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三島由紀夫について

三島由紀夫の著作はあまりに膨大であり、私が読んだものはその一部に過ぎません。しかし一部とはいえ、大袈裟な言い方ですが私の世の中の付き合い方に対して、何らかの影響を与えていると感じています。毎年この時期になると、特にその思いが強くなります。 三島由紀夫は16歳の時に「花ざかりの森」という小説を書いています。私が三島の小説を初めて読んだのもちょうどその頃です。当時、この作家を理解することは困難でした。「花ざかりの森」を読んだのはずっと後のことですが、初めて読んだとき、16歳の若者がこの小説を書いたのか、と驚愕しました。この作家をよく知ろうとするならば、歴史、古典、芸能などの最低限の知識がないと薄っぺらな理解になってしまうかもしれません。しかしこれらの知識が不十分でもこの作家の作品を読むことで、様々な分野について少なからぬ見識を与えてくれます。 話は変わりますが、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)という概念があります。人生の最終段階で受けたい医療やケアについて、本人や家族、医療介護従事者が話し合うことです。病院は患者さんの疾患を治療し治ることを目的とする場所ですが、一方多くの方がお亡くなりになるところでもあります。人生の最期をよりよく迎えるためには、緩和ケアを中心とした医療を常に考えるべきであり、ACPという考えに基づいた話し合いを継続することが重要とされています。この10年間、私自身が最も力を注いでいる分野です。 三島由紀夫の生存中にこの言葉はありませんでしたが、彼は20歳の頃(戦争中)に遺書を書いています。また晩年には自分の最期の姿について、作品の中に書き、インタビューでも答えています。本当の自由を求めようと思うならば、厳格な戒律や制限が必要です。本物の幸せは、厳しい境遇の中にこそ見出せるものです。このパラドキシカルな思考を、私は最近になって納得するようになりました。 仰ぎ見る存在だった三島由紀夫でしたが、私はいつしか彼が亡くなった年齢を超え、今では遥かにたくさんの年を重ねてしまいました。自分自身の最期の姿を思い描くことも時々ありますが、もう少し自分がしたいこと、すべきと考えることを、やり続けたいと思っています。そしてその多くは、自分一人ではできないことであると自覚しています

大人の友情

最近、白洲正子と河合隼雄の対談集を読みました。以前も読んだことがあるのですが、図書館でつい目に入ってしまったため、また借りてしまいました。侍のような女性である白洲正子(河合隼雄がそのように表現している)と、いつも楽しく軽い冗談を交えながら話をする河合隼雄は、性格だけでなくそれぞれが専門とする分野も全く異なるのですが(もちろん男性、女性と性も異なるのですが)、この本を読むと二人は強い友情で結ばれていたような気がします。 小学生時代、学校に提出する書類の中に、「友人の名前を3名くらい記載しなさい」というものがあったと記憶しています。毎日のように放課後は誰かの家に行っていましたし、日曜も毎週のように誰かと遊んでいましたので、友人といっていい人は多数いましたが、改めてこういった質問を見ると困惑したものです。高校時代になると部活動の仲間との付き合いが中心となり今でも繋がりがありますが、一緒に浪人生活を送った仲間たちともずっと交流が続いています。大学時代の友人とは会う機会は減ってしまいましたが、同じ環境で、同じ勉強をし(吸収したレベルは異なりますが)、同じ道を目指していたという固い絆を、今でも強く感じています。 ところが仕事をするようになってからは、友情という言葉を意識することはなくなってしまいました。(もともとあまりなかったとも言えますが、振り返ると無意識のうちに友情を育んでいたというのが実情かもしれません)今では「友情」というちょっと硬いイメージの関係よりも、「仲間」というやや緩い意識で他人との付き合いをしていると感じています。「仲間」はいいものです。お互いのプライバシーを尊重しつつも、共通の目的に対しては一緒に向かい合うことができます。 とはいっても友情もいいですよね。河合隼雄には「大人の友情」という著作があります。この本には、大人になってから得た友人というものは非常に良いもんだ、と書かれています。つい先日、まさに私が大人になってから得た貴重な友人二人と一緒に飲む機会がありました。約半年ぶりです。お互い欠点もありますが(特に私は欠点だらけですが)、尊敬できるところも持ち合わせています。彼らと会うと気分転換できますし、今回も楽しい時間を過ごすことができました。これからもこの関係を続けたいと思います。

