成田赤十字病院を訪問して

成田赤十字病院ホームページより


成田赤十字病院の青墳信之先生からお声をかけていただき、12月13日の水曜に成田赤十字病院を訪れました。ところで青墳という字を読める人はいるでしょうか?「あおつか」と読みます。私自身も青墳先生にお会いして初めて知りました。全国でも極めて珍しい名前のようです。この苗字もさることながら、私にとっては「信之」という名前に惹かれました。私と同じです。「之を信じる」の信之という名前は決して珍しいわけではないと思いますが、今まで自分の身近に同じ名前の人はおりませんでした。そんな単純な理由で青墳先生には個人的に大変親近感を覚え、副院長時代から親しくさせていただいております。

話しは戻りますがその訪問した12月13日です。この日は朝から夕方まで雲一つない、完璧な晴天でした。青空の中にわずかに存在する雲にも趣はありますが、どこも見ても雲はありません。あれこそまさに、果てしなき広がる蒼穹といっていいでしょう。実に気持ちのいい日でした。おかげで車の運転での往復はずいぶん時間もかかりましたが、原町赤十字病院の看護部長と地域医療連携課長も一緒だったこともあり、道中とても楽しく過ごすことができました。

ところで成田まで遊びに行ったわけではありません。成田市の隣にある富里市より依頼を受け、アドバンス・ケア・プランニングに関する吾妻での活動の紹介と、カードを使ったゲームを行ってきました。私一人ではどうしようもなかったでしょうが、同行した二人が上手に仕切ってくれました。

成田赤十字病院内も医療社会事業課の関課長の案内で、十分見学させていただきました。成田赤十字病院は全国の赤十字病院の中でもトップクラスの病床数を持ちます。原町赤十字病院の3倍以上です。人口減少が著しい地方の中核病院が今後どうあるべきかというのは大変難しい問題ですが、都会にある(といっても失礼ですが大都会というわけではなさそうでしたが)大病院のあり方も、とても難しいことがよくわかりました。いずれにせよ私たちは、私たちに与えられている様々な力を結集して、地域住民のためによりよい病院になっていくことが最重要課題なのだ、ということを改めて強く実感した次第です

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