新年あけましておめでとうございます

令和6年正月
明けましておめでとうございます。
日の光も、木々の姿も、空気の様子も昨日と比べ大きな変化はないはずなのですが、なぜか年が改まるとすべてが新鮮に感じられます。日本は四季が美しいと言いますが、四季そのものだけでなく、季節ごとの様々な風物が私たちの心を豊かにし、他者との共感を生んだと言っても過言ではないでしょう。新年という名の秩序があるからこそ、私たちには一年ごとに心を新たにし、前を向いて歩いていくことができるのではないでしょうか。
しかしながら病院内の仕事は、季節によって大きく変わることはありません。まして年末年始だからといって、病院を閉鎖するなどということはありえません。私自身は季節の移ろいにできる限り敏感でありたいと思っておりますが、仕事については話が変わります。この相反する事柄をアウフヘーベンするため、というと大げさですが、あえて大晦日の朝から元旦の朝まで当番をすることをここ数年の慣習としてきました。そしてそれが私自身の年末年始の恒例行事となりましたので、見事にアウフヘーベンされたと言ってもいいでしょう。しかも毎年元旦の早朝に全病棟を回診し、その時間に働いている職員に挨拶すること、病院の窓から見える元旦の太陽に向かって一礼することまでも、私自身の最も重要な正月行事となりました。やはり新しい年が始まるというのは、私たちには抗いようのない魔力です。
今年度から大晦日から元旦の当番はなくなりました。他の仕事をしっかりしろ、ということなのでしょうが、自分自身の新年の大事な行事が一つなくなったことは、少しばかり寂しい気持ちもあります。
ところで新年の思い出を一つ紹介しましょう。中学三年の大晦日、利根川近くの友人宅へ天体観測と称していつものように訪れました。そして夜中に、そこから10㎞以上離れた太田市の金山に自転車で行きました。初日の出を見るためです。それだけであればよくあることなのでしょうが、その後10㎞程自転車で走って太田市の元旦マラソンに参加しました。中学時代は走るのが割と早い方でしたので上位入賞を目指しておりましたが、全く寝ないで走るということがいかに無謀であることがよくわかりました。友人は賢かったためその大会には参加しませんでしたが、優しい人格でしたので、私のその無謀な挑戦のスタートからゴールまで付き合ってくれました。初日の出の姿は全く思い出せないのですが、マラソン大会で走っている時、何しろとても苦しかったことだけは鮮明に覚えています。ゼーゼーしながら完走し、また自転車に乗って自宅まで10㎞程走って帰りました。典型的な、「若気の至り」です。
 

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