車のタイヤ交換から考えること
新潟での大学生時代、冬になると自分でタイヤ交換をしていました。昭和の時代ですので、スタッドレスタイヤではなくスパイクタイヤというものです。私が学生時代に乗っていた車はトヨタのコルサでした。今はもうありません。スパイクタイヤの値段は車のランクによって異なるものですが、コルサ対応のタイヤはかなり安価だったと思います。冬は車の中にいつもタイヤを詰め込んでいました。年末にはスパイクタイヤの必要のない実家の太田に帰ってきましたから、かなりの回数のタイヤ交換をしたことになります。当時、関越高速道路は開通していませんでしたので三国トンネルを走りました。三国トンネルの新潟側の苗場では、スキー客を避けながらタイヤ交換をしました。群馬側はカーブの多い三国峠ですから、完全に降りきったどこかのドライブイン(今ではもう死語でしょうか)やちょっとした空き地でタイヤ交換をしました。当然のことながらタイヤ交換がとても上手になり短時間で素早くできましたし、それが新潟で車を運転するものの当然の勤めと思っていました。 しかしながら群馬で仕事をするようになってからは、自分でタイヤ交換をすることは全くありません。できる自信もありません。これは良くないことだと思いながらも専門家にお任せしています。自分でできることは何でも自分でしたいと思いますが、タイヤ交換は自分でできることではなくなってしまいました。12月22日の午後、タイヤ交換をしました。もちろんプロにお任せです。それにしてもタイヤの構造もずいぶん変わりましたね。いったいどうなっているのでしょう。しかもとても重い。見た目は変わりなくとも、タイヤは様々な点で進化を遂げているのでしょう。 自分の知らないところで多くのものがいつの間にか変わってきています。その変化に気が付かない場合も多いのでしょうが、ひとたびそれを知るところになるとびっくりしてしまいます。便利になったということなのでしょう。感激することもあれば、ちょっと寂しく思うこともあります。 ところで進歩とはどういうことなのでしょう。個人として自分自身を向上進歩させようと努力することは大事なことだと思います。しかし集団としての進歩は人間の生活に有益な部分は多々あるでしょう。でも果たしてそれだけなのでしょうか。