対馬丸

昭和19年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童を乗せた「対馬丸」がトカラ列島沖で沈没しました。私は3つの新聞に目を通していますが(ざっと目を通すだけで、さすがに読んでいるとは言えません)、この事件についてどの新聞も大きく掲載ていました。沈没して80年です。新聞にこれだけ大きく掲載され、そして知れば知るほど私たち日本で生活する者にとってあまりにも重要な事件であるにも関わらず、私がこの事件を知ったのはほんの5、6年前です。その頃沖縄に行く機会があったのですが、その時に初めて存知することとなりました。これほどの事件をなぜそれまで知ることがなかったのか不思議です。私自身の戦争、特に沖縄戦に対する関心が低かったことが最大の原因なのでしょうが、おそらく他にもあると感じています 

ところで今年の連休中に、池内紀著「消えた国 追われた人々 東プロシアの旅」という本を読む機会がありました。この中で、「グストルフ号沈没」についての話がありました。1945年つまり昭和20年の1月30日、東プロシアからドイツ本土に向かうグストルフ号には、多くのドイツ避難民が乗船していたそうです。このグストルフ号ソ連軍潜水艦から発射された魚雷により沈没、9000名余りの犠牲者が出ました。おそらく史上最大の海難事故です。これだけの大きな事件にも関わらず戦後西ドイツでも東ドイツでも詳しく語られることはなかったようです。ドイツ人としてナチスの戦争犯罪の責任を負うべきという圧力の中、自分たちの被害を訴えることは良しとしなかったということなのでしょう。この事件についても、私はこの本を読んで初めて知った次第です。 

私たちの周りにはあまりにも多くの事件や事故が絶えず起こっています。過去も同じように、常に様々な事件が起こりました。それらをすべて記憶することは到底不可能ですが、大事なことはしっかりと知るべきです。それらを知って普段の生活に何か影響があるかと問われれば、ほとんどないということになるでしょう。しかし重要な局面で何らかの判断に迫られるとき、こういった歴史を知っているかどうかは、きっと大きな意味を持つのだと思います。 

そして歴史は知っているだけではいけません。小林秀雄がいつも言っていたように、それを思い出すことが大切なのだと思います。 

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