投稿

8月, 2024の投稿を表示しています

対馬丸

昭和19年8月22日、沖縄から九州に疎開する学童を乗せた「対馬丸」がトカラ列島沖で沈没しました。私は3つの 新聞に目を通して いますが( ざっと目を通すだけで、 さすがに読んでいるとは言えません が )、 この事件について どの新聞も大きく掲載 し ていました。沈没して80年です。 新聞に これだけ大きく掲載され、そして知れば知るほど私たち日本で生活する者にとってあまりにも 重要な事件であるにも関わらず、私がこの事件を知ったのはほんの5、6年前です。その頃沖縄に行く機会があったのですが、その時に初めて 存知する こととなりました。 これほどの事件を 、 なぜそれまで知ることがなかったのか不思議です。私自身の戦争、特に沖縄戦 に対する 関心が低かったことが最大の原因 なのでしょう が、おそらく他にもある と感じています 。   ところで 今年の連休中に、池内紀著「消えた国 追われた 人々 東プロシアの旅」という本を読む機会がありました。この中で、「グストルフ号沈没」についての話がありました。1945年つまり昭和20年の1月30日、東プロシア からドイツ本土に向かうグストルフ号には、多くのドイツ避難民が乗船していたそうです。 このグストルフ号 が ソ連軍潜水艦から発射された魚雷により沈没、9000名余りの犠牲者が出ました。 おそらく 史上最大の海難事故です。これだけの大きな事件にも 関わらず 、 戦後西ドイツでも東ドイツでも詳しく語られることはなかったようです。ドイツ人としてナチスの戦争犯罪の責任を負うべきという圧力の中、自分たちの被害を訴えることは 、 良しとしなかったということなのでしょう。 この事件についても、 私は この本を読んで初めて知った次第です。   私たちの周りにはあまりにも多くの事件や事故が絶えず起こっています。過去も同じように、常に様々な事件が起こりました。それらを すべて記憶することは到底不可能ですが、大事なことはしっかりと知るべきです。それらを知って普段の生活に何か影響があるかと問われれば、ほとんどないということになるでしょう。しかし重要な局面で何らかの判断に迫られるとき、こういった歴史を知っているかどうかは 、きっと大きな 意味を持つのだと思います。   そして歴史は知っているだけではいけません。小林秀雄がいつも言 ...

SPARKLE

イメージ
8月18日の午後、前橋市内で ワン ウィンド アンサンブルという楽団の演奏会がありました。この楽団員の一人 は 原町赤十字病院の職員で す。   私は音楽を聞くことは多いとはいえ、ほとんどは家 の中 か車の中です。目の 前 で演奏している音楽を聴く機会はほとんどありません。今回は比較的小さな会場でしたので、演奏している人たちの姿もじっくり拝見することができました。音楽は耳で聴くものだということはわかりきったことではありますが、 本当にそれが可能なのは 天才的な聴覚を持った一部の人たちだけではないでしょうか。目の前で演奏されれば視覚でも音楽を聴くことになるし、きっと多くの人は演奏している人たちを目で追いながら聴いているのだと思います。そもそもソロパートでは、演奏者は立ちあがって自分 自身の姿を現わすこともしばしばあります。当然注目しますし、その姿は とても凛々しいものです 。 それから全く素人の意見ですが、この楽器はこんな音が出るのか、ということ が わかるのも私にとっては大変ありがたいことです。 演奏会を生で体験する魅力は、聴覚と視覚、そして会場全体の雰囲気によって構築される のでしょう 。 機会があれば、これからも多くの演奏会に行きたいと思います。   タイトルの「SPARKLE 」 について 少しだけ触れたいと思います。 私が大学に入学した 頃 に発売された、山下達郎のアルバム「FOR YOU 」 のオープニング曲です。 当時 、部活の先輩 をはじめ多くの人たちの 車に乗せてもら い ましたが、この アルバム が流れてい ることがとても多かったことを記憶しています 。この曲を聴くとその頃のことが まざまざと 頭に浮かびます。天気の良い日の新潟の海に 最も 似合う曲 だ と 今でも 思っています 。 もちろん他の海でも同じでしょう。 今回のコンサートでこの曲が演奏されました。海 が 見える車の中で聞くのもいいですが、目の前で演奏されるのを聴くのも 悪くはない、というよりとても新鮮でした し、 実は 初めての経験でした。   ところで 今回の演奏会には、原町赤十字病院の職員が何人か来ていました。音楽好きな人は結構多いです よ ね。 職場とは異なる場所で、しかも仕事とは全く関係のないことで、そして今回のように音楽が好きという理由でたまたま同...

