壁抜け

「3か月でマスターするアインシュタイン」をという番組があります。講師の先生がわかりやすく説明していることになっていますが、私の理解力が乏しいのかやはり難しい。それでもこの分野は私の知的好奇心を刺激しますので、わからないなりに興味深く毎週録画して見ています。先週は壁抜け(専門用語ではトンネル効果というらしい)の話がありました。量子力学の世界では、粒子は壁をすり抜けることができる、ということのようです。専門的な話はできませんが、大袈裟に言うと、人間の肉体が壁を通り抜けることは、非常に低い確率であるが全くゼロではないということらしいです。

村上春樹の小説をよく読む人であればご存じの通り、彼の小説では「壁」というものは常に非常に重要なテーマになっています。壁をすり抜ける話も多くの作品の中にでてきます。これは主に意識の世界の移動、変化であり、物語であるからこそ可能であると思いながら、彼の作品に没頭すると、壁抜けは当然起こりうること、そして自分自身もいつか壁を抜けることがあるのではないかという気持ちにさせられます。死ぬまでに一度でもそんな経験をしてみたい、などと真面目に考えたりしてしまいます。「3か月でマスターするアインシュタイン」の中では村上春樹の壁抜けの話は全くありませんでしたが、あの番組を見た多くの人は、村上春樹の壁抜けのことを思い出したのではないでしょうか。

それにしても、物理学? 量子力学? 天文学?の分野は実に難解です。私たち多くの凡人は、そんな世界を知らなくても全く問題なく生きていくことができるのですが、わからなくてもそういった世界に対して想像を巡らすこと、たとえば壁抜けのことを真剣に考えることは、決して悪いことではないでしょう。

ところでこれらの学問の総称である自然科学というものは、人類の長い歴史からすると、この数百年、つまり最近発達した学問です。自然科学を十分理解できたとしても、それは人間の生活を便利にするかもしれませんが、人間の幸福に結びつくかどうかは別の話です。

本居宣長は、天文学でさえ人文学である、と言ったと小林秀雄は述べています。それは極端な表現でしょうが、確かに夜空の星たち、毎晩姿を変える月をみていると、その動きがどうであれ、宇宙の仕組みがどうであれ、人の感情に何らかの影響を与えるものです。自然とは(あるいは人間とは)、実に複雑怪奇です。

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