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A Natural Woman

3月29日朝のランニング中、ラジオからキャロル・キングの「A Natural Woman」という曲が流れてきました。耳にしたことがあったのでしょう。そのタイトルとその曲の調べが私の中で一致していたわけではありませんが、とても懐かしい気持ちになりました。タイトルの意味は文字通り、「ありのままの自分」です。素顔のままの自分、素直な自分といってもいいでしょう。ある人がいると、自分は素直になれるということの喜びを歌にしたものです。きれいな曲です。 ところで、ありのままの自分を大切にする、自分らしく生きる、人と比べる必要なんてない、といった言葉を私たちはよく耳にし、口にもします。それは自分に対しては自身を見つめ直すことであり、他者に対しては思いやりから使用される場合が多いと思います。そして多くの場合良い意味で使われます。しかし自分を変えたい人もいます。今よりさらに飛躍したいと考える人もいます。その時それらの人には先ほどの言葉がどのように感じるでしょうか。もしかしたら不誠実と言えるのかもしれません。「自分らしく生きる」という言葉を耳当たりがよいのですが、時と場合によっては配慮が必要です。 この曲が流れた後、私が普段から親愛の情を抱いている女性キャスターが次のようなコメントをしていました。 いつ、どんな時も「ナチュラル・ウーマン」である必要はないと思う。「ありのままの自分」でいることよりも、「作った自分、作られた自分」でいることの方が安全で、快適な場合もあるから 「ありのままの自分」でいることは、実は大変勇気のいることです。時に自分の弱さをさらけ出すことでもあります。そもそも「ありのままの自分」とはいったん何なのでしょうか。考えれば考えるほど自分自身もわからなくなります。ありのままが良いと言って、そのあたりを裸で歩き回ることはできません。気が狂ったかと思われてしまいますよね。私たちは多かれ少なかれ、いつでも他者の目を気にします。化粧もします。良い服を着たいと思います。世間に無頓着のように見える人でも、最低限の節度を守っているものです。結局私たちは、「自分とは何か」という命題を時々思い出しながら、時に背伸びをし、時に一歩引きつつ、社会や他者と付き合って生きていくのが私たちの最も自然な姿でしょう。 人はいつか亡くなります。死んでいく日も帯を締めたいと思う三橋鷹女のように、この世の生を...

トランジスタラジオ

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私のような還暦前後の世代の人たちは、トランジスタラジオというとRCサクセッションの歌を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。忌野清志郎の奇抜なスタイルと歌い方はとてもインパクトがありましたね。一語一語をはっきりと歌うので歌詞も覚えやすく、またその内容も当時の若者(私たち世代)に強い印象を残しました。今でも時々ですが、RCサクセッションの曲を車の中で聞きます。 ところで私の小学校時代はテレビが最も大事なマスメディアでした。ラジオを熱心に聞いているという人もいたのでしょうが、その当時私と友人たちの間でラジオの話題が出ることはほとんどありませんでした。私がラジオに興味を持ち始めたのは小学校の高学年からです。プロ野球のテレビ放送(巨人の試合ということです)が21時に終わってしまうので、その後の展開がどうしても気になります。ラジオに頼るしかありません。その頃実家にあったラジオは真空管ラジオでした。しばらく使ってなかったためか、それとももともとの性能のためか雑音がそれなりに入ります。中学に入学後、私にとってはとても高価であったラジオカセット(俗にいうラジカセ)を親に買ってもらい、その後は習慣的にラジオをよく聞くようになりました。野球放送だけでなく、西洋音楽と言われるポップスやロックもラジオで知り、それらの音楽を流す番組も毎週欠かさず聞きました。中学時代はFMファンという雑誌も毎月購入し、これは聞き逃すことができないぞという番組をチェックし、カセットテープにずいぶん録音したものです。 さて今回のタイトルはトランジスタラジオです。私は早朝のランニングの時に必ずトランジスタラジオを持って走ります。たぶん20年近く続いている習慣です。時々道に落としたり(1回落としたくらいでそう簡単に壊れませんが)、またラジオそのものの寿命のため、年に2,3回新しいものに変わります。正確な数はわかりませんが、これまでに数十個購入したことになるでしょう。当初はちょっといいもの(値段が高いもの)を使ってみたこともあるのですが、だいたいそういうものの方が早く壊れるようです。ここ10年は1000円か1200円(同じものですが、購入する日や店によって若干値段が異なる)の最も安いラジオを購入し続けています。単4電池2個で約1か月から1か月半もちます。いい番組を聞いているときに電池が切れ(音がだんだん小さくなり、...

