断食芸人
私の本棚にカフカの小説「変身」があります。高校時代に読んだものです。新潮文庫で値段は140円。大変薄く、ページ数はわずかに92です。しかし文字はとても小さく、行間も現在の文庫本に比べ明らかに狭くなっています。視力が悪くなるのは必然だったと言っても過言ではないでしょう。 カフカの「変身」は大変有名ですので、内容の説明の必要はないでしょう。若い男性がある朝目を覚めると、虫になっていたという話です。そして虫のまま、ひっそりと息を引き取ります。高校時代に読んだとき、当時の私が何を感じたのか今となってはよく覚えていないのですが、強い衝撃を受けたことは間違いありません。 村上春樹には「海辺のカフカ」という小説があります。15歳の田村カフカ少年にまつわる話です。カフカという名前が、この小説の印象をより強くしています。 数年前、「変身」を改めて読み直してみました。年を重ね、様々な経験を経てきたためでしょう。このあまりに不条理な話は、高校時代より自然に受け入れることができたような気がします。(先ほど高校時代にどう感じたかよく覚えていないと言っていますので、この表現は明らかにおかしいのですが)またその頃、カフカの短篇集も併せて読みました。話の展開、そしてカフカ独特の発想など、強い共感を覚えました。そしてかつての自分、つまり少年時代の自分は、カフカのような発想をしていた、考え方をしていた、それは間違いのない事実だ、という気分になりました。これも不思議です。 さて、今回のタイトルの「断食芸人」についてです。これはカフカの短編の一つです。ごく最近の朝の通勤途中、たまたま耳にしたラジオのある語学番組でこの短編を取り上げていました。以前読んだことがある作品です。当時、やはり奇妙な気分になったのを記憶しています。このラジオを聞いてまた読みたくなり、さっそく図書館で借りてきました。この作品は、タイトルからしてなんだ?と思われる方も多いでしょう。その通り、断食を芸として生きる人間の話です。この芸人も「変身」の主人公と同様、最後はひっそりと息を引き取ります。 世の中は、決して合理的な説明だけで解釈できるわけではありません。不合理なこと、不条理なことを私たちはしばしば経験します。理性だけを頼りに考えても、解決できないことはいくらでもあります。カフカは短編については比較的多いようですが、中長編については寡作...