているわけでもないかもしれないし、苔水と自分とは無関係でありながら、それでも何らかの関係があるような気もするし、歌の中では共存している、といったような解説です。 先週参加した岩櫃城忍び登山では、岩にはいつくばっていた苔がたくさんありました。ちょうど雨上がりで、おそらく苔に沿って水が滴り落ちる光景がそこにはあったと想像されます。しかし先週はそんな感慨に耽る余裕は全くなく、滑って転ばないように、細心の注意を払いながら一歩一歩進んでいました。したがって、その時に岩の間を滴る苔水を見ることはできませんでした。この二つの歌を知っていれば、違った風景が見られたかもしれません。そして今思い返すと、間違いなく私が通ったコースの中に、その景色はあったと確信しています。 結局人は、見ているようで実は何も見ていない、ということを思い知らされます。しかしその自覚があれば、少しぐらい時間が経過した後でも、心の目で見直すことも可能なのかもしれません。