機械浴について

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病院や高齢者施設、介護施設などではたいがい機械浴槽というものがあります。体に不自由のある方が入浴をするための大きな浴槽で、仰臥位で入ることができです。先日ある施設に勤めている方から、機械浴の介助がとても大変でしかも長い時間がかかってしまうために、しなくてはならない他の仕事が十分できません、という話を伺いました。私の務める原町赤十字病院にも8階の療養病棟に機械浴をする場所があります。そこでエプロンをして機械浴の介助をしている職員に遭遇することは、今までもしばしばありました。しかし考えてみると、これまでに機械浴について真剣に考えることはほとんどありませんでした。一日に何人くらいの人が利用するのか、一人の入浴時間はどのくらいなのか、利用者はどのくらいの頻度で入浴するのか、介助に要する人は何人なのか、浴槽のお湯の交換はどうしているのか、浴槽の掃除は誰が行うのか、利用される方のベッド移動にはどのくらいの力が必要なのか、腰は悪くならないのか、石鹼やシャンプーなどはどうしているのか、などなど疑問は尽きません。同じ敷地内でずっと働いていたのに、自分は全くわかっていなかったと知り愕然としてしまいます。 私たちは普段様々なものを目にします。いつも見ていると、なんとなくわかっているような気分にもなってしまいます。しかし見たものを本当にしっかり理解しているのか、わかっているのか、と問われればそんなことはありません。見ようとすること、見るぞという積極的な気持ちがないと、それを本当に見たとは言えないでしょう。また見ようという行為をすると、自然にそれに関連する他のことも学習しようという気持ちになります。リンゴは赤いと言いますが、じっくりとリンゴを見続ければ、リンゴが赤いということが必ずしも正しいわけではないと気付きます。 心に余裕がない時に、ものを正しく見ることは難しい。正しく見るとは、もの自体を見る、見定めるという意味です。ひたすら見るために見ようと努めることです。単なる視力の問題に留まりません。ものだけでなくあらゆる感情も同じです。喜びや悲しみ、恐れや怒り、不安なども、私たちはそれらの感情に容易に溺れてしまいます。それは私たち人間のごく自然の姿なのかもしれません。しかし時にはじっくりものを見ること、そして自分の一瞬の感情に流されず、小さな心の動きを大切にし、それを見定める努力が必要な時があり...

春の雪

先週は原町赤十字病院のある吾妻の地でも、また私の自宅がある前橋でも久しぶりにまとまった雪が降りました。3月最初の土曜日曜がとても暖かかったですので、まさに寒の戻りです。春の雪と言っていいでしょう。それなりに積もったのですが、その翌日の陽気で雪は瞬く間にほとんどが消えてしまいました。春の雪は実に儚いものです。 ところで「春の雪」と言えば、私にはどうしても三島由紀夫の作品が心に浮かびます。三島の著作はあまりに膨大ですので、私が今までに読んだものはその一部に過ぎません。その中に「春の雪」というタイトルの本があります。これは「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」へと続く、「豊饒の海」全4巻の冒頭の小説です。 「春の雪」の内容や感想についてはここでは記しませんが、「豊饒の海」全4巻を書き上げた後に三島由紀夫は自決します。したがってこの小説は三島が私たちに残してくれた最後の言葉と言えますので、もし読むのであればそれなりの心の準備が必要です。私が初めて三島由紀夫を読んだのは10代でしたが、なかなか「豊饒の海」には至りませんでした。いよいよ読むぞ、と心に決めた時にまとめて4巻を購入し一気に読み通したのは今から約20年前、40歳代前半です。それなりに私には大きな影響を与えたことは間違いないのですが、未だに十分理解しているとはとても思えません。唯識についての自分の考えがもう少し深まれば改めて読み返そうと思っています。それは遠い将来ではないかもしれませんし、あるいは自分の寿命がそろそろ尽きようとする時なのかもしれません。 春は様々なものが変化します。そして様々なものが生まれます。春の雪が降るような冷たい日もありますが、まるで初夏のような陽気の日もあります。3月8日の朝は比較的寒かったのですが、利根川沿いを走っているときに2回ほど鶯の初音を耳にしました。9日の朝は8日よりも気温は高かったのでもっと多くの鳴き声を聞くことができると思っていましたが、同じコースを走ったにも関わらず全く耳にすることはありませんでした。春は気まぐれです。それが春の良さでもあるし、春の魅力なのかもしれませんね。

