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人間ぎらい

数年前から西洋のやや古い作家の本を読むことがあります。この3か月間に読んだものでも、ゾラ、バルバラ、コルサタル、イプセン、クッツェー、ボーヴォワール、フロイトなどがあります。すべてが大変面白く興味深かったというわけではありませんが、やはり現在まで残る作品というものはそれなりの品格があります。先々週読んだバルバラの「赤い橋の殺人」については、ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフ」を彷彿させるものでした。作品が世の中に出た順番からすると、バルバラの方が先になります。当時の社会状況が、後世に名作と呼ばれることとなるこれらの作品を生み出したのでしょう。 先週読んだものの中に、モリエールの「人間ぎらい」があります。モリエールは17世紀、芭蕉より22年早くこの世に生を受けたフランス人です。「人間ぎらい」は戯曲です。三島由紀夫もかなりの数の戯曲を書いており、そのうちのいくつかを読みました。戯曲を読むと実際の劇を是非見たいと思いますが、いまだにそれは実現していません。いつか(先週も出てきた言葉ですね)、観劇したいと思います。 「人間ぎらい」の話しに戻ります。この本を読むと、人間というのはこの本が世に出た350年前も現代も、何一つ変わっていないとつくづく思います。戯曲ですので人物の性格が非常に単純化されていて、大変わかりやすくなっています。主人公の一人であるアルセストの直情径行な性格は、妥協を許さず正義を振りかざし、自己の信念に正直に行動することを強いています。その結果多くの人からは非難の対象になっていますし、最後には矛盾する行動をしています。(恥ずかしながら自分自身も同じようなことをしていたと、あるいは今もしているかもしれないと強く反省するところです。)強い意見は時に大事でしょうが、それが必ずしも正しいわけではないことは誰でも経験するところです。それがわかっていても適切に対応できないのも人間の弱さなのでしょう。 解説の中でベルグソンの文章が記されていましたので紹介します。「世の言う良識というものは、相手が変わればこちらも相手にふさわしい態度に変えて、相手と調子を合わすことを怠らぬ心のねばりである」若い時であれば「冗談じゃない」と一笑に付したでしょうが、還暦を過ぎた今の私には、とても身に染みる言葉です。

Someday

最近NHKテレビで佐野元春のライブが放送されました。放送前に新聞で確認することができましたので予約録画し、休日に鑑賞しました。 私と佐野元春の出会いは私の大学時代です。夏休みや年末年始に実家に帰省すると、そのわずかな期間に中学時代や高校時代の仲間たちとよく飲みに行きました。高校時代の仲間との飲み会の2次会でカラオケをしていた時、友人の一人が実に気持ちよさそうに佐野元春の歌を歌っていました。その姿をなぜか今でも覚えています。40年くらい前の話です。 その後、佐野元春を特によく聴いたと言わけでは決してありません。しかし代表作の一つである「SOMEDAY」だけは自分の心の片隅にいつもありました。ちゃんと聴いているわけでないので詩を理解しているわけではないのですが、いくつかのフレーズとメロディはしっかり記憶されています。そして何をやってもうまくいかない、どうもだめかもしれないと思うことが多々あった若かりし頃、いつかはきっとよくなる、できる時がくると、何の根拠もなくても「Someday」という魔法のような言葉に期待し、自分の未来を託していたような気がします。そして「Someday」という言葉は、個人的には中学校時代にみた「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラのセリフを彷彿させるものでした。 10年ほど前に図書館でたまたま佐野元春のCDが目に入り、2枚組のベスト盤CDを借りました。今でも数か月に一度、車の中で聴いています。聴くことで、以前の自分を振り返ることができます。しかし今回のライブの放送を見て、考えを改めました。テレビとはいえ、佐野元春の姿を見るのは初めてでしたが、とてもかっこいいですね。現役のミュージシャンです。過去を振り返るために聴くなんてことを言ったら失礼です。 どんなことであれ、現役であることは重要です。外来に来る患者さんを診て、いつもつくづく思います。元気な人は仕事をしています。仕事でなくとも必ず何かしらをしています。私も自分の体が許す限り、現役でいたいものです。そしていつまでも「Someday」という言葉に、夢を見ていきたいと思います。それからついでですが、カラオケができるようになったらまた歌ってみたいものです

月夜の浜辺

 中原中也は「月夜の浜辺」という大変美しく、そして悲しさを想起させる詩を書いています。 普段浜辺に接する機会がほとんどない私ですが、だからこそこの詩が私の心に響くのかもしれません。とは言っても、私は大学時代には春から夏にかけて部活動の練習後に、しばしば浜辺を走ったり、そのまま海に入って泳いだりしていました。当時、今のような感慨を持つことはありませんでした。それはこの詩を知らなかったことも理由の一つかもしれませんが、この詩を知っていたとしてもそれを味わう感受性自体も乏しかったと思います。 それからずいぶん年を重ね、そしてこの詩を触れて、夜の浜辺に対する私の向き合い方は大きく変わりました。今の生活で海を眺めることはほとんどありませんし、また海の見える場所に行ったとしても、浜辺を歩くこともほとんどありません。しかしなぜだかこの詩を知って以来、私は少しだけ自分の心に余裕が持てるようになった気がします。気がしているだけかもしれません。そして浜辺とは関係がなくとも雄大なものを眺めると、この詩の中に出てくる私にとってのボタンを見つけたくなります。 今の時期、早朝のまだ暗い中家の外に出ると、空気は凛としており冬を実感します。しかし空を眺めると、すでに春の大三角形をほぼ真南に見ることができます。うしかい座のアークトゥルス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラです。見るだけでうれしくなります。そしてこの夜空の中を走り始め、運が良ければごく小さなものを見つけたり、聞こえたりすることがあります。私の小さな喜びに繋がっています。 ところで先ほど私は、浜辺を歩くことはほとんどないと言いました。しかしもう数年前ですが、ほんの短い時間ですが月夜の浜辺を眺める機会がありました。それが日常のできごとであれば取り立てて言うことでもありませんが、私のように数年に1回、まして一生のうちでもそう多くはないとなれば、大げさですが私にとっては大きな出来事の一つと言って過言ではないでしょう。 日々の生活の中で特別な出来事があること、それはちっぽけなことでもいい、それこそが私たちが生きる上で大事なことだと思います。しかしそれは日常の生活を当然のこととして送ることができる、ということが条件です。日々の当たり前の生活に感謝するとともに、現在それが叶わない皆様に、日常の生活が戻ることを心からお祈りします。

