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令和7年を振り返って

令和7年も残り10日を切りました。日々の生活に追われていると、今年いったいどんなことがあったのか忘れてしまいがちです。忘れてしまっても今日や明日の生活に影響はないし、おそらくいつもと同じような一日を過ごすことになるのでしょう。自分自身のことだけを考えて生活するのであればそれで全く問題はありません。しかし人は社会の中に生きています。様々な人間関係の中で生活しなくてはいけません。最低限のルールを守ることも必要ですし、自分のためだけでなく、人のため、そして社会にささやかでも貢献したいという気持ちはどんな人でも持っているのではないでしょうか。そんなことを考えると、自分自身や自分の周りに起こったことを振り返り、これからの自身の身の振り方に思いを巡らすこともたまには必要なことです。年末はまさにそういう時期なのだと思います。 令和7年、世界ではどんなことがあったでしょうか。新聞を眺めれば、紛争の記事が掲載されない日はありません。しかしミクロの世界を見ると、紛争が起こっている地域の中にも心温まるエピソードは多々あります。これらは見ようとしないと見えない、見えづらいものですが、できる限り自分の記憶にとどめたいと思いますし、またそういった報道が増えることを願います。 日本の中ではどんなことがあったでしょうか。一つ挙げろと言われれば、私は女性の内閣総理大臣が誕生したことを挙げたいと思います。高市早苗氏の政治信条はともかく、女性が日本の政治のトップになったということは日本の歴史の中でも画期的なことですし、今後様々な分野で女性がトップになるような社会になることを私は望んでいます。 医療界ではどうでしょう。医療の世界は社会の構造、人口動態、保険制度、介護との問題などと深く関与しており、単独で議論することは難しくなっています。その中で医師の偏在(地域の偏在に加え、診療科の偏在)、看護師の絶対数不足などの問題が顕在化した年と言えます。 原町赤十字病院にとって令和7年の最も重要な出来事は、10月に完全週休二日制になったことかと思います。患者サービスの点では決して良いこととは言えませんが、現在働いている職員の処遇改善、そして当院で今後働く未来の職員のことも配慮した上で決断したことです。完全週休二日制による住民や患者さん、そして職員への影響については、時期をみて検証しようと思っています。 最後に自分自身...

分久必合 合久必分

 分かれること久しければ必ず合し 合すること久しければ必ず分かる 三国志演義の冒頭の言葉です。意味は文字通りで、「分裂が長ければ必ず統一され、統一が長ければ必ず分裂するものである」。三国志は、後漢末の乱世の時代に多くの豪傑が天下統一の夢を見て魏・呉・蜀の三国分立の体制を確立したものの、結局その三国はすべて滅んでしまうという約100年間の歴史を現したものです。私は30歳代に陳舜臣の「秘本三国志」という本を読みました。その時どの人物に焦点を当てるかによって様々な書き方、読み方ができることを理解し、そして中国の歴史はまさに「分久必合 合久必分」だと実感したものです。陳舜臣と親交のあった司馬遼太郎の著作である「項羽と劉邦」や「韃靼疾風録」という本を読んだときも同じような感慨を抱きました。最近読んだ本の中に井波律子の中国文学逍遥というものがあります。先日また借りて再読しています。この中で三国志の「分久必合 合久必分」という言葉を紹介しています。この本は中国文学の面白さ、奥深さを私に優しく教えてくれる大切な本です。 ところで「分久必合 合久必分」という言葉です。三国志の中では国の成り立ちや滅亡に関する言葉として用いられていますが、これは人間個々の付き合いでも同じようなことが言えるのではないかと思います。長い間会っていない人たちとも何かの機会で再会することもあるし、またずっと会っている人ともいつかは別れなくてはいけない時もある、とも解釈できます。 12月13日の土曜、約1年ぶりに中学校時代の同窓11名の小さな集まりがありました。故郷を離れて暮らすようになってかなり長くなってしまった私からすると、この中学校時代の仲間との絆は相当細い糸ですが、それでも完全に切れているわけでもなく、たまに会っていろいろな話を聞くのは楽しいものです。しかし集まった友人の一人は、ごく最近母親を亡くしていました。そしてある友人は、稀な病気に罹患したため東京の病院に定期的に通院しているとのことでした。「来年の会には参加はできねえかもしれねな」と豪快に笑いながら話す姿は、昔の彼を知っているだけに何とも言えない複雑な心境です。 ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という言葉があります。もしものとき(最期のとき)のために、人生の最終段階における医療やケア、生活、さらに自分が大切にしていることについて、家...

