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完全週休二日制の導入

今では当たり前となった完全週休二日制の制度ですが、歴史を紐解けば、その歴史は比較的新しい(いや、十分古い?)ことがわかります。1992年、つまり今から33年前に国家公務員の完全週休二日制は始まり、学校においては1995年に完全学校週5日制が導入されました。 病院が土曜を休みとするのはいかがなものかという議論もありましたが、公的な病院は徐々に完全週休二日制に移行してきました。群馬県内でもほとんどの公的病院が完全週休二日制を導入しています。その中で原町赤十字病院は、医療機関が少ない吾妻に立地していることも鑑み、第1、3土曜に限って外来診療を継続してきました。 令和5年12月25日付で「原町赤十字病院 完全週休二日制検討会」より、完全週休二日制の実施について正式な提案書を院長として受領しました。その根拠は「赤十字病院は全病院中9割以上が完全週休二日制を実施している」、「職員の確保が難しい地域事情に加え、土曜勤務のない職場への希望者が多い」、「完全週休二日制へ移行することで、安定的な職員の確保が可能になる」です。また職員全員を対象としたアンケートでも、完全週休二日制導入に関する数多くの意見を頂戴しました。そして令和6年3月25日、以下の指示をしました。 「令和7年10月より、完全週休二日制を導入する」 導入を決定するにあたって、当時私自身が職員に提示した4つの視点についてここに記載し、週休二日制を導入することの意義や課題について、改めて職員の皆様と共有したいと思います。また職員以外の方でこの文章を読まれる方々にも、私たちがどのような考えで週休二日制を導入したか、少しでも理解していただければ幸いに存じます。 一つ目は当院職員の視点です。安定した休養の時間をしっかり確保することで、職員は充実した仕事を行うことが可能になると思います。特に育児や介護に従事されている方のことを考えれば、早急に実現にすべきことです。 二つ目は患者、住民の視点です。医療機関の少ない吾妻の地で当院が土曜外来を中止する影響は、少なからずあることが予想されます。完全週休二日制の導入は、患者や住民にとっては必ずしも喜ばしいことではないでしょう。 三つめは当院の内部事情の視点です。職員数が十分とは言えない中での実施は、休日出勤の増加が予想されます。また慢性的に収支状況の厳しい中で実施することは、経営面への影響が危...

かなしさは疾走する

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私の小学校時代の音楽室には、偉大な作曲家の肖像画が飾られていました。ほとんどの肖像画はとても迫力がありましたし、彼らの音楽も同様に力強いものが多かった覚えがあります。その中でモーツアルトの曲は、軽快さはあるものの重厚感がやや乏しく、子供ながらに物足りなさを感じたものでした。今思えばとても浅はかな感想ですが、当時は背伸びをしたい時期でもあったので、よけいにそう感じたのでしょう。 モーツァルトの曲の美しさ、純粋さ、奇をてらったところがなく、ごく自然に音が流れ耳に入る、こういったことを素直に受け止めるようになったのは、自分自身が社会人となり世間の厳しさを経験し、自分ではどうにもできない世界を知るようになった30歳前後だったと思います。その後は折に触れモーツァルトを聴いています。モーツアルトを通して自分を見つめ直し、喜びや人の幸福について曲を通して教えてもらったと感じています。 ところで今回の表題です。「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい」人口に膾炙した文章ですのでご存じの方は多いかと思います。小林秀雄の「モオツァルト」の中の一節です。高校時代に読んだ本の一つですが、当時はその意味が全く理解できませんでした。当時の私の経験の乏しさからすれば当然のことなのでしょうが、それにしてもこの文章を単純に解釈すれば、「モーツァルトの音楽は悲しい」ということになります。いったい何が悲しいのかさっぱりわかりませんでした。しかしわからなくても、この言葉はずっと私の心から離れることもありませんでした。 年を重ね自分なりの人生の経験が少しずつ増えていくと、いつの頃からか定かではありませんが、モーツァルトの曲の中の「かなしさ」を感じとるようになってきました。 幸福や喜びに満ちた曲だからこそ、悲しさが内包されるということなのでしょう。私たちは平和の状態では平和を実感することは困難ですが、平和でない状況の中では平和の意味を知ることができる。これ以上ないような悲しみの中にこそ幸せや喜びを覚える。ありきたりの表現ですが、それはまさしく真実なのだと思います。 先日41番シンフォニーを初めて生で聞く機会がありました。生きている間に一度は必ず聞いてみたいと思ってい...

第42回群馬緩和医療研究会に参加して

9月13日、中之条町のバイテック文化ホールで「第42回群馬緩和医療研究会」が開催されました。当番世話人は、原町赤十字病院の笹本先生と看護師の加藤さんです。私もこの会に参加しましたので、その時に感じたことを書きたいと思います。 医療の世界は日進月歩です。たとえばがんに対する薬は常に研究され、そのうちのいくつかは実際に効果があるものとして世の中に登場します。またロボット手術などの低侵襲と言われる手術手技の進歩も、様々な領域で著しいものがあります。遺伝子レベルで病気の原因となる遺伝子を発見し、その情報に基づいたゲノム医療というものも現実化しつつあります。それらはまさに医療の発展と呼べるものですし、実際にこれらの新しい技術により恩恵を受けた方は数多くいらっしゃいます。 これらの進歩は大変素晴らしいことですが、今回の会に参加して、「医療はそれだけではない 他にも大事なことはあるのだ 病気ばっかり見ていてはいけない」ということを、改めて強く実感したところです。 たいがいの治療は、死を大前提にしていることは忘れてはいけない事実です。死をできる限り回避し、ある程度の犠牲を払っても長く生きることを可能とする治療が現代では優先されることが多いかと思います。もちろん整形外科のようにQOLを高めることを目的とする領域もありますが、それにしてもすべての患者さんは間違いなく死に向かって生きていくことになります。最先端の薬や技術をもってしても、治ることのない病はたくさん存在します。 医師の仕事に長く携わり私自身が今思うことは、結局すべての医療行為の行きつく先には「死」があるという現実です。「死ぬべき人間 いかに生くべきか」 古来よりずっと問われ続けた命題は、現代も色あせることはありませんし、これからもずっと続くことでしょう。 医療機関を訪れる患者さんの中には、この命題について深く悩まれて受診する方が決して少なくないと想像されます。 「緩和医療」の世界は、今後ますますその重要性を増していくことになるでしょう。今回の研究会の参加者は、医師や看護師はもちろん、薬剤師や栄養士、理学療法士、社会福祉士など、様々な分野の人たちが集まっていました。医療の原点を見る思いでした。 最期にもう一言。セッション3で「Haramachi Red Brass」の演奏がありました。とても素晴らしい演奏でした。進化しています...

