かたみのすすき
先週末、仙台を訪れました。家路に向かう時に立ち寄った、ある場所についてお話ししたいと思います。
40歳代の頃から、折に触れて芭蕉に纏わる本を読んでいます。その中には当然「奥の細道」もあります。芭蕉を知り、奥の細道を知ると、おそらく多くの人が思うことでしょうが、実際にその場に訪れてみたいという欲求が生まれます。しかし奥の細道はあまりに長い旅ですので、それを実現することは簡単なことではありません。10年くらいかけて少しずつ巡ることができればと考えていましたが、未だに達成していません。実は半分も達していません。いつしか、生きている間に行くことができればという方針に変えていますが、それもどうなることやらです。
ところで今回のタイトルである「かたみのすすき」です。奥の細道を読むことで藤原実方(さねかた)を知り、そして実方を懐かしんで詠んだ西行の歌
朽ちもせぬ その名ばかりをとどめ置きて 枯野のすすき 形見にぞ見る
を知りました。
枯野の薄を形見としてみる、枯野の薄が形見であるという表現は、この歌を知った頃の自分にとっては、何とも寂しい気持ちを強いるものでした。実方のように後世にその名を留め置かれた人物にして枯野の薄なのですから、私自身を含めほとんどの市井の人間も、その生を終えれば枯野の薄のような姿になるのも当たり前のことなのかもしれません。人の一生は儚いものですね。この歌とともに「かたみのすすき」は、私の記憶にとどまることになりました。
ところで芭蕉はこの地を訪れて、次の句を詠んでいます。
笠島は いづこ五月のぬかり道
芭蕉には失礼ですが、私には何とも味気ない句に思えてなりませんでした。私は2011年、つまり東日本大震災の年の秋、ある学会からの帰宅途中にこの地を訪れています。佐藤兄弟が祀られている医王寺、武隈の松などとともに、「かたみのすすき」にも何としても行ってみたいと思い車を走らせました。しかしその場所が見つかりません。芭蕉と同じように、結局その地に行き着くことができないかと諦めかけていました。同時に、初めて芭蕉の句がしみじみと感じ入った次第です。そんなことを考えながら運転していた時、「かたみのすすき」の小さな案内板を発見しました。実にささやかな実方のお墓とともに、「かたみのすすき」と記された薄?が植えられていました。
今回13年ぶりに「かたみのすすき」を訪れたいと思い車を走らせましたが、前回と同様なかなかたどり着きません。あきらめようと思った矢先、前回と同様たまたまその場所を見つけることができ、13年前と全く同じ風景を目にしてきました。変わらないことは素敵なことです。
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