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日本医療マネジメント学会

1月 25 日 の日曜、第12回日本医療マネジメント学会群馬県支部学術集会が 、 「未来を切り開け~2040年問題に向けて~」というテーマで 群馬中央病院院長の内藤浩会長のもとに 群馬県公社総合ビルで開催されました。   9時半からの開会式の後、厚生労働省の唐木啓介先生から「群馬県の医療の状況と最近の医療制度の動きについて」というタイトルで の 基調講演がありました。 唐木先生は 昨年6月 まで群馬県健康福祉部長の要職 に就かれ、 群馬県内の 医療や介護の分野で尽力された方です。したがって群馬県のことを熟知しておりますので、日本全体の話をしながら も 群馬県内の課題などについて言及してくださり大変参考になりました。 この講演を私なりにまとめると、 群馬県の今後の 医療に関する 課題 は、 ① 高齢者救急はますます増加する (高齢者施設からの救急も増加する)  ② 在宅医療の需要 も 増加していく ③ 外来患者は徐々に減少する ④職員の確保が難しくなっていく (特に医師偏在は喫緊の課題)  ⑤ 地域にある診療所は減少する   ⑥ オンライン診療の重要性は増す  ⑦ 各医療施設の連携、再編、集約化 は 重要なポイントになる  ということ です。   次は群馬大学の救急医学教授の大嶋清宏先生 による教育講演で、タイトルは 「高齢者の救急医療について」でした。この テーマ は、私自身が 現在 最も重要な 問題の ひとつ と考えてい る ものであり、大変興味深く拝聴しました。 また 大学病院とは い え救急搬送される患者の背景は 様々であり、大変な苦労をされているのがよくわかりました。 講演の中 で特に印象に残っている ことが二つあります。一つは、 病院とは患者の生活を再構築する場であるということ です。高齢者の救急患者は退院する際に様々な問題が表出します。 この対応は簡単なことではありませんが、医療者の重要な仕事のひとつであり多職種で協力することが必須です 。二つ目は 緊急のACP(アドバンス・ケア・プランニング) の重要性 です。生死に直結する 救急 医療現場で は 、患者自身が望む医療、患者家族が望む医療、そして医療者が望ましいと考える医療は、常に同じものではありません。むしろ異なることの方が多いでしょう。それを短い時間で説明し、相談し、 一つの 方針...

高校同窓会

1月18日土曜、高校の同窓会が太田市内で開催されました。毎年この時期に800名前後集まる卒業生全体の大きな同窓会があります。50歳が幹事学年と呼ばれ、私もその年に初めてその会に参加しました。そしてその大きな同窓会の後に、別の会場に同級生だけで集まり久闊を除し、楽しい時間を過ごした覚えがあります。その後も全体の同窓会終了後に同級生だけが集まる小さな同窓会が開催されていましたが、私自身は参加することはありませんでした。今回声をかけてくれた同級生がいたため、久方ぶりに出席しました。 私が通った高校は群馬県立太田高校です。昔も今も男子校です。教師も男性だけでした。振り返ってみると教師も生徒もずいぶんとおおらかで、今だったらきっと許されないようなことも当たり前のようにありました。同級生だけの同窓会参加者は20名と少数でしたが、おかげでみんなと話をすることができました。今回は、この中でも最も思い出深い大切な友人との話をしたいと思います。(彼の了解を得ています) 彼は高校時代、硬式野球部の主将でした。当時の硬式野球部はおそらくどこも同じだったと思いますが、非常に厳しく、しかも長時間にわたる練習を連日やっていました。野球部の主将ですので同級生で知らないものは誰もいなかったと思いますし、私も彼のことはよく知っていました。しかし同じクラスになったことがないこと、私自身は自分が所属していたラグビー部仲間とはいつも一緒でしたが部活が異なると意外に接点が少ないことなどから、彼と話をすることはほとんどありませんでした。ところが何がきっかけだったのか覚えてないのですが、高校3年の大学受験では二人で一緒に新潟に行きました。私は1次試験の結果が散々で、しかも他の大学はどこも受けていませんでしたので浪人することがほぼ決まっていました。彼は私とは異なる学部を受けたのですが、彼自身はほとんど受かるつもりがないということでしたので、二人で新潟の街を楽しむこととしました。楽しんだといってもさすがに高校を卒業したばかりでしたから、たかが知れています。どんな楽しみ方をしたかについてここに記すことは控えます。その後私は東京の予備校に通った次第です。そして彼は予想に反して見事に合格しました。ですから彼とはしばらく会うことはないだろうと思っていました。ところがその年の秋です。私はどこかの模擬試験を受けていました。その会...

