頼むから静かにしてくれ
どこにでもいるごく当たり前の、そして良心的に生きようと努力している人が、何らかの原因によって、それはおそらくほんのわずかな欠陥のせいで、やはりどこにでもあるような人生の落とし穴に落ち込んで、にっちもさっちもいかなくなっている。(この文章はある作家の文章を一部引用しています)こんな光景は、誰でも目にしたことがあるのではないでしょうか。というより、誰もが経験していると言った方が適切かもしれませんね。落とし穴に落ちても這い上がれればいいのですが、最初はほんのわずかな窪みだったはずが、知らぬ間に蟻地獄の巣のようになってしまうこともあります。
人は時間を持て余すと、様々ななことをあれこれ考えすぎる傾向にあります。考えすぎることが悪いわけではないのでしょうが、そのちょっとした考えが誤解を生み、小さな落とし穴に入り込んだことをきっかけに他人との関係を気まずくしてしまうことは、私たちにはよくあることです。話が変わりますが、働き方改革は私たち自身が自由に使える時間を確かに増やしました。おかげでいろいろなこともできるし、考える時間も以前よりも増えました。それは良いことのように見えますが、実はその得られた時間を上手に使いこなすことは、実はかなり難しいことです。
私たちの日々の生活には、常に不条理な要素が紛れ込んできます。如何ともし難いこれらの不条理に知性や理性だけで解決しようと思っても、なかなかうまくはいかないものです。上手にいなすことができれば良いのでしょうが。あるいは見て見ぬふりをするというのも一つの方法かもしれません。いや、そんなことは自分の良心が許さない、真っ向から対決だ、という選択をしなくてはならないこともあるでしょう。特に正解があるわけではありません。
年末年始はいつもより自由にできる時間が増えましたので、その分私は普段より多くの本を読むことができました。今回のタイトルはいくつか読んだ本の中で、最もインパクトのあるタイトルを借用しました。今回の文章はその感想のようなものです。
頼むから静かにしてくれ Will you please be quiet, please?
口に出すのは憚られても、このような言葉を発したいときは誰でもありますよね。ただ単に周りがうるさいからというのではなく、とても悲しい時、何かについて考えを巡らしている時、反省している時、蟻地獄の巣の中に落ち込んでしまった時、そして自分一人の世界に閉じこもっている時。自分のことを心配して、親切心から声をかけてもらっていることを十分承知していても、情けないことにこんな表現をしてしまう。私も然りです。
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