ベートーヴェン交響曲第9番
先日、伊勢崎市で開催された群馬交響楽団による第9を鑑賞しました。毎年12月になると多くの日本人がそうであるように、私もご多分に漏れず30年以上前に購入したCDで第9を聞いていました。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1983年9月の演奏となっています。毎年複数回聞いていますので、相当な回数を聞いたことになります。いつかは生の演奏を聞いてみたいと毎年思っていたのですが、しかも行こうと思えばそれほど遠い場所で演奏会は行われていたのですが、残念ながら実現することはありませんでした。その理由はいくつかあるのでしょう。最も大きな理由はこの曲の性質にあるのだと思います。この曲の合唱部分は「歓喜の歌」と呼ばれています。もしこの曲を生で聴くのであれば、音楽が好きで、そして心を分かち合える人とともに聴くことが望みでした。今回生で第9を聴くことができたのは、つまりそのような友人がいたということです。
「地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言えるものは歓喜せよ」歓喜の歌の一節です。物事を考えること、走ることなどは、徹底的に個人的な、言い方を変えれば孤独な作業です。音楽を聴くこともある意味では個人的な経験です。しかし誰かとともに音楽を聴いた時、その曲にもよるのでしょうが、その感激は一人で聴く時より深く、美しく、強くなることがあります。それが音楽の持つ魅力の一つなのでしょう。
話しは変わりますが、私が代表を務めるNPO法人あがつま医療アカデミーの主催で、今から10年前の2014年12月27日という今振り返るととんでもない日に開催した「あがつま医療フォーラム」のテーマは「リビング・ウィル」でした。このフォーラムの最後にちょっとしたミニコンサートをしたのですが、実はこの時に第9の歓喜の歌をみんなで歌おう、という企画が一部で盛り上がりました。(一部というのは私と現在原町日赤の某課長です)早速知り合いの音楽の先生に相談したところ、「素人では無理です」と厳しい、というより当然の返事をいただき、その時は残念ながら断念しました。今でも「リビング・ウィル」と「歓喜の歌」はマッチしていると思っていますし、ベートーヴェンとシラーの想いに決して矛盾しないと信じています。
私のひそかな願いですが、原町日赤の職員や東吾妻町をはじめとする吾妻の住民の皆さんと一緒に、「歓喜の歌」を歌える日が来ることです。いつか実現するでしょうか?
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