連休の過ごし方

毎年この時期には、日本の観光地の賑わいぶりが報道されます。高速道路の渋滞や新幹線の乗車率なども同じように報道されます。さらに成田空港や羽田空港の混雑ぶりや、海外の旅行から帰国した家族の姿もテレビのニュース(トップニュースになることもありますね)で見ることができます。

連休前、私の外来を受診した患者さんに「連休は予定がありますか」という質問をずいぶんたくさんしました。もちろんこういった質問ができるのは、長年定期的に通院している方々ですし、私よりお年を召された方が大半です。「予定があります」という方はざっと10人に一人でしょうか。ほとんどの方は「何もないよ」と答えます。私も「自分も10年以上何もないですよ」と答えます。

「何もない」の意味は、本当に何もないわけではありません。仕事をしている人は仕事をするし、畑をしている人もいます。庭の草むしりや、家の掃除、それから買い物をしてきます、という人もいます。「何もない」の意味は、観光地に行くとか、温泉に入るとか、太陽の光を浴びながらアイスを食べるとか、そういったことです。

どこかに行きたくても様々な事情で出かけられない人、出かけたくてもそれを言葉として家族に伝えられない人、そもそも家族がいない人など、患者さんは(というより私たちはすべて)多種多様です。連休の過ごし方のニュースは、一部の人たちにとっては心地よいものでしょうが、一部の人にとってはうらやましく思うものでもあるでしょうし、一部の人にとってはどうでもいいことであり、一部の人にとっては大きなお世話なのだと思います。皆さんはどう思うでしょうか。

私は連休中にいくつかの本を読みました。一つは最近やっと文庫化された村上春樹の「街とその不確かな壁」です。2年前に刊行された小説であり、村上作品をほとんど読んでいる私にとってはすぐにでも読みたいところでしたが、文庫版が出るのを待っていました。「世界の終わり」の世界は無意識の領域なのかもしれませんが、それが意識させられるという変な矛盾を想起させます。それから韓国の作家キム・フンの「ハルビン」(蓮池薫訳)も読みました。伊藤博文が当時のロシア領ハルビン駅で、安重根という青年に暗殺された事件を題材にしたものです。その翌年の1910年に韓国は日本に併合されました。私たち日本人は近隣の国の歴史を知る努力を怠ってはいけないと、改めて感じた次第です。

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