せかるべき方なきこと

11月30日の日曜の早朝、いつものようにポケットラジオを手にしてランニングをしました。日曜6時からNHKラジオ第2で「古典朗読」を放送しています。これを聴きながらランニングをすることが、かなり長く続く私の大事にしている習慣の一つです。今年は春から「源氏物語」が取り上げられています。走りながら聴いているわけですから熱心に聴いているとはとても言えないのですが、それでも時々集中しています。源氏物語は「古典朗読」の中で今までもたびたび取り上げられていますので、また源氏物語に関する本もいくつか読んでいますので、だいたいのあらすじは知っているつもりです。この日の内容は「若菜上」でした。

「若菜上」では、栄華の絶頂にいたった源氏に様々な暗雲立ち込めるところです。源氏の兄である朱雀院の願いにより、その娘である女三の宮を妻にすることになります。正妻である紫の上は動揺します。その時の紫の上の言葉が、以下の通りです。

「かく空より出で来にたるやうなることにて、逃れたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ。(中略)せかるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞こえじ。」

訳すと以下の通りです。

「このように空から降って来たようなことなので、ご辞退できなかったのだから、恨み言は申し上げまい。(中略)せき止めるすべもないものだから、自分の立場をわきまえずうち沈んでいる様子、世間の人に漏れ見せまい。」

「せかるべきかたなきこと」とは、避けようがない、仕方がない、個人の力ではどうしようもない、ということです。世の中にはいつの時代でも、もちろん現在でもあることです。

紫の上は女三の宮が源氏のもとに降嫁することが決まった時、心穏やかではなかったでしょうが、不満を口にすることなく、それを静かに受け入れたのでした。

「空より出で来にたるやうなること」は、年を重ねれば重ねるほど、それが当然のように起こりうることは誰でも経験することです。そしてそれを運命として受け入れざるを得ないことも多々あります。身近な人の死、自分自身の病気、予期しない怪我や事故、その他いくらでもあるでしょう。しかし受け入れることが到底できない「空より出で来にたるやうなること」もあります。これについては、自己の良心に従って行動するのみです。

たまたま借りてきたCDの解説の最後に、こんな言葉が掲載されていました。

それでも人は運命に立ち向かってゆく 西本智実

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