赤城山の風景
私が生まれ育ったところは旧尾島町です。小学校も、中学校も尾島でした。完璧な平野で、町内の山といったら尾島公園の小さな山だけだったと思います。ですから海ほどでないにせよ、山も身近な存在ではありませんでした。
自宅は町の北側にありました。そのため自宅に帰る時は北に向かうことになります。その道中に、赤城山が真正面にとらえられ、実に雄大に大きく見えるところがありました。
雲一つない澄み切った青空の日、あるいは茜色に染まった夕暮れ時、手を伸ばせば届くのではないかと思われるくらい、赤城山が明瞭にすぐそばに見える時がありました。こういう時、自分は赤城山に見守られているような気分になったことを覚えています。今思うと赤城山はいつも同じ場所に存在していますので、自分のコンディションとその時の自然条件がうまく適合し、私をしてそのように感じせしめたのでしょう。
私たちは何か見たり聞いたりした場合、最も美しい姿、自分にとって都合のいい側面、あるいは最も不快に感じたところだけが記憶され、その実体や本質を見ていないことがしばしばあります。少年の頃に記憶した赤城山の風景は、赤城山の最も美しいものであり、広大無辺で、時に私の気持ちを奮い立たせるものでした。
赤城山の記憶は他にもいくつかあります。いずれ紹介します。
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