安楽死の問題から考えること

今年に入りフランス国民議会(下院)およびイギリス議会下院で、相次いで「安楽死」に関する法案が可決されました。今後は上院で審議されますので、直ちに法制化、施行という流れにはならないのでしょうが、世界を眺めれば、オランダ、ベルギー、カナダ、スイス、オーストラリアの一部、ニュージーランド、スペイン、コロンビアなど、すでに安楽死が認められている国はいくつかあります。

「安楽死」の定義についてここで述べることはしませんが、世の中の一定数の人びとは、「安楽死」を認めてほしいと訴えます。一方障碍者や要介護者といった社会的弱者が周りに負担をかけないよう死を選ぶ状況に追い込まれかねない、という懸念も以前から指摘されています。それはまさにその通りで、そのような方々への配慮を無視した法案の成立はありえません。

先日NHKで、「人間にとって最良の死とは何か?」をテーマとした番組があり、「安楽死」の問題も取り上げていました。私自身も常に関心を持っていることであり、今回の院長室便りのタイトルとしました。

病院には様々な病気や怪我を理由に、多くの方が受診されます。軽症の方もいれば、重い病気があって受診する方もいます。重い病気の方にはどうしても「生と死」の問題が付きまといます。病気のことだけを考えて治療するのであればそんなに困難なことではないのかもしれませんが、実際に治療を受けられる方々には様々な背景があります。心臓や脳、糖尿病などの併存疾患、家族との関係、経済的な問題、通院の方法、足腰が悪いなどの身体的問題、心の病気、認知症などにより意志疎通が難しいなどです。そしてこれらの問題は、複合的に存在していることが普通と言えるかもしれません。

私の外来では、「生きていても何もいいことなんてないよ」とか、「早く向こうの世界に行きたいけど、なかなかお呼びがかからないよ」とか、ストレートに「早く死んじゃいたいよ」とかおっしゃる方がいます。最愛の家族に先立たれてしまった、という方も多数いらっしゃいます。ここには人生の真実が存在します。

今後どれだけ医療が発達進歩しても、「安楽死」を含めたこういった問題は、人類が続く限り未来永劫解決されることはないでしょう。正しいとか正しくないとかという問題ではありません。そして医療に従事するものであれば(医療に従事していなくても)、これらの問題に対して解決を求めようとするのではなく、常に真摯に考え続け、繰り返し問うことが大事なのだと思います。

「安楽死」とは直接関連がありませんが、昔読んだ本の影響か、「安楽死」について考えるといつもこの歌が頭に浮かびます。

わが心 慰めかねつ 更級や 姥捨山に 照る月を見て 詠み人知らず 古今和歌集

コメント

このブログの人気の投稿

オークワテラス

中学時代の記憶

ベートーヴェン交響曲第9番