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煙りくらべ(けぶりくらべ)

11月24日の早朝、ランニングをしながらいつものようにNHKの古典講読を聞いていました。今年度の古典講読は「名場面でつづる源氏物語」です。4週にわたって「若菜の巻」が続き、今回はいよいよ「柏木の巻」でした。 柏木は頭中将(内大臣)の長男という貴公子ですが、源氏の正妻である女三宮と密通してしまいます。そしてそれが源氏に知れるところとなります。女三宮は長男を出産しますが、その後出家します。女三宮の出家を知った柏木は絶望し、そのまま早逝してしまいました。その柏木と女三宮が交わした歌が煙(けぶり)くらべです。 今はとて 燃えむけぶりもむすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ (柏木) 立ちそひて消えやしなまし 憂きことを思ひみだるる けぶりくらべに(女三宮) 行くへなき空のけぶりとなりぬとも 思ふあたりを立ちは離れじ(柏木) 自分の死後も女三宮への思ひ(火)の煙は消えずに残るだろう あなたの火葬の煙に立ちそって空に消えてしまいたい 嘆かわしいわが思ひ(火)の煙とあなたの煙とどちらが激しいか 自分はその煙くらべにけっして後れを取るものではない 行方も知らない空の煙になったとしても、私の魂はあなたの周りを離れないでしょう といった意味なのでしょう。(秋山虔著 源氏物語の論 を参照) 数年前、NHKの古典講読では「更級日記」を取り上げていました。主人公の女性である菅原孝標女が上総から京への旅の途中、清見が関(静岡県清水市の清見寺)という地で、富士の煙と海の波しぶきを見て、「けぶり合ふ」という表現をしています。菅原孝標女は源氏物語を繰り返し読んだことが知られていますので、この「けぶり合ふ」は、柏木と女三宮の「煙(けぶり)くらべ」を意識したものだろうと、その番組では解説していました。その「煙(けぶり)くらべ」という言葉がその時の私の心に深く刻み込まれることとなり、今回紹介した三つの歌を知った次第です。そして今回の「柏木の巻」の放送を楽しみにしていました。 それにしても「源氏物語」は恐るべき物語です。私は残念ながら原文で読む力はありませんし、「源氏物語」について知ったかぶりをするつもりもありません。しかしいくつかの訳や解説本、与謝野晶子の「源氏物語礼讃」などは、本質に触れることは難しいのでしょうが、自分なりのレベルでの理解の助けにはなります。そしてもう一つ大事なことは、自分自身が「源氏物...

