投稿

7月, 2024の投稿を表示しています

暑い夏

以前から感じていたことですが、天気予報の報道が多くなりましたよね。午前5時台のNHKラジオでは、3回も天気予報のコーナーがあります。ちょっと多すぎませんか、さっき聞いたよ、などと思いながらも毎日のように聞いています。天気予報というと私には「ヤン坊マー坊」が思い出されます。NHKでも天気予報の番組はあったと思いますが、あまり記憶にありません。天気が気になるのは大事な行事の前くらいですので、普段は天気予報を気にすることが少なかったのでしょう。夏は昼間暑いけれど朝夕は涼しい、そして時々夕立、というのが私の暮らした街の普通の自然現象だったと思います。今ではほとんどの家庭でエアコンはありますね。小中学時代、私が遊びに行く家にはありませんでした。(もしかしたらあったかもしれませんがそれは特別の部屋だけで、子供が集まる部屋にエアコンがあるということは考えられませんでした)我が家もありませんでした。扇風機と自然に入る風のみで夏を過ごしていましたし、それで問題はありませんでした。 いつから日本の夏がこんなに暑くなったのでしょうか。気象予報士の資格試験は平成6年(1994年)に始まったようです。それから天気予報が増え、日々の最高気温を知ることになり、よけいに暑さを意識するようになったような気がします。もちろん暑さの原因が気象予報士にあるわけではありません。しかし「暑い日が続いています。熱中症に注意して、適切にエアコンを使用してください」という言葉を毎日のように耳にすると、もう勘弁してください、という気持ちになってしまいます。誰もが気が付いていることですが、エアコンをはじめ多量の熱を発生する道具を使うことで、より暑くなっているということのでしょう。 暑い夏の思い出を一つだけ紹介します。大学時代の夏、高校時代の友人の会社でアルバイトをしたことがあります。友人の親は建設会社を営んでいて、立派な家に住んでいました。高校時代に数回泊まりに行ったことがあります。当然エアコンがある家でした。仕事というのは、畑の中の2㎞ほどの砂利道を舗装する仕事です。そこには日陰が全くありません。7月終わりから8月初めにかけて、毎日パーフェクトな晴天、とてつもない猛暑でした。暑くてたまらないのに、お昼は近くのラーメン屋でなぜか熱いラーメンを連日食べました。その友人とともに毎日汗だくになりながら仕事をして給料(お小遣い...

心理的安全性

前橋日赤の松尾副院長の計らいで、7月19日に前橋赤十字病院で開催された医療安全講演会を、原町赤十字病院でもオンラインで同時聴講する機会をいただきました。講演のタイトルが「医療安全と心理的安全性」というものでした。「心理的安全性」という言葉は意味としては理解できますが、あまり馴染みのない言葉でもあり、また医療安全とどのように関連するのか興味をもって拝聴しました。ここでは講演の中で取り上げられた「心理的安全性」に関する代表的な事例を紹介したいと思います。(架空の事例です) ある看護師が、薬の量が一桁多く記載された処方箋を見つけました。この量はこの薬のことを知っている医療者であれば誰でも間違いだと気づく量です。看護師は自分でその量を修正できないので、その薬を処方した医師に直接話そうと思いますが、その医師は普段から非常に話しづらいタイプの医師だったようです。その看護師は勇気を出してその医師に間違いを指摘しました。本来であればその医師は感謝すべきなのですが、なんとその指摘に対して「そんな数字は間違いに決まっているだろう、自分がそんな処方を出すはずがない、だいたい看護師の分際で医師に対するその態度は何だ」と、逆切れを起こします。とんでもない医師ですよね。この例はかなり極端ですが、このような事例がいくつか紹介されました。講演された先生も「こんな医師はどこにでもいますよね。私もいくつかの病院で経験しています」とおっしゃっていました。確かにそうだなと思いながら、自分自身のことでもあるなと、反省もしたところでもあります。 この事例からも推測できると思いますが、「心理的安全性」とは組織内の気になったことや間違いを、気軽に言い出せる雰囲気を保つことです。多くの医療安全上の問題は、実は誰かが気がついているけれども、それが共有されていないときに起こります。離職やハラスメントの防止にもつながる重要な概念です。ただし注意すべきことは、気軽な雰囲気が蔓延し過ぎると安易な生ぬるい環境になってしまいますし、また言いたいことを言い合えるということは、それが過激になると非難し合う、悪口を言い合う状況に陥ることもあります。つまり「心理的安全性」は重要なことではあるけれど、最低限のルールや知識がないと、理想とはかけ離れた姿になってしまうリスクもあります。 それを回避するためには、お互いを尊重しあう態度、謙虚な姿...

