高校同窓会

1月18日土曜、高校の同窓会が太田市内で開催されました。毎年この時期に800名前後集まる卒業生全体の大きな同窓会があります。50歳が幹事学年と呼ばれ、私もその年に初めてその会に参加しました。そしてその大きな同窓会の後に、別の会場に同級生だけで集まり久闊を除し、楽しい時間を過ごした覚えがあります。その後も全体の同窓会終了後に同級生だけが集まる小さな同窓会が開催されていましたが、私自身は参加することはありませんでした。今回声をかけてくれた同級生がいたため、久方ぶりに出席しました。

私が通った高校は群馬県立太田高校です。昔も今も男子校です。教師も男性だけでした。振り返ってみると教師も生徒もずいぶんとおおらかで、今だったらきっと許されないようなことも当たり前のようにありました。同級生だけの同窓会参加者は20名と少数でしたが、おかげでみんなと話をすることができました。今回は、この中でも最も思い出深い大切な友人との話をしたいと思います。(彼の了解を得ています)

彼は高校時代、硬式野球部の主将でした。当時の硬式野球部はおそらくどこも同じだったと思いますが、非常に厳しく、しかも長時間にわたる練習を連日やっていました。野球部の主将ですので同級生で知らないものは誰もいなかったと思いますし、私も彼のことはよく知っていました。しかし同じクラスになったことがないこと、私自身は自分が所属していたラグビー部仲間とはいつも一緒でしたが部活が異なると意外に接点が少ないことなどから、彼と話をすることはほとんどありませんでした。ところが何がきっかけだったのか覚えてないのですが、高校3年の大学受験では二人で一緒に新潟に行きました。私は1次試験の結果が散々で、しかも他の大学はどこも受けていませんでしたので浪人することがほぼ決まっていました。彼は私とは異なる学部を受けたのですが、彼自身はほとんど受かるつもりがないということでしたので、二人で新潟の街を楽しむこととしました。楽しんだといってもさすがに高校を卒業したばかりでしたから、たかが知れています。どんな楽しみ方をしたかについてここに記すことは控えます。その後私は東京の予備校に通った次第です。そして彼は予想に反して見事に合格しました。ですから彼とはしばらく会うことはないだろうと思っていました。ところがその年の秋です。私はどこかの模擬試験を受けていました。その会場のトイレに行ったら、なんと彼がいるではありませんか。「なんでここにいるんだ?」と私が尋ねたところ、「大学はやめたんだ。医学部を目指そうと思って」と言うではありませんか。びっくりです。彼は私より少し遅れましたが、無事国立の医学部に合格し、今は太田市内で開業医をしています。大きな決断だったと思います。大変だったと思いますが、彼の持ち前の明るさで乗り来ってきたのでしょう。心より尊敬します。

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