無限の前に腕を振る
6月6日の土曜、東京駅近くで大学ラグビー部時代の仲間たちとの小さな集まりがありました。東京で働くものだけでなく、私のように東京以外のところから来たものも数名いました。年齢でいうと一番上が私、一番下は私が6年生だった時の1年生で、すべて同じ時代に一緒にプレーをした仲間です。そして当然のことながら還暦前後ということです。卒業後始めて会うものもいて、非常に感慨深いものがありました。それぞれ重要な立場で働いていて、しかも元気で、(一人はいまだに毎週のようにラグビーをしている)、話すことと言ったらやはり昔のことばかりです。40年前に引き戻されましたが、途中からの記憶は少々あやふやです。
当時は皆それぞれの生活があり、事情もあり、もちろん学校の実習があり、最低限の勉強もする必要がある中で、ほぼ毎日夕方の同じ時間に集まり、一つの目標のために汗を流していました。学校には行かなくても部活動の練習だけは誰一人休むことはなく、怪我のため練習に参加できなくてもグラウンドには必ず来ていました。誰だって調子の良くない時もあったと思われますが、不思議なことに病気で休んだという人の記憶もありません。練習は厳しかったのですが、終わった後に時々みんなで飲みに行くのは実に楽しいものでした。
6月7日の午後、ラグビートップリーグの決勝戦がテレビ中継されました。途中から見始めたのですが、つい見入ってしまいました。レベルは全く異なりますが、私自身も大学時代に3回決勝戦を戦ったことがあります。すべて負けましたので優勝の喜びを知りません。しかし負け惜しみでなく、優勝できなかったことは実はそれほど重要なことではなく、優勝を目指して仲間たちと同じ時間を共有したこと、言い換えればトップを目標とするチームに所属していたことの方がはるかに大事であると確信しています。大学卒業後はそんな気持ちでスポーツに取り組むことはなくなりましたが、その時の経験が今の私を心身ともに支えているのだと実感しています。
無限の前で腕を振る 中原中也のある詩の中の一節です。その解釈は人によって、また同じ人でもその時々によってかなりの幅があります。目に見えない世界、理解できない世界、言語化できない世界が無限というものでしょうか。あるいは全く効率的でない世界というものも無限に含まれるかもしれません。そのような世界でも私たちは腕を振り続けます。それは全く意味のないこともあるのでしょうが、いつの日か自分自身の人生に重大な意義をもたらしてくれることもあります。それは絶対に間違いのないことです。
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