月の満ち欠け
十月も半ばを過ぎると、私がランニングを始める時間はまだ闇に包まれています。朝とは言えない時間帯です。オリオン座をはじめとする冬の星座や北斗七星も眺めることができます。しかし最近は曇りがちの日が続いていたため、空には厚い雲を見るのみでした。つい先日は満月だったのですが、残念ながらそれを認めることはできませんでした。19日土曜の雲は途切れ途切れだったため、半分ほど雲で隠されていましたが十六夜月を西の空に認めました。そして20日日曜は風が非常に強かったのですが雲はほとんどなく、立待月もしくは居待月(明け方の月を立待月や居待月と呼ぶのも変な話ですが)を南西の方向に目にすることができました。
月にはいくつもの呼び名があります。三日月、上弦の月、十三夜月、小望月、望月、十六夜月、立待月、居待月、臥待月、更待月、下弦の月、有明の月、晦日月。これらの名は詩や和歌、俳句にたびたび登場します。様々な呼び名があるから歌や詩ができたのか、それとも歌や詩を作るために、そして自らの気持ちを素直に表現しようとするためにこれらの名前ができたのかわかりませんが、これらの名称が存在するのは日本人の歴史や伝統を考える上でも重要なことなのだと思います。そしてこれらの名前を知った上で月を眺めると、昔の日本人とのつながりを実感することができます。
月にまつわる歌を二つ紹介します。
かかる世に 影も変わらず 澄む月を 見るわが身さへ うらめしきかな 西行 山家集
保元の乱で敗れた崇徳院を仁和寺にお見舞いに行った際に詠んだ歌ということです。世の中はどんなに変化しても変わらないものがある、どんなに悲しくても月は一点の曇りもなく澄み切っているといった意味なのでしょう。
月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど 大江千里 古今和歌集
百人一首にも採られている歌です。
月は喜びや楽しみ、嬉しさを映し出すことは実に少なく、悲しみや憂いの象徴になることが圧倒的に多いようです。これも日本人の性質の一つかもしれませんね。
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