分久必合 合久必分
分かれること久しければ必ず合し 合すること久しければ必ず分かる
三国志演義の冒頭の言葉です。意味は文字通りで、「分裂が長ければ必ず統一され、統一が長ければ必ず分裂するものである」。三国志は、後漢末の乱世の時代に多くの豪傑が天下統一の夢を見て魏・呉・蜀の三国分立の体制を確立したものの、結局その三国はすべて滅んでしまうという約100年間の歴史を現したものです。私は30歳代に陳舜臣の「秘本三国志」という本を読みました。その時どの人物に焦点を当てるかによって様々な書き方、読み方ができることを理解し、そして中国の歴史はまさに「分久必合 合久必分」だと実感したものです。陳舜臣と親交のあった司馬遼太郎の著作である「項羽と劉邦」や「韃靼疾風録」という本を読んだときも同じような感慨を抱きました。最近読んだ本の中に井波律子の中国文学逍遥というものがあります。先日また借りて再読しています。この中で三国志の「分久必合 合久必分」という言葉を紹介しています。この本は中国文学の面白さ、奥深さを私に優しく教えてくれる大切な本です。
ところで「分久必合 合久必分」という言葉です。三国志の中では国の成り立ちや滅亡に関する言葉として用いられていますが、これは人間個々の付き合いでも同じようなことが言えるのではないかと思います。長い間会っていない人たちとも何かの機会で再会することもあるし、またずっと会っている人ともいつかは別れなくてはいけない時もある、とも解釈できます。
12月13日の土曜、約1年ぶりに中学校時代の同窓11名の小さな集まりがありました。故郷を離れて暮らすようになってかなり長くなってしまった私からすると、この中学校時代の仲間との絆は相当細い糸ですが、それでも完全に切れているわけでもなく、たまに会っていろいろな話を聞くのは楽しいものです。しかし集まった友人の一人は、ごく最近母親を亡くしていました。そしてある友人は、稀な病気に罹患したため東京の病院に定期的に通院しているとのことでした。「来年の会には参加はできねえかもしれねな」と豪快に笑いながら話す姿は、昔の彼を知っているだけに何とも言えない複雑な心境です。
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という言葉があります。もしものとき(最期のとき)のために、人生の最終段階における医療やケア、生活、さらに自分が大切にしていることについて、家族らの信頼できる人や、医療・ケアチームらと繰り返し話し合い、共有する取り組みのことです。私の大事な仕事の一つであり、日赤本社でも力を入れている分野です。
彼の言葉を聞いて、ACPの重要性を改めて認識した次第です
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