係り結びの法則

10年以上前、たまたま大野晋著「日本語練習帳」という本を読む機会がありました。普段の生活の中で日本語について真面目に考えている人はあまりいないのではないでしょうか。特別な事情がなければ、ほとんどの日本人は日本語をごく当たり前に使いこなしています。日本語の練習なんて今さら何の必要があるのか、と思う人がほとんどでしょう。この本は、その日本語の謎の一部を紹介し解説したものです。当時の私はとても感銘を受けました。しかも私が読み終えてしばらくしたころ、これは本当に偶然なのでしょうが、新聞の投稿欄に、まさにこの本を読んだある高校生の文章が掲載されていました。内容は、日本語の奥の 

深さを知りました。これからも日本語をしっかり勉強して、ちゃんとした日本語が使えるようになりたい、というものでした。当時私は50歳を超えていましたが、この高校生と全く同じ感想を持ったのです。しかし残念ながら、私自身はいまだにちゃんとした日本語を話すことも書くこともできていないと感じています。せめて、恥ずかしくない文章を書く努力を怠らずしようと、今もこの文章を書いています。 

なぜ大野晋の本の話をしたかというと、この連休中に大野晋、丸谷才一による「日本語で一番大事なもの」を読み終えたからです。読み始めてから1年以上が経過していました。決して面白くなかったわけではなく、全くその反対で最初の数ページを読んだだけで、これは時間をかけてゆっくり読むもだ、と自分で決め込ました。それにしても1年はかかり過ぎですね。これからも折に触れ、読み返すことになるでしょう。 

さて、タイトルの係り結びの法則についてです。江戸時代の大学者、本居宣長によって体系化されたと言われています。この本を読んで「反語」の難しさ、例えば「恋ひめやも」「生きめやも」の意味の奥深さを改めて知った次第です。また格助詞としての「が」は、実は係助詞の「ぞ」が変化していったものではないかという推論は、「は」と「が」の違いを考える上での一つのヒントを与えてくれました。そもそも「は」も係助詞の一つであり結びは終止形となる、ということについては恥ずかしながら初めて知りました。 

ところで最初の私自身が示した疑問「今さら日本語を勉強して何になるの? 何のためにそんなことをしているの?」と質問されると、やはり答えに窮してしまいます。好きだから、面白いから、としか言いようがないようですが、できれば、日本の古典や和歌もう少し理解して、昔の人の気持ちで読めるようになりたいと思っています。かなりの勉強が必要です。 

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