母の日
「あなたにとって一番大事なものは何ですか?」という質問をされたとします。「母親です」と答える人は、はたしてどのくらいいるでしょうか。きっと多くはないと思います。「大事なものを10個挙げてください」という質問であれば、そのうちの一つに母親が入る可能性はあるでしょう。(残念ながら父親がその中に入る可能性はかなり低いでしょうか。両親という回答はあるかもしれませんが)
母親が大事だと思っていても、それを公言することは照れくさいものです。そもそも母親というものは、大事だとか大事でないとかいう対象ではないでしょう。存在するのが当たり前、時にやかましいと感じたり反論したりすることもあるかもしれませんが、それはそれで、あれこれ言い合える関係はそれほど悪いものではありません。
ところで数か月前の朝日新聞では、幼少期に母親に冷たい扱いを受けて、それがずっと心の傷になっている人たちの記事が数回にわたって紹介されていました。その方々はその気持ちを吐き出す機会がほとんどないまま成人となり、ある人は自分自身が親となったことで自分も同じようなことをしてしまうかもしれないという不安に苛まれている、といった内容でした。大変痛ましいことです。しかしこのようなことは、世の東西を問わず、またどの時代でもきっとあることなのでしょう。そしてその現象については、実は私たちは容易に知ることができないことであり、積極的に見ようとしなければ決して見ることができないものです。またいくら見ようとしても、それを経験した方との心の交流がなければ、やはり見ることはできないものでしょう。
今年は5月11日が母の日でした。群馬は前日の雨は上がりましたが、風の強い一日でした。母の日を皆さんはどのように過ごしたでしょうか。そして皆さんの母親は、現在どんな具合でしょうか。元気過ぎですという母親もいるでしょうし、母親が介護の対象になっている方もいるでしょう。すでに鬼籍に入ったという方もいるかもしれません。また母親とは良い関係を築けていない方もおられましょう。
母の日が多くの人たちにとって良い日であることを望みます。元気な母親がいるにも関わらず母の日に何のイベントもなかった人たちも、この文章を読んだことをきっかけにして、母親に一言感謝の気持ちを述べてくれれば私もうれしい限りです。
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