優しさと音楽

優しさとは何か、という問いについて皆さんはどう思うでしょうか。優しさの教科書的な意味は誰でも知っていることです。しかしそれを言葉で説明しようとすると、どうも言葉足らずになってしまいませんか。優しさのように人間の感情と深く関わる言葉は、それを誰が発しようとその言葉の意味するところに大きな違いはないでしょう。しかし私たち各々の優しさに関わる経験によって、その言葉のイメージするところはずいぶん異なるものかもしれません。他人に優しく接することは大事なことです。特に医療に従事する者は、患者さんや弱い立場にいる人、あるいは災害などに被災された人たちに優しく接することは義務と言えます。一方優しい行為を積極的に行おう、というと、優しさという言葉の持つ意味がちょっと違ったものになってしまうと感じます。優しさとは常に自分が他人から受けた行為やしぐさです。つまり受動的なものであり、それを自分自身が自覚したときに初めて意味を持つのではないでしょうか。それは、他人から見れば非常にちっぽけなことが多いかもしれません。しかもそれを与えた本人が優しい行為をしたという自覚していないときの方が、それを受けた人はその優しさを感じるものなのかもしれません。

先週末、音楽の演奏を鑑賞する機会がありました。音楽は実に多くのことを私たちに語りかけてくれます。音楽は耳で聴くものだということは承知していますが、演奏会の場では間違いなく耳ではなく心で聴いています。音楽が私たちに様々な記憶を呼び起こします。人間の感情はすべて音楽に内包されているようです。自分自身がいかにとるに足らない人間であっても、そんなことは何の頓着もなく、音楽は私自身の心を揺さぶります。

ある曲を聴いていた時です。あまりの美しさに、音楽を聴きながら緊張してしまいました。言葉はいらない、まさしくその音楽は優しさそのものを表現していました。そしてそのままずっとその音楽の中に沈み込みたいという、実に変な気持ちになりました。

私は文学に愛着を持っていますので、言葉で表現される様々な書物をいつも携えています。文学によって、人間の悲しみや喜び、愚かさ、未来への希望などに触れることができます。見ぬ世の人を友とすることもできます。娯楽としてこれに勝るものはないと個人的には思います。

音楽は言葉を使って表現するものではありません。しかしある場面では、音楽は言葉で表現された文学以上に、雄弁に多くのことを表現します。音楽は間違いなく、私の人生に何らかの意義を与えています。

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