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青葉若葉の日の光

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今は春です。しかしこの春というものは曲者ですね。雪が降るような肌寒い日もあれば、初夏を思わせる日差しが降り注ぐ日もあります。花が清らかに香り、月が朧にかすむ値千金の夜もあれば、春の嵐が吹きすさぶ時もあります。 朝日が東の空に昇る時間が日に日に早くなっています。薄暗い中を走り始めると、天気の良い日は時間とともに赤城山が朱色に変化していく姿を見ることができます。春はあけぼのを実感する時です。霞で山が朧げになることもありますが、それはそれで春らしい。夕暮れ時に空を眺める機会は多くはないのですが、だからこそ日が沈まんとする夕暮れを目にすると、いくつかの歌や詩を想起させます。それらの詩や歌が、その美しさをより際立たせます。現実の美は、私たちの五感とは別に観念の美に支えられているのかもしれません。そして観念の美を作るものが現実の美なのでしょう。 最近は天気の良い日が続いています。ある休日の朝、すでに太陽が十分に東の空に昇っていた時に赤城山を真正面に望むことができました。遠くにあるはずなのですが、まるですぐ目の前にあるように、もちろんそれが錯覚であることは百も承知なのですが、まさに青葉若葉が目の中に飛び込んできました。私が携帯しているトランジスタラジオからはビージーズの「若葉の頃」が流れてきました。偶然なのでしょうが、私のその時の気持ちをラジオはわかっていたようです。初夏です。いろいろなものが生まれ、成長し、鮮やかに変化を遂げる季節です。 ほととぎす鳴くや五月のあやめ草 あやめも知らぬ恋もするかな 詠み人知らず 古今和歌集 恋歌一 冒頭歌です。恋歌の巻に入っていますが、夏の冒頭歌といってもいい歌です。 今は素晴らしい季節です。それはずっと以前からそうだったでしょうし、これからもそうなのでしょう。一日一日を大事にしたいと思います。

オークワテラス

オークワテラスをご存じでしょうか。私は今年になって初めてこの名前を知りました。令和6年3月に閉校となった吾妻郡長野原町の応桑小学校の跡地に建設された、新しい医療施設です。長野原町の萩原町長、長野原診療所医師の金子先生をはじめ、多くの人たちの思いが結集して完成されたものです。令和7年4月20日、オープニングセレモニーが開催されました。私も参加してきました。 セレモニーの冒頭、上州応桑関所太鼓が披露されました。一糸乱れぬ太鼓の響きは、オークワテラスのオープニングにふさわしいものでした。太鼓を叩いていた皆さんは、さぞかし練習をしたことと思います。セレモニーの最後は「KITADAN」という子供たちチームのダンスでした。こちらも指導者がしっかりしているのでしょう。見事なパフォーマンスでした。 ところでこのセレモニーに参加し、改めて地域医療の在り方を考え直すことになりました。地域中核病院の院長という立場からすれば、あらゆる疾患に対応できる総合病院であることが理想です。それが地域住民の安心、安全に大きく関与することも理解しています。一方吾妻郡だけでなく、日本の地域社会に存在する多くの小学校や中学校、高校では、統合や廃校が進んでいるのが現実です。医療についても、今後同じようなことが日本中で起こるかもしれません。大きく変化する地域の人口動態やニーズを把握し、私たち医療に従事するものは、常に変化を続ける必要があります。 ところで教育(公立な学校)も医療(公立や公的な病院)も、目的は営利でないことは同じです。しかし病院が学校と大きく異なるのは、経営が安定しなければ存続が困難になることです。住民の希望を最大限考慮しつつ、安心安全な医療の提供、職員の待遇改善、さらに職員を維持確保した上で、しっかりした経営基盤を構築することが求められます。これは大変難しいことです。原町赤十字病院も然りです。そして現在の日本の大半の病院も、非常に厳しい状況にあると言って過言ではありません。 オークワテラスは地域医療を考える上で一つのヒントを与えてくれます。施設内には調剤薬局だけでなくコンビニも併設されました。この責任者はフロンティア薬局原町店で薬局長をしていた八木さんです。診療所の2階には子供たちが遊べるプレイルームがあり、しかも庭は大変広く(もともと学校の校庭だったので当たり前ですが)、今後間違いなく地域コミ...