かたみのすすき

先週末、仙台を訪れました。家路に向かう時に立ち寄った、ある場所についてお話ししたいと思います。 40歳代の頃から、折に触れて芭蕉に纏わる本を読んでいます。その中には当然「奥の細道」もあります。芭蕉を知り、奥の細道を知ると、おそらく多くの人が思うことでしょうが、実際にその場に訪れてみたいという欲求が生まれます。しかし奥の細道はあまりに長い旅ですので、それを実現することは簡単なことではありません。10年くらいかけて少しずつ巡ることができればと考えていましたが、未だに達成していません。実は半分も達していません。いつしか、生きている間に行くことができればという方針に変えていますが、それもどうなることやらです。 ところで今回のタイトルである「かたみのすすき」です。奥の細道を読むことで藤原実方(さねかた)を知り、そして実方を懐かしんで詠んだ西行の歌 朽ちもせぬ その名ばかりをとどめ置きて 枯野のすすき 形見にぞ見る を知りました。 枯野の薄を形見としてみる、枯野の薄が形見であるという表現は、この歌を知った頃の自分にとっては、何とも寂しい気持ちを強いるものでした。実方のように後世にその名を留め置かれた人物にして枯野の薄なのですから、私自身を含めほとんどの市井の人間も、その生を終えれば枯野の薄のような姿になるのも当たり前のことなのかもしれません。人の一生は儚いものですね。この歌とともに「かたみのすすき」は、私の記憶にとどまることになりました。 ところで芭蕉はこの地を訪れて、次の句を詠んでいます。 笠島は いづこ五月のぬかり道 芭蕉には失礼ですが、私には何とも味気ない句に思えてなりませんでした。私は2011年、つまり東日本大震災の年の秋、ある学会からの帰宅途中にこの地を訪れています。佐藤兄弟が祀られている医王寺、武隈の松などとともに、「かたみのすすき」にも何としても行ってみたいと思い車を走らせました。しかしその場所が見つかりません。芭蕉と同じように、結局その地に行き着くことができないかと諦めかけていました。同時に、初めて芭蕉の句がしみじみと感じ入った次第です。そんなことを考えながら運転していた時、「かたみのすすき」の小さな案内板を発見しました。実にささやかな実方のお墓とともに、「かたみのすすき」と記された薄?が植えられていました。 今回13年ぶりに「かたみのすすき」を訪れたいと思い車...

