梅雨入りで想うこと

毎年6月頃になると、今年の梅雨入りは早いとか遅いとか、あるいは例年通りとかという報道が連日のようになされます。以前は特定の日を梅雨入りとしていましたが、いつの頃からか梅雨入りの日は・・頃となりましたね。今年の関東の梅雨入りは6月21日だったようです。

梅雨入りしているのですから曇りの日や雨の日が多いのは納得するところですが、この時期は、日の光を見ることが少なく寂しく感じます。そしてそれ以上に寂しいのは、月影や星の瞬きを見る機会が少ないことです。

思い返してみると、ずいぶん長い間、星の煌めきを目にしていません。残念ですし、たぶんそれが要因の一つでしょうが、梅雨時期の星座についての知識はほとんどありません。

私たちは、毎日それがその場にあるということで、それを当たり前と感じてしまいます。不在を知ることで在、つまり在ることの意義や有難みを初めて知ることは多いのではないでしょうか。私の実家は太田市、旧新田郡尾島町です。この地の冬は雪だけでなく雨もほとんど降ることなく、ほぼ毎日晴天です。そのため外で遊ぶことの多い少年は,四季と関係なく冬でも日焼けしていることが珍しくありません。大学時代を新潟市で生活したのですが、群馬では当たり前のように降り注いでいた日の光を冬の新潟ではめったにお目にかかることはありませんでした。日輪が輝くことの意味、特にその地で生活している人が日の光を大切に思う気持ちを知りました。不在を知って初めて在の意味するところを知る、以前から言われ続けてきた言葉ですが、梅雨の時期は、太陽や月、星の意味を考え直す、いい機会かもしれません。

ところで私は、この文章の中で大きな偽りを書き続けていることを自覚しています。お気づきの方もきっといるでしょう。梅雨の時期の太陽や月、星は不在ではありません。これらは雨や雲に隠れているだけです。つまり見えないだけです。決して不在ではありません。

私たちは多くの場合、目に見えるものに注意を向けがちです。そして見えないものについては、そこに心を寄せることが少なくなっているような気がします。私たちと勝手に皆様を仲間にしてしまいましたが、私自身がまさにそのような態度、姿勢をとっていることが多いと反省しています。

どうすればいいのか。小林秀雄が言うように、私たちはイマジネーションを磨くことが重要なのでしょう。イマジネーション、つまり想像力を働かすことで、見えないものもその存在を実感することができるかもしれませんし、それこそが私たちが生きる上で最も大事なことなのだと思います。

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