歎異抄

司馬遼太郎はもともと宗教担当の新聞記者をしていたこともあり、彼の作品には仏教に関することがしばしば取り上げられています。一時期司馬作品にはまりほとんどの本を読み散らかしたおかげで、仏教について何の知識のなかった私でも自然にその世界の奥深さを感じるようになりました。その中でも「空海の風景」は特に印象に残っています。その本を読んだ後に東寺の講堂の立体曼荼羅を拝観した時、とても感激しただけでなく、空海の思想の一端を触れたような気分になったことを覚えています。気のせいだったのかもしれませんが。そして、今でこそ誰でも読むことができる歎異抄は、長い間一部の人たちだけが触れることができただけで、世間に周知されることがなかったという事実を知ったのも、司馬作品からでした。 さて、今回のタイトルの歎異抄についてです。親鸞の悪人正機説を言葉として初めて知ったのは高校時代の倫理の授業でしょうか。言葉としては覚えても、その不思議な言葉の意味するところは全く理解できませんでしたし、そもそも十代の若者がわかるといった思想ではないでしょう。その後もずっとわからなかったし、だいたいその言葉に対して深く考えることもありませんでした。図書館に定期的に通うようになると、そこには歎異抄に関する本が数多くあります。単なる解説本だけでなく、私の歎異抄、といったようなタイトルの本もたくさんあります。購入してまで読みたいとは思いませんでしたが、借りて眺めるくらいならいいだろうと思い、極たまに借りていました。もちろんいつもしっかり読んだわけではありません。それでもそんな様子で10年くらいが経過しているうちに、歎異抄が不思議な魅力をもって私にも近づいてきていました。そして多くの人が、私の歎異抄、といった内容の本を書いているのも納得するようになっていました。難しい話はともかく、誰もが自身の弱さや醜さを自覚している、自覚しようと思ったわけでなく自然に自覚してしまった、そして自覚することがこの世で生きる上で大変意味がある、などということを、おぼろげながら感じるようになっていました。 最近も歎異抄に関する本を久しぶりに借り、読んでみました。三十代、四十代では全く知る由もなかった歎異抄の世界は、五十代、六十代と年を重ねるにつれ徐々に納得するようになってきたと自覚しています。今後その感覚はますます強くなっていくかもしれません。それ...

断食芸人

私の本棚にカフカの小説「変身」があります。高校時代に読んだものです。新潮文庫で値段は140円。大変薄く、ページ数はわずかに92です。しかし文字はとても小さく、行間も現在の文庫本に比べ明らかに狭くなっています。視力が悪くなるのは必然だったと言っても過言ではないでしょう。 カフカの「変身」は大変有名ですので、内容の説明の必要はないでしょう。若い男性がある朝目を覚めると、虫になっていたという話です。そして虫のまま、ひっそりと息を引き取ります。高校時代に読んだとき、当時の私が何を感じたのか今となってはよく覚えていないのですが、強い衝撃を受けたことは間違いありません。 村上春樹には「海辺のカフカ」という小説があります。15歳の田村カフカ少年にまつわる話です。カフカという名前が、この小説の印象をより強くしています。 数年前、「変身」を改めて読み直してみました。年を重ね、様々な経験を経てきたためでしょう。このあまりに不条理な話は、高校時代より自然に受け入れることができたような気がします。(先ほど高校時代にどう感じたかよく覚えていないと言っていますので、この表現は明らかにおかしいのですが)またその頃、カフカの短篇集も併せて読みました。話の展開、そしてカフカ独特の発想など、強い共感を覚えました。そしてかつての自分、つまり少年時代の自分は、カフカのような発想をしていた、考え方をしていた、それは間違いのない事実だ、という気分になりました。これも不思議です。 さて、今回のタイトルの「断食芸人」についてです。これはカフカの短編の一つです。ごく最近の朝の通勤途中、たまたま耳にしたラジオのある語学番組でこの短編を取り上げていました。以前読んだことがある作品です。当時、やはり奇妙な気分になったのを記憶しています。このラジオを聞いてまた読みたくなり、さっそく図書館で借りてきました。この作品は、タイトルからしてなんだ?と思われる方も多いでしょう。その通り、断食を芸として生きる人間の話です。この芸人も「変身」の主人公と同様、最後はひっそりと息を引き取ります。 世の中は、決して合理的な説明だけで解釈できるわけではありません。不合理なこと、不条理なことを私たちはしばしば経験します。理性だけを頼りに考えても、解決できないことはいくらでもあります。カフカは短編については比較的多いようですが、中長編については寡作...