100の診療所より1本の用水路

12月6日、亡くなって6年経過した中村哲先生を追悼する番組がNHKで放送されました。ご覧になった方もいることでしょう。亡くなる数か月前、私はある方より中村先生のことを伺う機会がありました。当時の私は、中村先生のことをほとんど知らないといっていいような状況でしたが、その方に影響されさっそく中村先生の著書をいくつか読みました。 中村哲先生は昭和21年、福岡県で生を受けています。九州大学医学部を卒業後、昭和59年にパキスタンに赴任、以来ハンセン病を中心とする医療活動に従事してきました。途中からアフガニスタンを活動拠点に移し、令和元年(2019年)12月4日、凶弾に倒れるまで、長きにわたりアフガニスタンの住民のために、まさに命を懸けて生き抜きました。 自分が生きる時代にこれほどすごい人がいるということを知り、ただただ感激しました。著書を読み始め、中村先生の話を直接うかがう機会があれば、いつでもどこにでも(と言っても日本国内という意味ですが)行こうと思った矢先の訃報でした。愕然としました。 中村先生が用水路を作ろうと思い、それを実行し、成し遂げたことは、人間の長い歴史の中で最も素晴らしい仕事の一つであると私は思います。人間の信念、誠意、そして他者との信頼関係こそが、最も偉大な仕事に向かわせたのでしょう。もちろん誰でもできることではありません。そしてもう一つ中村先生が私に教えてくれたことがあります。それは医療というのは人間が生きる上で大切なものですが、医療と同じように大切なものはいくらでもある、むしろ医療よりもずっと大事なものもいくらでもあるということを気付かせてくれました。それが100の診療所より1本の用水路です。 人の肉体の一生というものは実にはかないものです。しかしその精神は亡くなった後も残ります。その方を知る人が存在し続ければ、その人の魂も生き続けるものだと思います。その志を受け継ぐひとがたくさんいます。人間という生き物は本当に素晴らしいですね。

せかるべき方なきこと

11月30日の日曜の早朝、いつものようにポケットラジオを手にしてランニングをしました。日曜6時からNHKラジオ第2で「古典朗読」を放送しています。これを聴きながらランニングをすることが、かなり長く続く私の大事にしている習慣の一つです。今年は春から「源氏物語」が取り上げられています。走りながら聴いているわけですから熱心に聴いているとはとても言えないのですが、それでも時々集中しています。源氏物語は「古典朗読」の中で今までもたびたび取り上げられていますので、また源氏物語に関する本もいくつか読んでいますので、だいたいのあらすじは知っているつもりです。この日の内容は「若菜上」でした。 「若菜上」では、栄華の絶頂にいたった源氏に様々な暗雲立ち込めるところです。源氏の兄である朱雀院の願いにより、その娘である女三の宮を妻にすることになります。正妻である紫の上は動揺します。その時の紫の上の言葉が、以下の通りです。 「かく空より出で来にたるやうなることにて、逃れたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ。(中略)せかるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞こえじ。」 訳すと以下の通りです。 「このように空から降って来たようなことなので、ご辞退できなかったのだから、恨み言は申し上げまい。(中略)せき止めるすべもないものだから、自分の立場をわきまえずうち沈んでいる様子、世間の人に漏れ見せまい。」 「せかるべきかたなきこと」とは、避けようがない、仕方がない、個人の力ではどうしようもない、ということです。世の中にはいつの時代でも、もちろん現在でもあることです。 紫の上は女三の宮が源氏のもとに降嫁することが決まった時、心穏やかではなかったでしょうが、不満を口にすることなく、それを静かに受け入れたのでした。 「空より出で来にたるやうなること」は、年を重ねれば重ねるほど、それが当然のように起こりうることは誰でも経験することです。そしてそれを運命として受け入れざるを得ないことも多々あります。身近な人の死、自分自身の病気、予期しない怪我や事故、その他いくらでもあるでしょう。しかし受け入れることが到底できない「空より出で来にたるやうなること」もあります。これについては、自己の良心に従って行動するのみです。 たまたま借りてきたCDの解説の最後に、こんな言葉が掲載されていました。 そ...