係り結びの法則

10年以上前、たまたま大野晋著「日本語練習帳」という本を読む機会がありました。 普段の生活の中で 、 日本語について 真面目に 考えている人はあまりいないのではないでしょうか。特別な事情がなければ、ほとんどの日本人は日本語をごく当たり前に使いこなしています。 日本語の練習なんて今さら何の必要があるのか、と思う人がほとんどでしょう。 この本は、その日本語の謎の一部を紹介し解説したもので す。 当時 の私は とても感銘を受けました。 しかも私が読み終えてしばらくしたころ、これは本当に偶然なのでしょうが、新聞の投稿欄に 、まさにこの本を読んだ ある高校生の文章が掲載されていました。内容は、日本語の奥の   深さを知りました。これからも日本語をしっかり勉強して、ちゃんとした日本語が使えるように なりた い、というものでした。当時私は50歳を超えていましたが、この高校生と 全く 同じ感想を持ったのです。しかし残念ながら、私自身はいまだにちゃんとした日本語を話すことも書くこともできていないと感じています。せめて、恥ずかしくない文章を書く努力を 怠らずしようと 、今もこの文章を書いています。   なぜ大野晋の本の話をしたかというと、この連休中に大野晋、丸谷才一による「日本語で一番 大事 なもの」を読み終えたからです。読み始めてから1年 以上が 経過していました。決して面白くなかったわけではなく、全くその反対で最初の数ページを読んだだけで、これは時間をかけてゆっくり読むも の だ、と自分で決め込 み ました。 それにしても1年はかかり過ぎですね。 これからも 折に触れ、 読み返すことになるでしょう。   さて、タイトルの係り結びの法則についてです。江戸時代の大学者、本居宣長によって体系化されたと 言われて います。 この本を読んで「反語」の難しさ、例えば「恋ひめやも」「生きめやも」の意味の奥深さを 改めて 知った次第です 。また格助詞としての「が」は、実は係助詞の「ぞ」が変化していったものではないかという推論は、「は」と「が」の違いを考える上での一つのヒントを与えてくれました。 そもそも「は」も係助詞 の一つであり 、 結びは終止形 となる 、ということについては恥ずかしながら初めて知りました。   ところで最初の私自身が示した疑問「今さら日本...

What is a Hospital?

原町赤十字病院は令和6年8月1日より「帰宅支援サービス」を開始しました。公共交通機関が乏しくしかも高齢化が進む地域では、どこに行くのも大変な労力を伴います。限られた地域のみでの運用ですが、住民の方々にお役に立てばとてもうれしく思います。上毛新聞がこの事業について2回掲載してくださいました。この事業実現のために尽力したプロジェクトリーダーである森翠係長はじめ、多くの関係者の皆様に深く感謝申し上げます。そしてこの事業がさらに発展するよう、利用者の皆さんの意見を謙虚に受け止め、より良い方向に向かっていくことを願っています。 ところで私自身は、今回の事業を計画する中で、時々今回のタイトルの疑問が頭をよぎりました。「病院とは何ぞや?」「病院の役割は何なのか?」 病院とは何か、全くの私見ですが、ここで整理をしたいと思います。 1. 患者さんの症状や訴えから診察、診断し、治療やケアをするところ (これについて異論はないでしょう) 2. 健康診断や各種がん検診により利用される方々の健康管理を行うところ (すべての病院が行っているわけではありませんが、原町赤十字病院のような地方の中核病院では重要ですし、これからもより充実されるべきと思います) 3. 地域社会の中で最も人が集まる場所の一つでありコミュニティの中心 (病院には患者さんやその家族、健診を受ける方、その他様々な人たちが多数訪れます。原町赤十字病院にも毎日たくさんの人が来ます。吾妻郡内で最も多く人が集う場所の一つでしょう。何らかのイベントをするのに最も適した場所です) 4. 住民の生活を支援するところ (同じ目的の組織は多数存在します。病院もそのうちの一つですし、今回の事業もこれに該当するかと思います) 5. 職員が自分の仕事に誇りをもって、気持ちよく働くことができるところ (これは私自身の目標であり夢でもあります。病院の仕事は献身的部分が多いがゆえに、少なからず自分を犠牲にしなくてはいけないことがあります。この崇高な精神は貴重なものですが、それだけに頼るわけにはいきません。気持ちよく働ける職場になるよう、変えるべきところは変え、新しく始めるべきところは速やかに始めたいと思います) 私自身の医師生活を振り返りますと、若い時は1.の部分しか頭にありませんでした。しかし同じ病院に25年も働いていると、自分も年を...