浮舟

昨年4月に始まったNHKラジオの「古典朗読」の源氏物語の番組は、いよいよ終盤となっています。前回と今回は「浮舟の巻」でした。浮舟は、源氏亡き後の物語である「宇治十帖」のヒロインです。薫と匂宮という二人の貴公子に愛され、翻弄します。 浮舟が匂宮と宇治川を小舟に乗って、宇治の小島で二日間過ごしたとされています。その時浮舟が読んだのが次の歌です。 橘の小島の色は変はらじを この浮舟ぞゆくへ知らへぬ 橘の小島の緑の色は変わらないけれど、水に漂う浮舟のような私はどこへ行ってしまうのでしょうか 周囲からは「どちらか一人を決めてください」と言われても、浮舟は選ぶことはできません。 「薫のかたのあはれを知れば、匂宮のあはれを知らぬ也、匂宮のあはれを知れば、薫のあはれを知らぬ也、 中略 是いづかたのもののあはれをも、すてぬといふ也、一身を失て、両方のもののあはれを全く知る也」本居宣長の文章です。これを受けて小林秀雄は、二人の男性に愛された浮舟は、二人のもののあはれを知るためには、死を選ぶか、あるいは発狂するしかなかったのだろうと言っています。浮舟は死を選びます。 鐘の音の 絶ゆる響きに音をそへて わが世尽きぬと君に伝へよ 後半の音(ね)は、自分が泣く時の音(声)という意味なのでしょう。 ところで人から愛されるということは良いことのように思えるし、人から愛された経験が少ないものにとってはうらやましいことですよね。しかし昔から、「愛されるより愛することの方が、はるかに意味がある」と、多くの偉人たちが言っています。愛される経験が多い人は、それが当然のようになってしまうと傲慢な性格に陥ってしまうかもしれませんが、愛する人たちは常に謙虚です。(もちろんすべてがそうだというわけではありませんが)トーマス・マンはトニオグレーテルという作品の中で、「幸福とは愛されることではない。愛されるとは嫌悪をまじえた虚栄心の満足にすぎぬ。幸福とは愛することであり、また時たま愛する対象へ少しばかりおぼつかなくとも近づいていく機会をとらえることである」と書いています。還暦を過ぎた私には、身に染みる言葉です。 人間同士の関係とは実に複雑ですよね。二人、三人でもこれだけ様々な問題が起こるのですから、十人、百人、もしくはそれ以上となれば、ますます複雑怪奇な状況になるのも致し方がないことなのでしょう。しかし組織としてはこれ...