韓国文学について

昨年のノーベル文学賞の受賞者は、韓国女性であるハン・ガン氏でした。私は韓国文学に以前から興味があったのですが、残念ながら読む機会はほとんどありませんでした。私がしばしば利用する本屋や図書館では、積極的に探そうとしなかったこともありますが、目にすることはあまりありませんでした。もっとも通信販売を利用すればすぐに手に入るわけですから、絶対に読まねばというほどではなかったということなのでしょう。昨年秋、斉藤真理子氏の「韓国文学の中心にあるもの」という本を読む機会がありました。日本による韓国併合以来の100年の歴史とともに韓国文学を紹介する本です。植民地支配から始まり、済州島事件、朝鮮戦争、南北分断、光州事件、IMF危機、セウォル号事故など、韓国の人たちは多くの困難を乗り越えてきたということを、この本を読んで改めて実感しました。事件としては知っていたとしても、それを自分の中で咀嚼し把握しようとすることはなかったということです。歴史というものは、いくら年表を眺めていても何もなりません。様々な弾圧の中で書き残した文学作品だからこそ、これらを知る一つの手がかりになるのでしょう。幸い県立図書館には少ないながらも韓国作品があります。今のところ斉藤真理子氏が紹介している本はないのですが、いくつか読みました。隣の国でありながら韓国について自分自身があまりに無知だったことを驚くばかりです。これからも読み続けようと思います。 ところで私は韓国に2度訪れたことがあります。どちらも国際学会のポスター発表でした。1回目は1999年の胃癌に関する学会で当時同じ研究室に所属していた二人の友人と、2回目は2007年で乳癌に関する学会でがんセンターの先輩の医師と、ともに2泊3日の旅でした。1回目の時は、それほど高くない額でソウル市内を観光するプライベートのツアーに参加しました。車の運転手兼案内役は比較的高齢の女性でしたが、日本語が堪能(彼女くらいの年齢の人たちはほとんど日本語を話せるということでした)で、韓国の歴史など気さく説明してくれたのがよい思い出です。2回目の時は帰国の日に学会主催の10㎞のチャリティマラソンに参加しました。どこを走ったのか全く覚えていないのですが、飛行機に乗り遅れることなく帰国できました。2回の旅の共通の感想は、韓国はとても近いなあということです。また行くぞと強く思ったはずですが、...

令和7年正月

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 令和もすでに7年になりました。まさに、光陰矢の如しです。平成7年を迎えた時にどんな感慨を持ったのかすっかり忘れてしまいましたが、今よりも時間はもう少しゆっくり経過していたような気もします。時間の流れはいつも同じはずですから不思議な気分です。「明日やればいいや」と思うようなことが「来週やればいいや」に変わり、そのうち「来月やればいいだろう」となり、今では「来年でいいだろう」と変化しています。(もちろんすべてそうだというわけではありませんが)1年前がつい最近だったように、1年後もすぐにやってくるような気がします。個人的なことはこれでもいいのかもしれませんが、組織がこのようなスタンスではいけません。複数の課題があれば、優先順位をつけて早急に取り組むことが大事なのでしょう。原町赤十字病院も然りです。もちろん個人的なことでも先延ばしがよいわけではありません。年の始めですので私たちも何らかの目標を定め、それに向かって何かを始めるいい時期です。 ところで元旦の早朝、いつものように暗いうちからランニングを始めました。今の時期の休日は、前半南に向かい、後半に利根川添いのランニングコースを北へ向かうことが多くなっています。普段は私のようなランナーや散歩する人たち数名に会うくらいですが、この日は実に多くの人たちが利根川添いのコース上にいました。初日の出を見るためです。利根川にかかる橋にもたくさんの人がいました。今までも何度か遭遇した光景ですが、よくぞこれだけ集まるものだなと感心します。私自身はゆっくりランニングを続けていたのですが、ちょうど朝日が現れた時には一瞬足を止め、太陽に向かって手を合わせました。何かをお願いするわけではなく、またお祈りをしているわけでもありません。習慣でもあり、一つの儀式でもあり、また初日の出に対する礼儀と言ってもいいでしょう。信仰というものを深く考えることなくずっと生活してきましたが、神々しいものに出会うといつしか手を合わすようになりました。子供の頃は周りの大人たちの真似をしていただけだったのでしょうが、今は自然にそのような行為をしてしまいます。これが信仰というものかもしれませんし、日本人の歴史であり、伝統なのかもしれません。 何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる 伊勢神宮...