金閣寺から考えること

先日ラジオの「今日は何の日」を聴いていたら、金閣寺炎上の日であると言っていました。1950年(昭和25年)のことです。 金閣寺というと、私にはどうしても三島由紀夫、そして美、というものが想起されます。振り返ってみると、私は幼少期の頃から美というものに対して何らかの理解をしていたと思います。しかしそれが何かと問われたら答えに窮したことでしょう。もっともそんな質問を受けたことはなかったかもしれません。受けていたとしても、きっとまともな回答はできなかったでしょうし、だからこそ記憶にないのだと思います。 しかし年を重ねるにつれ、音楽や文学をはじめとする芸術一般について、何かしらの親愛の情のようなものが自分にはあるのだと自覚してきました。残念ながらそれを実践する才能は有りませんが、それらに時々でも触れることが喜びでもあり、自分自身を保つうえで重要なことであると、今でも感じています。 三島由紀夫が小説「金閣寺」で描写した美の世界は、私にとっては大きな衝撃でした。その後この本を読み返すことはないのですが、美についての考えは徐々に変化し、この本に対する私の考えも変わってきました。いや変わったという表現は適切ではありません。美に対する絶対的な親愛の情は不変ですが、美に対する視座が増えてきた、そのため変わってきたような気がする、というべきでしょう。美は時に恐れであり、畏れでもあります。人に喜びを与えるだけでなく、争いの原因になります。憧れの対象と同時に嫉妬の対象でもあります。時に不安や不満をもたらすこともあります。さらに言えば、概念としての美は、現実の美しさとは異なるものでもあります。 人間の心とは実に複雑ですよね。美というたった一つの言葉に対しても、様々な解釈があります。様々な表現方法があります。そしてそれを触れる側にも、その感受性には大きな違いがあります。 美という非常に分かりづらい問題を考えると、ちょっと飛躍しすぎかもしれませんが、私はどうしてもAIのことが頭によぎってしまいます。AIは美に対してどのような態度をとるのでしょうか。そしてどこまで人の心に迫れることができるのでしょうか。近い将来、人間の心の機微に触れることのできるAIが作られるでしょうか。それとももうできているのでしょうか。そしてそれは、良いことなのでしょうか。 AIは進歩と言えます。しかしこれを人間の進歩として単純...

梅雨入りで想うこと

毎年6月頃になると、今年の梅雨入りは早いとか遅いとか、あるいは例年通りとかという報道が連日のようになされます。以前は特定の日を梅雨入りとしていましたが、いつの頃からか梅雨入りの日は・・頃となりましたね。今年の関東の梅雨入りは6月21日だったようです。 梅雨入りしているのですから曇りの日や雨の日が多いのは納得するところですが、この時期は、日の光を見ることが少なく寂しく感じます。そしてそれ以上に寂しいのは、月影や星の瞬きを見る機会が少ないことです。 思い返してみると、ずいぶん長い間、星の煌めきを目にしていません。残念ですし、たぶんそれが要因の一つでしょうが、梅雨時期の星座についての知識はほとんどありません。 私たちは、毎日それがその場にあるということで、それを当たり前と感じてしまいます。不在を知ることで在、つまり在ることの意義や有難みを初めて知ることは多いのではないでしょうか。私の実家は太田市、旧新田郡尾島町です。この地の冬は雪だけでなく雨もほとんど降ることなく、ほぼ毎日晴天です。そのため外で遊ぶことの多い少年は,四季と関係なく冬でも日焼けしていることが珍しくありません。大学時代を新潟市で生活したのですが、群馬では当たり前のように降り注いでいた日の光を冬の新潟ではめったにお目にかかることはありませんでした。日輪が輝くことの意味、特にその地で生活している人が日の光を大切に思う気持ちを知りました。不在を知って初めて在の意味するところを知る、以前から言われ続けてきた言葉ですが、梅雨の時期は、太陽や月、星の意味を考え直す、いい機会かもしれません。 ところで私は、この文章の中で大きな偽りを書き続けていることを自覚しています。お気づきの方もきっといるでしょう。梅雨の時期の太陽や月、星は不在ではありません。これらは雨や雲に隠れているだけです。つまり見えないだけです。決して不在ではありません。 私たちは多くの場合、目に見えるものに注意を向けがちです。そして見えないものについては、そこに心を寄せることが少なくなっているような気がします。私たちと勝手に皆様を仲間にしてしまいましたが、私自身がまさにそのような態度、姿勢をとっていることが多いと反省しています。 どうすればいいのか。小林秀雄が言うように、私たちはイマジネーションを磨くことが重要なのでしょう。イマジネーション、つまり想像力を働かす...