100の診療所より1本の用水路

12月6日、亡くなって6年経過した中村哲先生を追悼する番組がNHKで放送されました。ご覧になった方もいることでしょう。亡くなる数か月前、私はある方より中村先生のことを伺う機会がありました。当時の私は、中村先生のことをほとんど知らないといっていいような状況でしたが、その方に影響されさっそく中村先生の著書をいくつか読みました。

中村哲先生は昭和21年、福岡県で生を受けています。九州大学医学部を卒業後、昭和59年にパキスタンに赴任、以来ハンセン病を中心とする医療活動に従事してきました。途中からアフガニスタンを活動拠点に移し、令和元年(2019年)12月4日、凶弾に倒れるまで、長きにわたりアフガニスタンの住民のために、まさに命を懸けて生き抜きました。

自分が生きる時代にこれほどすごい人がいるということを知り、ただただ感激しました。著書を読み始め、中村先生の話を直接うかがう機会があれば、いつでもどこにでも(と言っても日本国内という意味ですが)行こうと思った矢先の訃報でした。愕然としました。

中村先生が用水路を作ろうと思い、それを実行し、成し遂げたことは、人間の長い歴史の中で最も素晴らしい仕事の一つであると私は思います。人間の信念、誠意、そして他者との信頼関係こそが、最も偉大な仕事に向かわせたのでしょう。もちろん誰でもできることではありません。そしてもう一つ中村先生が私に教えてくれたことがあります。それは医療というのは人間が生きる上で大切なものですが、医療と同じように大切なものはいくらでもある、むしろ医療よりもずっと大事なものもいくらでもあるということを気付かせてくれました。それが100の診療所より1本の用水路です。

人の肉体の一生というものは実にはかないものです。しかしその精神は亡くなった後も残ります。その方を知る人が存在し続ければ、その人の魂も生き続けるものだと思います。その志を受け継ぐひとがたくさんいます。人間という生き物は本当に素晴らしいですね。

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