歯ブラシを変える時に考えたこと
最近歯ブラシを変えました。実はずいぶん前から変えようと思い、新しい歯ブラシも用意してあったのですが、ずっと変えることなく古い歯ブラシを使っていました。古い歯ブラシは毛先が丸くなり、毛先そのものも歪んでいました。だからと言って決して使えないわけではありません。懇意にしている歯科の先生から、歯ブラシは月に1回程度変えるものです、とアドバイスを受けたことがありましたが、全く守っていません。馬耳東風です。
歯ブラシは多くの人が毎日使っているものと思います。毎日使えば当然のことながら劣化します。しかしその劣化は、一日単位で言えばわずかなものです。毎日写真を撮ることで客観的に、あるいは科学的に日々の劣化を証明することができるかもしれません。そのような手段を用いて歯ブラシの変更のタイミングを決めているという人も世の中にはいるかもしれませんが、きっとかなりの少数派でしょう。
靴や衣服を新しいものに変えるタイミングも同様です。いつも使っているコップや茶わん、箸なども同じことが言えると思います。新しいものに変更するということは、古いものを処分するということでもあります。もちろん古いものを捨てずに保管する方もいるでしょうが、それらがあまりに増えると厄介です。使い続けたものであればそれなりに愛着もわきますので、処分するにしても保管するにしても、どちらかを選択しなくてはなりません。
「人生は常に選ばせられるもので、自分はついに一つの道しか選ぶことができないけれども、その道を選んだものとして正面から引き受ける態度、そこに実存主義の倫理が生まれてくる」最近読んだ、大江健三郎と江藤淳の対話集の中での大江の言葉です。
歯ブラシを変えるという選択は、人生の上での大事な選択とは言えないし、実存的な選択でもありません。しかし私たちの日常というものは、こういった細やかな選択の連続とも言えます。そしてこれらの些細な選択が、今の自分自身や自分の周囲の環境を作ってきたともいえます。
話しが急に変わりますが、車の免許証の返納についても似たようなところがあります。大きな怪我や急な病を発症するとかでない限り、人間の肉体の日々の変化は微々たるものです。歯ブラシの変化と同じとも言えます。しかしいつの日か、免許証の返納を決断する時が訪れるのでしょう。それは、実存的な選択と言えるかもしれません。

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