「あしたのジョー」について

石川県能登半島地方で発生した地震により被災された方に、心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。 また高病原性鳥インフルエンザが発生した群馬県吾妻郡内の養鶏場に関係する皆様、今回のことで様々な業務にあたられた皆様、ご心労はいかばかりかとお察し申し上げます。 前者は日赤の使命として、後者は感染症指定病院として、ともに原町赤十字病院の職員が微力ながら支援させていただいております。関わった、あるいはこれから関わる職員に対しては敬意を表するとともに、自己の健康にも十分留意されることを願います。 年末年始はなんとなくあわただしい日々が続きましたが、私自身は週末に前橋市内に住む高校時代からの友人と久闊を叙し、気分転換してきました。彼とはとても長い付き合いですので多くの思い出がありますが、そのうち最も印象深いことのひとつが「あしたのジョー」です。この本は私と同世代の男子にとって、まさにバイブルでした。私は中学、高校時代に相当な数の漫画を読みましたが、ほとんど立ち読みでした。当時、漫画は立ち読みするのが当たり前だと思っていましたし、ほとんどの同級生も同じだったと思います。今思うとひどい話です。今更ながら、「本屋さん ごめんなさい」です。そんな状況の中で、彼は「あしたのジョー」全20巻を購入したのでした。びっくりもし、うらやましくもあり、やるなあ(何がやるなあなのか、よくわかりませんが)と、私の中で彼の株は大いに上がりました。 ところで「あしたのジョー」についてです。彼は最後のホセ・メンドーザとの試合が印象深いということでした。この試合はジョーの集大成でもあり大変感慨深いところです。しかし私にはその場面以上に、ジョーと戦う前の力石徹の姿が目に焼き付いています。力石のトレーニングの凄まじさ、その時の白木葉子との短い会話、そして試合での愚直な戦法。男子たるもの、こうあるべし、と深く心に刻み込まれたものです。 ところで大学時代、部活の先輩が卒業時に多くの漫画を譲ってくれました。その中には「あしたのジョー」もありました。もちろん読み返しました。群馬まで持っていこうかとも思いましたが、私も卒業時に先輩から譲っていただいたすべての漫画に加え、私が唯一全巻購入した「北斗の拳」も、後輩に譲ってきました。 最後にもう一言、私の実家にはなぜか「あしたのジョー」のシングル盤があ

新年あけましておめでとうございます

令和6年正月 明けましておめでとうございます。 日の光も、木々の姿も、空気の様子も昨日と比べ大きな変化はないはずなのですが、なぜか年が改まるとすべてが新鮮に感じられます。日本は四季が美しいと言いますが、四季そのものだけでなく、季節ごとの様々な風物が私たちの心を豊かにし、他者との共感を生んだと言っても過言ではないでしょう。新年という名の秩序があるからこそ、私たちには一年ごとに心を新たにし、前を向いて歩いていくことができるのではないでしょうか。 しかしながら病院内の仕事は、季節によって大きく変わることはありません。まして年末年始だからといって、病院を閉鎖するなどということはありえません。私自身は季節の移ろいにできる限り敏感でありたいと思っておりますが、仕事については話が変わります。この相反する事柄をアウフヘーベンするため、というと大げさですが、あえて大晦日の朝から元旦の朝まで当番をすることをここ数年の慣習としてきました。そしてそれが私自身の年末年始の恒例行事となりましたので、見事にアウフヘーベンされたと言ってもいいでしょう。しかも毎年元旦の早朝に全病棟を回診し、その時間に働いている職員に挨拶すること、病院の窓から見える元旦の太陽に向かって一礼することまでも、私自身の最も重要な正月行事となりました。やはり新しい年が始まるというのは、私たちには抗いようのない魔力です。 今年度から大晦日から元旦の当番はなくなりました。他の仕事をしっかりしろ、ということなのでしょうが、自分自身の新年の大事な行事が一つなくなったことは、少しばかり寂しい気持ちもあります。 ところで新年の思い出を一つ紹介しましょう。中学三年の大晦日、利根川近くの友人宅へ天体観測と称していつものように訪れました。そして夜中に、そこから10㎞以上離れた太田市の金山に自転車で行きました。初日の出を見るためです。それだけであればよくあることなのでしょうが、その後10㎞程自転車で走って太田市の元旦マラソンに参加しました。中学時代は走るのが割と早い方でしたので上位入賞を目指しておりましたが、全く寝ないで走るということがいかに無謀であることがよくわかりました。友人は賢かったためその大会には参加しませんでしたが、優しい人格でしたので、私のその無謀な挑戦のスタートからゴールまで付き合ってくれました。初日の出の姿は全く思い出せないので