平等について
赤十字の7つの基本原則に中に、「公平」というものがあります。その説明には、「いかなる差別もせず、最も助けが必要な人を優先します」と書かれています。
「公平」と似たような言葉に「平等」があります。法の前では平等、人間は生まれながらにして平等、四民平等、ジェンダー平等、民族の平等などの言葉を、私たちはしばしば耳にします。私たち人間はこの「平等」という言葉の重要性を、誰に教わるわけでなく、その人なりに理解しているものです。
ところで「平等」とは「公平」であると言えるのでしょうか。福沢諭吉は「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言いましたが、これはあくまでもスタートラインの話であって、本当に大事なことは、その後の人生でどれだけ学問を修めたか、つまり学問を修める機会は誰にでも公平に与えられているが、学問を自分の血肉にすることができるかどうかで人間には大きな違い、つまり平等ではない状況が生まれることを、福沢ははっきりと述べています。そもそも生まれながらにして平等という言葉にしても、生命の尊厳という意味では正しくても、様々なハンディキャップを持って生まれてくるお子さんが常に存在します。
「平等」を強調することで、「不公平」が発生することもしばしばあります。足の速い人もいれば遅い人もいます。背の高い人もいれば低い人もいます。物覚えがとても早い人もいればそうでない人もいます。努力によってそれなりに克服できるとは言え、誰もが大谷翔平のようになれるわけではありません。そしてこれらの多様な人たちを平等に対応することはとても難しく、むしろ不可能と言って過言でないでしょう。しかし公平に対応することは可能です。
「平等」という言葉は、人類の歴史の転換点において一つのスローガンとして叫ばれてきました。「平等」という言葉には強いエネルギーがあります。一方人は自分自身のことに関しては、他人から区別され、評価されたいと思うものです。変な話ですが、「平等に扱ってくれるな」と思うことがあります。「平等」を強調すると、必ずその「平等」の範囲から除外される人々が生まれます。それが排除、序列につながります。つまり「平等」とはもともと差異が存在することが前提であり、その微妙なバランスの中で意味を成す言葉と言えるかもしれません。
赤十字の基本原則の中に「公平」という言葉はあっても「平等」という言葉がないのは、そんな理由なのでしょうか。
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