日赤本社での研修会

11月11日から12日、全国の日赤支部職員を対象とした地域包括ケアに関する研修会が日赤本社で開催されました。この研修会に原町赤十字病院の活動を紹介する機会をいただき、医療社会事業課の湯浅課長、地域医療連携課の金子課長とともに行ってきました。紹介した内容は、以前この「院長室便り」で述べたことのある「NPO法人あがつま医療アカデミー(通称AMA)」の最も大切なテーマ、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)に関する活動です。 ACPとは、もしものとき(最期のとき)のために、人生の最終段階における医療・ケア、生活、さらに自らが大切にしていることについて考え、家族らの信頼できる人や、医療・ケアチームなどと繰り返し話し合い、自らの想いを共有する取り組みのことです。人生会議と呼ばれています。私たちがなぜこの活動を行うことになったか、そして今までの活動内容について、ごく簡単に紹介しましょう。 この活動のきっかけとなったのは、2009年秋に開催された「在宅胃ろうを支援する人たちのための講習会」です。この講習会の目的は、胃ろうの良い管理、正しい管理を共有し学ぶことでした。とても良い講習会だったということを、今でもその講習会の光景とともに記憶しています。そして胃ろうを真正面から考えることで、胃ろうの本質的な問題は別のところにあるということを実感したことも覚えています。AMA設立後の最初の助成事業は「群馬県吾妻地区での在宅胃ろう患者の実態調査と胃ろう患者すべてを支えるネットワークの構築(公益財団法人勇美記念財団 2013年前期在宅医療助成)」でした。この事業を実施することで、リビング・ウィルの重要性をより強く認識しました。なおこれらの事業には原町赤十字病院以外の多くの人たちに協力していただいたのですが、その中でも深く関わってくれたのが剣持前看護部長と現在群馬NST研究会事務局を担当している外来看護師の山崎さんです。二人は原町赤十字病院で最初にNST専門療法士を取得しています。 その後、リビング・ウィルやACPに関する研修会を100回以上開催、住民を対象としたフォーラムを5回開催、「私の意思表示帳」という冊子を作製(現在までに4回改訂、現在第6版作成中)、ACPに関するカードゲームの作成(現在2回目の改訂作業中)などを行いました。この事業が10年以上継続できているのは、これが医療の根源に関...
遥かなる山の呼び声    大学生時代、帰省した時に実家でこの映画をテレビで見ることがありました。たまたまテレビのスイッチを入れたらこの映画が放映されていたのでした。偶然目に入ったというわけです。しかし私の心はたちまちこの映画に引き込まれ、時が経つのを忘れるほどに没入していました。40年くらい前の話です。その後この映画はたびたびテレビで放映されています。必ずというわけではありませんが、時間があれば途中からでも見るようにしています。先月この映画がテレビで放映されることを知りました。今回は録画をすることとし、先週末ようやく鑑賞することができました。 「遥かなる山の呼び声」について簡単に説明しましょう。1980年3月に公開された、山田洋次監督の作品です。舞台は北海道の酪農地帯。嵐の夜、ある男が酪農を営む家に突然訪れ、雨風をしのぐためにどこでもいいから泊めてほしいと懇願するところからこの映画は始まります。その酪農を営む家には、夫を亡くした女性と一人息子が住んでいます。その後その男は、その家で酪農の仕事を手伝うようになります。最初こそぎくしゃくしていた3人の関係ですが、徐々に変化し、ある時期からは静かな幸福といっていい時間が訪れました。そしてその女性はその男にいつしか心を寄せるようになっていきました。しかしその男には隠していた暗い過去がありました。その過去と現在のささやかな幸福には相容れないものがあり、その男は自分の過去を女性に打ち明け、その家を去る決意をします。その晩は最初の出会いの日と同様の嵐でした。しかも牛が急病となり二人は獣医とともに牛の看病をします。この嵐の中の二人の姿は圧巻です。そして最後のシーンは網走刑務所に向かう列車内です。この場面は実にいい。この映画の中で重要な役を演じるある男が、「よかった、本当によかった」と涙を流しながら訴えます。結末はわかっているのですが、この最後のシーンを見たいがために、私はこの映画を繰り返し鑑賞していると言っていいでしょう。 ちなみに男役は高倉健、女性は倍賞千恵子、息子は吉岡秀隆、最後の重要な役を演じた役者はハナ肇です。みな名優です。 私は映画を見るのは決して嫌いではないのですが(むしろ好きと言っていいと思いますが)、実際に見た映画は本当に限られています。ですから映画について、どうのこうのと言える見識はありません。し...

チェロの響き

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チェロの音色を直接聴いたことは決して多いわけではありません。しかし年を重ねるに従い、チェロという楽器が少しずつ胸にしみるようになりました。少年時代、一度だけチェロの独奏を聴いたことがあります。それがずっと私の心の片隅に残っていたのかもしれません。チェロには決して派手さはありませんが(あくまでも私の私見です)、その深い音色で人の憂い、優しさ、悲しさ、そして愛情を、言葉以上に表現しうる楽器だと感じるようになりました。「年をとるということは、いろんなものを失っていく過程ととらえるか、いろんなものを積み重ねていく過程ととらえるかで、人生のクオリティはずいぶん違ってくるのじゃないか」と、村上春樹はあるエッセイで述べています。私がチェロへの想いや憧れも、同じことのように思えます。 11月4日の午後、私の友人が所属している足利交響楽団の演奏会があったため、足利に行ってきました。友人はチェロが担当です。 二つの曲が演奏されました。一つはカリンニコフの交響曲第1番です。この作曲家について私は全く知識がなかったので、この一か月間にこの曲を何度となく聞きました。第1楽章は少年期のやるせない、そして切ない気持ちが、これでもかというくらいに溢れるように流れてきます。第2楽章は、人の優しい気持ちにイデアの世界があるとすれば、きっとこのような音楽が流れているのだろう、という可憐な調べです。もう一つの曲はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」でした。実家にレコードがあったため繰り返し何度も聞いた覚えがありますが、生の演奏を聴いたのは初めてでした。音楽は音楽として聴くべきなのでしょうが、それを演奏するメンバーの中に一人とはいえ知り合いがいると、その音楽は一層しみじみと感じられます。涙が出そうになるくらい感激しました。 足利からの帰り、ちょうど夕暮れ時でした。秋の夕暮れです。いくつかの名歌が私の心に浮かびます。「げに恋こそ音楽であり、寂しい夕暮の空の向こうでいつも郷愁のメロディーを奏でて居る。恋する者は哲学者で、時間と空間の無限の涯に、魂の求める実在のイデアを呼びかけている。恋のみがただ抒情詩の真(まこと)であり、形而上学の心臓であり、詩歌の生きて呼びかける韻律であるだろう」萩原朔太郎が古今和歌集のある歌を評したものです。この日の夕暮れの風景は、この日の演奏とともに私の心の中にある一隅を照らし続けること...