ルールとマナー

先日、ルールとマナーについて、ある故人のコメントが新聞に掲載されていました。大変短い文章でしたが、ルールとマナーは私たちの普段の生活に深く関与していますし、また私自身も時々考えることでもありますので、今回のタイトルとしました。

ルールは、私たちが社会生活を送るうえで欠くべからざるものです。かつて、澤田瞳子の大宝律令制定に関わる作品を読んだことがあります。日本という国を中央集権国家にするために、律令という新しいルールを作ることに奔走した若者を描いた小説です。ルールを作ることがとても大切で、しかも非常に困難な作業であるということを改めて知り、私の心の中に強い印象を与えた小説の一つです。ルールはもちろん国という大きな枠組みの中だけに存在するわけでありません。小さな組織の中にも多々存在します。そしてその組織内の人たちは基本的にそれを守ることが求められます。もしルールを破れば、その組織は破ったものに対して何らのペナルティを与える場合があります。(見て見ぬふりをすることもありますが)ルールは新たなルールを作ることがあります。それがエスカレートすると、時に恐ろしい世界になっていく可能性があります。(ジョージ・オーウェルの1984年の世界がその最たるものの一つでしょう)ルールのない社会は考えられませんが、その汎用はルールではない別の何かを付加する必要があります。

新聞に掲載されたコメントの発言者は、戦争の前後を生きた方です。戦争を挟んで、俄かに社会のルールが変わりました。社会のルールが変わっただけでなく、人々の人格までもが変わったことを実感として経験されました。そしてその方の意見は、ルールを守ることよりもはるかに大事なものがある、それがマナーというものだ、ということでした。先ほどルールの汎用には何らかの付加するものが必要と述べましたが、それがマナーということです。礼儀、あるいは作法と言っていいでしょう。

人と人との関係がより良いものになっていくためには、ルールを守ることも大事ですが、それより優先すべきはマナーなのでしょう。マナーはその人の人格を現します。マナーが美しい方は気持ちがよいものです。礼儀正しい人と会うと、優しい気分にさせてくれますし、自分自身もそのように振舞いたいと思いますが、時に難しいことでもあります。人として、最低限のマナーは持ち続けたいものですね。

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