出張について思うこと

学生と社会人の違いはいくらでもありますが、その一つが出張の有無です。学生時代に「出張します」、という言葉を使うことはないでしょうが、社会人になると多かれ少なかれ多くの人が経験すると思います。原町赤十字病院の職員も、職種によっては全くないという方もおりますが、逆に年に何度も行きます、という方も多いでしょう。前橋日赤や群馬県支部、看護協会などで行われる研修会、県内外で開催される研究会や学会、そして日赤関連の様々な会議など、非常にたくさんの出張があります。出張をすると、原町赤十字病院では復命書、という書類に出張の内容を記載する義務があります。私自身も出張が多いですので、しばしば復命書に出張内容を書いています。 原町赤十字病院の職員の復命書については、私自身はすべて目を通しています。その数はかなり膨大ですので熟読しているとは言えませんが、できる限りしっかり読むようにしています。記載内容は人によって全く異なります。時々とても感銘を受ける復命書を経験します。それらの多くは、入職して数年以内の若い世代が書いたものです。参加した研修会などの様子がありありとわかるだけでなく、わずかな感想の中から書いた人の人間性も推測できます。そういう人たちとは、お酒でも飲みながらじっくり話をしたいな、といつも思いますが、記載のある名前を見て、その人の姿を思い浮かべることができないことが多く、大変残念に思っています。コロナ後、職員同士の交流はかなり減ってしまいました。おまけにマスクをしているので、以前からいた人たちの顔はわかっても、マスクをしている姿しか知らない人たちとは、いつまでたっても本当の付き合いができてないような気がしています。とても悲しいことです。 だからというわけではありませんが、今後月に1回程度、病院内をラウンドしようと思っています。職員の皆さんの働く姿を拝見し、場合によっては声をかけさせていただくかもしれません。一人では不安なので、看護部長と事務部長にも同行してもらおうと思っています。仕事の邪魔にならないよう注意しますので、どうか邪険にしないようお願いする次第です。  

走ることについて語る時に僕の語ること

このタイトルを読んで、あれ、と思った方もいるでしょう。私が愛読する作家の作品のタイトルです。そのままそっくりお借りしました。 11月3日の文化の日、第33回群馬マラソンがありました。私が最初に参加したのは第3回でしたので、もう30年も前になります。出場できなかったのは2回だけですので、この大会にはずいぶんお世話になっていると言えます。大会がフルになってから毎年同じようなタイムで走っていましたが、今回は日々のトレーニングの中で同じようなペースで走ることができていないことを自覚していました。前半に無理したためでしょうが案の定、後半とてもつらい思いをしました。タイムは自己ワースト3に入ってしまいましたが、それでも何とかゴールまでたどり着けて満足です。 タイトルに戻りましょう。私は小さいころからいつも走っていたように思います。陸上競技として、あるいは運動部のトレーニングの一環として走ることは当然として、それ以外でも、特に今の仕事を始めた後も少なくとも週1回は走っていました。40歳を超えてそれが週2回、3回と増え、50歳を超えてからはさらに増えていきました。走るということは、私のこれまでの人生の中で身につけた習慣の中で、最も意味のある大事なものであると感じています。そして走るということの単調さ、地味さ(もちろん一流ランナーは別です)、一人でできる、人目をあまり気にすることがない、お金がかからない、どこでもできる、そして結果として得られる体と心の達成感など、様々な点で私の性格に合っていると感じます。まさに、身体の鍛錬が精神をよき方向に向けていると実感しています。走る時に何を考えているのか?いろいろなことを頭に浮かぶのですが、ほとんど忘れてしまいます。1日のうちにそんな時間があっても悪くはないでしょう。 ところで今年9月のある日曜、数年ぶりの100㎞マラソンを走ってきました。暗いうちにスタートし、高低差の厳しいコースを駆け抜け何とか完走しました。ゴールした時はきれいな月が輝いていました。この達成感はかけがえのないものです。今回走り切ることができましたので、来年は以前からずっと出場したいと思っていた大会にエントリーしても許してくれるでしょう。(誰が?)