故郷忘じがたく候

十六世紀末の朝鮮の役で薩摩に拉致された朝鮮人陶工の歴史を描いた、司馬遼太郎の作品のタイトルです。私は三十年くらい前に読み、「沈寿官」という名跡を知りました。沈寿官家にとっての望郷の念は、私などの想像をはるかに超えるものがあるのでしょう。と同時に、自分自身にはこのような故郷は存在しないなあという感想も持ったものです。自分が生まれ育った土地にはこれといった特徴はなく、特に愛すべきものとは感じていませんでした。ところが年を重ね、還暦を過ぎた今、自分の故郷に対する親近の情は、徐々に強くなっていくのを禁じ得なくなりました。

九月二十八日の土曜、中学時代の同窓会がありました。私が通った小学校と中学校には4クラスありました。毎年クラス替えはあるとはいえ、九年間ずっと同じメンバーでした。したがってほぼすべての同窓生とは何らかの繋がりがあり、しかも小さい時からの様子もよく知り合う仲間です。楽しい思い出が最も多いのが中学時代だと思いますが、一番消したい過去が満載なのも中学時代の特徴でしょう。自分は覚えていなくとも、他人の記憶にしっかり残っていることも多々あります。

人は年輪を重ねるたびに様々なものを身にまとっていきます。決して必要ではないものも纏わりついてきます。同時に多くのものを失います。身内、友人、体力などです。しかし年が経てからこそ得るものもあります。私にとってそれは、若い時には見向きもしなかった古典や和歌、詩歌に対する親近観、そして故郷に対する愛情です。小中時代に目にした風景、心が揺り動かされたいくつかの経験、これらは私の心底のある部分を間違いなく占拠しています。

夕ぐれは雲のはたてにものぞ思ふ 天つ空なる人を恋ふとて 古今和歌集 詠み人知らず

私にはいつの時代でも夕暮れの記憶はあります。その中でも、小学生時代、中学生時代の夕暮れの記憶は、自分の気持ちや感動を表現する能力が乏しかったこともあるのでしょうが、それは言葉ではなく一つの風景として、そして当時のあふれる情感とともに存在してします。この歌を知ったのは四十歳を過ぎてからです。そしてこの歌を知ることで、少年時代に目にした夕暮れの記憶がこの歌と一体となり、さらに長い年月の中でいつしか創作されていった情景が混じり合いながら、永遠の憧憬に移り変わっていったように思います。

生まれ育った風土、目に焼き付いている光景、揺れ動く感情、同じ時代を生きてきた同級生などすべてが、私にとっての故郷なのでしょう。 故郷忘じがたく候

コメント

このブログの人気の投稿

中学時代の記憶

院長室便りを始めます