優しさと音楽

優しさとは何か、という問いについて皆さんはどう思うでしょうか。優しさの教科書的な意味は誰でも知っていることです。しかしそれを言葉で説明しようとすると、どうも言葉足らずになってしまいませんか。優しさのように人間の感情と深く関わる言葉は、それを誰が発しようとその言葉の意味するところに大きな違いはないでしょう。しかし私たち各々の優しさに関わる経験によって、その言葉のイメージするところはずいぶん異なるものかもしれません。他人に優しく接することは大事なことです。特に医療に従事する者は、患者さんや弱い立場にいる人、あるいは災害などに被災された人たちに優しく接することは義務と言えます。一方優しい行為を積極的に行おう、というと、優しさという言葉の持つ意味がちょっと違ったものになってしまうと感じます。優しさとは常に自分が他人から受けた行為やしぐさです。つまり受動的なものであり、それを自分自身が自覚したときに初めて意味を持つのではないでしょうか。それは、他人から見れば非常にちっぽけなことが多いかもしれません。しかもそれを与えた本人が優しい行為をしたという自覚していないときの方が、それを受けた人はその優しさを感じるものなのかもしれません。 先週末、音楽の演奏を鑑賞する機会がありました。音楽は実に多くのことを私たちに語りかけてくれます。音楽は耳で聴くものだということは承知していますが、演奏会の場では間違いなく耳ではなく心で聴いています。音楽が私たちに様々な記憶を呼び起こします。人間の感情はすべて音楽に内包されているようです。自分自身がいかにとるに足らない人間であっても、そんなことは何の頓着もなく、音楽は私自身の心を揺さぶります。 ある曲を聴いていた時です。あまりの美しさに、音楽を聴きながら緊張してしまいました。言葉はいらない、まさしくその音楽は優しさそのものを表現していました。そしてそのままずっとその音楽の中に沈み込みたいという、実に変な気持ちになりました。 私は文学に愛着を持っていますので、言葉で表現される様々な書物をいつも携えています。文学によって、人間の悲しみや喜び、愚かさ、未来への希望などに触れることができます。見ぬ世の人を友とすることもできます。娯楽としてこれに勝るものはないと個人的には思います。 音楽は言葉を使って表現するものではありません。しかしある場面では、音楽は言葉で表現...

地域医療推進連携法人について

今月初め、地域医療連携推進法人に関する研修会が群馬県医師会と群馬県病院協会の共催により前橋市内で開催されました。この法人は2017年から存在するのですが、私がこの法人を知ったのは昨年5月です。全国で認定されているのは45法人ですが(令和6年10月時点)、群馬県では今のところ認定実績はありません。 私が原町赤十字病院で働き始めたのは平成11年(1999年)4月ですので、四半世紀以上勤務を続けていることになります。この間、吾妻の医療は大きく変わってきています。医科だけでなく歯科の領域でも新規の診療所ができることはほとんどなく、また既存の診療所はその継承が大変難しい問題となっています。医療だけではありません。子供の数は大きく減少し、多くの小中学校が統廃合されました。さらに伝統ある吾妻高校と中之条高校も統合されました。これらの現象は吾妻に限ったことではありません。他の多くの地域でも同様です。 世の中が大きく変化する中でも、私たちの使命、やるべきことは決して変わりません。それは患者さんだけでなく住民の方々のいのちと健康、生活、尊厳を守ることです。これは日赤の使命に通じるところでもあります。その変わらない使命を守るために、私たち医療や福祉に従事する者は、常に変化し、様々な状況に柔軟に対応していく必要があります。さらに10年先、20年先を見据えることも重要です。 吾妻には減ってきたとはいえ多くの医療機関、社会福祉法人が存在します。おそらくどの施設でも患者や利用者のため、そして何よりそこに働く従業員のために精いっぱい努力していることと思います。しかしそれらにも限界があります。その理由の一つは人手不足であり、もう一つは経営的問題です。個人の限界が医療や施設の限界にならないように、個々の医療機関や社会福祉法人の限界が地域医療の限界にならないような方策が、今こそ求められています。個々の施設だけで地域の医療を守ることはできません。それぞれが協力し合うこと、さらには、町村や県との連携をとりながらこの問題を共有することが極めて大切です。 地域医療連携推進法人は、地域における医療の機能分担や業務の連携を推進することが目的とされています。言い換えると「地域における良質かつ適正な医療を効率的に提供する体制を構築する」ということです。この法人を活用することで地域の医療の問題が直ちに解決されることはない...