この国のかたち
高崎総合医療センターの「たかそう連携だより」という月1回発行される病院の広報誌に、院長の小川哲史先生の「この国のかたち」というタイトルの文章が3回にわたり掲載されました。小川先生の考えを知ることができ、大変興味深く拝読しました。今回はこのタイトルで書き記そうと思います。
ところで「この国のかたち」とは、司馬遼太郎作品の中でも最も読まれているものの一つです。読んだことのある方はきっと多いことでしょう。私自身も一時司馬作品に熱中し、この本も三十代中頃読んだ覚えがあります。これこそ日本人の必読書であるな、と当時は大いに感心し、他人にも語った記憶があります。思い返すと、その頃は経験も知識も読んだ本の量も全く乏しい状況でした。乏しかろうが、何らかの意見を言うことについては何の問題もないと考えますが、当時の私は自分にとって都合の良いもの、心地よいものについては、すぐに靡いてしまうということがしばしばありました。熟慮というものができなかったのですね。その傾向は今でもあまり変わってないかもしれませんが、年を重ねる中で、「この国のかたち」に対する自分の考えは徐々に変わってきていると感じています。変わってきたというより、当時より視座が少々増えたといった方が適切でしょう。
この短い文章の中で「この国のかたち」について私の意見を述べることは到底できません。しかし間違いなく言えることは、「この国のかたち」については何かを述べるのであれば、その国の歴史を知らなくてはならないということです。司馬作品では取り上げていない飛鳥奈良時代、古事記や万葉の世界、王朝文化の時代など、この国には様々な歴史があります。あまたの人物が駆け巡ります。空間的にほとんど移動がなくても、想像という世界で自由に思索にふけり、言葉として何かを書き残した方が数多くいます。これらをすべて知ることは不可能だとしても、ほんのわずかでもそれらに触れようとする努力は必要です。ここ数十年、ましてここ数年の世の中の風潮だけで「この国のかたち」を語ることは、決して良いとは言えません。
「この国のかたち」を語るということは、過去を知ることで現状を把握し、そして未来に向かって何らかの示唆を与えることだと考えます。いつかこのタイトルで、自分の意見を述べたいと思います。
中学時代の記憶
記憶というものの正体がどういうものであるかよくわかりません が 、 私の場合 それは一つのスナップ写真のような映像として 、 心のどこかに納められているような気がしています。特に幼年時代から小学校、中学校時代については無数のスナップ写真が 私の心の中に あると感じています。しかしそれを上手に思い出すことはとても難しい。小林秀雄 が言うように、私たちは記憶するだけでは不十分で、それを時々思い出すことが、私たちをして人間たらしめる所以 である と言っても 言い過ぎで はないでしょう。 少年時代に焼き付いた映像 の多く は、何らかの心象と関りがあ ります 。美しい叙景として 記憶されているものはたくさんありますが、それらについてもその時の抒情的なものが伴っているようです。一方忘れてしまったものも多々あります。なぜ忘れてしまうの でしょう。 それを思い出そうとしないからなのでしょうか。 12月23日の土曜、中学校時代の 同級生計12名が集まり、尾島という小さな町で飲み会 が行われ ました 。 当時 私の母校であ る 尾島中学校は 、 尾島小学校から 同じメンバー140数名がそのまま中学に上がりましたので、 私たちは 9年間(保育園から数えると10年前後) ほぼ同じ 環境で年を積み上げてき たことになります 。卒業して45年以上の 歳月 が流れたわけですが、 私自身の根本は、この土地と同級生、 そして その当時の 様々な 経験や 心に残った 風景によって成り立っているのだと今さらながら実感します。年を重ね 多種多様な鎧を身に着けてしまいましたが、一皮むけば少年時代の小さな 恥ずべき悲しい人格が残るのみです。 当時の時代を同じ場所で過ごした 中学時代の同級生 だからこそ、彼ら彼女らとは 気楽に話ができるのかもしれません。そしてここでの会話 は 、忘れかけていたいくつもの記憶を思い出させてくれます。記憶はされてい た のです。それを自分の心 の中へ 導く道程に、いろいろな障害物が あっ ただけだったようです。これらをどかして道の掃除を してや ると、鮮やかに昔の記憶がよみがえって きます 。 楽しいことも悲しいこともです。 今回の会は4年ぶりでした。前回、還暦前に同級生全員による 大々的な 同窓会を 行おう という話 で盛り上がり ましたが...
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