雨もまた奇なり
梅雨に入り、群馬の地も雨の日が多くなりました。上州の山々を望めば、霞の中に浮き立っているようで、朧な姿になっています。風景というものは、雲一つない空のもとで、あるいは大きな蛍光灯で照らされるように隅々まで見えるのがよいという考えもありますが、多少ぼけていた方がなぜだか心に残ることもあります。これは風景だけにとどまりません。様々な物事もそうですし、人物でも同じことが言えると思います。むしろその方が本質に近づけることもあります。その対象そのものははっきりしているけれど、その周辺はぼけている。私たちは何かを記憶する場合、その中心はよく覚えているけれども、その周囲は決して明瞭に覚えているわけではありません。はっきりしていないからこそ、その周辺部分を私たちは自由に想像しています。それは決して悪いことではありません。
大学2年の梅雨の頃、部活動の対抗戦で弘前に電車で行くことがありました。試合が終わった後私は部員と別れ、一人青函連絡船に乗って函館に向かいました。私の最も親しかった友人に会うためです。彼と私は高校時代同じラグビー部に所属しており、毎日の練習、毎週の試合だけでなく、通学の電車も同じでしたし、お互いの家を自転車で行き来する仲でした。つまりかなりの長い時間を共有していたということです。苦楽を共にした友です。
「内田が来るっていうから、1週間コメと生卵で我慢していたんだよ」この言葉には相当の誇張が入っていますが、そういうことをごく自然に言って、たしかにそうだなと感じさせてくれる豪快で陽気な若者でした。昼間、彼が大学の講義を受けていた時に、私は一人で函館から電車で1時間弱の場所にある大沼・小沼というところに行きました。この時小雨が降っていました。小雨のため、遠い山並みがどうであったか定かではありませんが、碧い沼の湖面、小島の木々鮮やかな緑は今でもしっかり覚えています。これは初めての北海道、最も親しかった友人との再会、友人の変わらぬ優しさに触れたことなども、その記憶に影響を与えているのでしょう。そしてこれら確かな現実の中で、その時降っていた小雨こそが、大沼・小沼の現実の風景をより幻想的でミステリアスにせしめ、その印象が強くしたのだと思います。その時の大沼・小沼の美しさは、今でも私の心の中のある部分を確かに占めています。
「雨もまた奇なり」当時の私は、この蘇軾の詩の一節を知りませんでした。その後ずいぶん経った後、象潟での芭蕉の文章を読んだことで、この言葉自体とその言葉の味わいを知るところになりました。それはまっすぐに、私の大沼・小沼の記憶につながっています。
コメント
コメントを投稿