壁抜け

「3か月でマスターするアインシュタイン」をという番組があります。講師の先生がわかりやすく説明していることになっていますが、私の理解力が乏しいのかやはり難しい。それでもこの分野は私の知的好奇心を刺激しますので、わからないなりに興味深く毎週録画して見ています。先週は壁抜け(専門用語ではトンネル効果というらしい)の話がありました。量子力学の世界では、粒子は壁をすり抜けることができる、ということのようです。専門的な話はできませんが、大袈裟に言うと、人間の肉体が壁を通り抜けることは、非常に低い確率であるが全くゼロではないということらしいです。 村上春樹の小説をよく読む人であればご存じの通り、彼の小説では「壁」というものは常に非常に重要なテーマになっています。壁をすり抜ける話も多くの作品の中にでてきます。これは主に意識の世界の移動、変化であり、物語であるからこそ可能であると思いながら、彼の作品に没頭すると、壁抜けは当然起こりうること、そして自分自身もいつか壁を抜けることがあるのではないかという気持ちにさせられます。死ぬまでに一度でもそんな経験をしてみたい、などと真面目に考えたりしてしまいます。「3か月でマスターするアインシュタイン」の中では村上春樹の壁抜けの話は全くありませんでしたが、あの番組を見た多くの人は、村上春樹の壁抜けのことを思い出したのではないでしょうか。 それにしても、物理学? 量子力学? 天文学?の分野は実に難解です。私たち多くの凡人は、そんな世界を知らなくても全く問題なく生きていくことができるのですが、わからなくてもそういった世界に対して想像を巡らすこと、たとえば壁抜けのことを真剣に考えることは、決して悪いことではないでしょう。 ところでこれらの学問の総称である自然科学というものは、人類の長い歴史からすると、この数百年、つまり最近発達した学問です。自然科学を十分理解できたとしても、それは人間の生活を便利にするかもしれませんが、人間の幸福に結びつくかどうかは別の話です。 本居宣長は、天文学でさえ人文学である、と言ったと小林秀雄は述べています。それは極端な表現でしょうが、確かに夜空の星たち、毎晩姿を変える月をみていると、その動きがどうであれ、宇宙の仕組みがどうであれ、人の感情に何らかの影響を与えるものです。自然とは(あるいは人間とは)、実に複雑怪奇です。

特別養護老人ホーム

令和6年4月、特別養護老人ホーム「いわびつ荘」が東吾妻町社会福祉協議会の運営下になったのを機に、原町赤十字病院が嘱託医の契約を結びました。嘱託医は定期的に診療を行う必要があり、私自身が月3回程度訪問診療をしています。 私は医師になり38年目を迎えましたが、特別養護老人ホームのようないわゆる高齢者施設内に足を踏み入れることはほとんどありませんでした。ちょうど20年前にNSTという栄養に関連するチームを院内で立ち上げた際、吾妻郡内の多くの高齢者施設の職員の方々と面識を得て様々な取り組みを共に行いました。知り合いは増えましたが、実際に現場を訪れることはなく、したがって施設を利用している方に直接会うこともありませんでした。 その後様々な人たちとの出会いを重ね、以前わからなかったこと、知らなかったことに気付かされます。7,8年前でしょうか、吾妻の老人クラブのある理事の方はこんなことをおっしゃっていました。「自分は一人暮らし。子供たちは皆県外で生活している。自宅で最期を迎えることが難しいと自覚している。体が弱ってきたら施設に入ろうと思っている」 今年春に亡くなった私の母は、90歳を過ぎても一人で電車に乗ることができましたが、最後の2年くらいは、緊急入院があったり、施設に入ったり、自宅に戻ったり、骨折して手術をしたりと、様々なことがありました。施設入所中には時々面会に行きましたが、そこの職員がとても礼儀正しいので安心したことを記憶しています。高齢者施設がとても身近に感じました。またこの数年の経験で、介護休暇の重要性を強く実感した次第です。 「いわびつ荘」の回診は、地域連携課の金子課長と、フロンティア薬局の薬剤師である石和さんと行っています。金子さんが事前に準備調整しているので、いつもスムーズに回診を行うことができます。薬については馴染みのないものが多いのですが、石和さんが適切なアドバイスをしてくれるので助かります。利用者の中には、私が以前手術した方が数名います。利用者との会話はそれなりに楽しく(意思疎通が困難な方、会話がちぐはぐな方も多いのですが)、結構な刺激を受けます。今では私の好きな仕事の一つです。 以前は自分とは直接関係のないと思っていた高齢者施設は、自分の親が入ることとなり、そしていずれは自分自身が入ることになるかもしれないと思うようになりました。だからというわけではあり...