中学時代の記憶
記憶というものの正体がどういうものであるかよくわかりません が 、 私の場合 それは一つのスナップ写真のような映像として 、 心のどこかに納められているような気がしています。特に幼年時代から小学校、中学校時代については無数のスナップ写真が 私の心の中に あると感じています。しかしそれを上手に思い出すことはとても難しい。小林秀雄 が言うように、私たちは記憶するだけでは不十分で、それを時々思い出すことが、私たちをして人間たらしめる所以 である と言っても 言い過ぎで はないでしょう。 少年時代に焼き付いた映像 の多く は、何らかの心象と関りがあ ります 。美しい叙景として 記憶されているものはたくさんありますが、それらについてもその時の抒情的なものが伴っているようです。一方忘れてしまったものも多々あります。なぜ忘れてしまうの でしょう。 それを思い出そうとしないからなのでしょうか。 12月23日の土曜、中学校時代の 同級生計12名が集まり、尾島という小さな町で飲み会 が行われ ました 。 当時 私の母校であ る 尾島中学校は 、 尾島小学校から 同じメンバー140数名がそのまま中学に上がりましたので、 私たちは 9年間(保育園から数えると10年前後) ほぼ同じ 環境で年を積み上げてき たことになります 。卒業して45年以上の 歳月 が流れたわけですが、 私自身の根本は、この土地と同級生、 そして その当時の 様々な 経験や 心に残った 風景によって成り立っているのだと今さらながら実感します。年を重ね 多種多様な鎧を身に着けてしまいましたが、一皮むけば少年時代の小さな 恥ずべき悲しい人格が残るのみです。 当時の時代を同じ場所で過ごした 中学時代の同級生 だからこそ、彼ら彼女らとは 気楽に話ができるのかもしれません。そしてここでの会話 は 、忘れかけていたいくつもの記憶を思い出させてくれます。記憶はされてい た のです。それを自分の心 の中へ 導く道程に、いろいろな障害物が あっ ただけだったようです。これらをどかして道の掃除を してや ると、鮮やかに昔の記憶がよみがえって きます 。 楽しいことも悲しいこともです。 今回の会は4年ぶりでした。前回、還暦前に同級生全員による 大々的な 同窓会を 行おう という話 で盛り上がり ましたが...