この国のかたち
高崎総合医療センターの「たかそう連携だより」という月1回発行される病院の広報誌に、院長の小川哲史先生の「この国のかたち」というタイトルの文章が3回にわたり掲載されました。小川先生の考えを知ることができ、大変興味深く拝読しました。今回はこのタイトルで書き記そうと思います。
ところで「この国のかたち」とは、司馬遼太郎作品の中でも最も読まれているものの一つです。読んだことのある方はきっと多いことでしょう。私自身も一時司馬作品に熱中し、この本も三十代中頃読んだ覚えがあります。これこそ日本人の必読書であるな、と当時は大いに感心し、他人にも語った記憶があります。思い返すと、その頃は経験も知識も読んだ本の量も全く乏しい状況でした。乏しかろうが、何らかの意見を言うことについては何の問題もないと考えますが、当時の私は自分にとって都合の良いもの、心地よいものについては、すぐに靡いてしまうということがしばしばありました。熟慮というものができなかったのですね。その傾向は今でもあまり変わってないかもしれませんが、年を重ねる中で、「この国のかたち」に対する自分の考えは徐々に変わってきていると感じています。変わってきたというより、当時より視座が少々増えたといった方が適切でしょう。
この短い文章の中で「この国のかたち」について私の意見を述べることは到底できません。しかし間違いなく言えることは、「この国のかたち」については何かを述べるのであれば、その国の歴史を知らなくてはならないということです。司馬作品では取り上げていない飛鳥奈良時代、古事記や万葉の世界、王朝文化の時代など、この国には様々な歴史があります。あまたの人物が駆け巡ります。空間的にほとんど移動がなくても、想像という世界で自由に思索にふけり、言葉として何かを書き残した方が数多くいます。これらをすべて知ることは不可能だとしても、ほんのわずかでもそれらに触れようとする努力は必要です。ここ数十年、ましてここ数年の世の中の風潮だけで「この国のかたち」を語ることは、決して良いとは言えません。
「この国のかたち」を語るということは、過去を知ることで現状を把握し、そして未来に向かって何らかの示唆を与えることだと考えます。いつかこのタイトルで、自分の意見を述べたいと思います。
オークワテラス
オークワテラスをご存じでしょうか。私は今年になって初めてこの名前を知りました。令和6年3月に閉校となった吾妻郡長野原町の応桑小学校の跡地に建設された、新しい医療施設です。長野原町の萩原町長、長野原診療所医師の金子先生をはじめ、多くの人たちの思いが結集して完成されたものです。令和7年4月20日、オープニングセレモニーが開催されました。私も参加してきました。 セレモニーの冒頭、上州応桑関所太鼓が披露されました。一糸乱れぬ太鼓の響きは、オークワテラスのオープニングにふさわしいものでした。太鼓を叩いていた皆さんは、さぞかし練習をしたことと思います。セレモニーの最後は「KITADAN」という子供たちチームのダンスでした。こちらも指導者がしっかりしているのでしょう。見事なパフォーマンスでした。 ところでこのセレモニーに参加し、改めて地域医療の在り方を考え直すことになりました。地域中核病院の院長という立場からすれば、あらゆる疾患に対応できる総合病院であることが理想です。それが地域住民の安心、安全に大きく関与することも理解しています。一方吾妻郡だけでなく、日本の地域社会に存在する多くの小学校や中学校、高校では、統合や廃校が進んでいるのが現実です。医療についても、今後同じようなことが日本中で起こるかもしれません。大きく変化する地域の人口動態やニーズを把握し、私たち医療に従事するものは、常に変化を続ける必要があります。 ところで教育(公立な学校)も医療(公立や公的な病院)も、目的は営利でないことは同じです。しかし病院が学校と大きく異なるのは、経営が安定しなければ存続が困難になることです。住民の希望を最大限考慮しつつ、安心安全な医療の提供、職員の待遇改善、さらに職員を維持確保した上で、しっかりした経営基盤を構築することが求められます。これは大変難しいことです。原町赤十字病院も然りです。そして現在の日本の大半の病院も、非常に厳しい状況にあると言って過言ではありません。 オークワテラスは地域医療を考える上で一つのヒントを与えてくれます。施設内には調剤薬局だけでなくコンビニも併設されました。この責任者はフロンティア薬局原町店で薬局長をしていた八木さんです。診療所の2階には子供たちが遊べるプレイルームがあり、しかも庭は大変広く(もともと学校の校庭だったので当たり前ですが)、今後間違いなく地域コミ...
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