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共生という言葉

朝日新聞の関心は、生産力とサービスが縮小して服装や嗜好品の選択肢が減ってしまう未来を受け入れて楽しめるかどうか、ということにあるらしい。朝日新聞にとって、知識人を集めて語り合うべき不安とは、嗜好品の選択肢の多いか少ないか、そしてそれを楽しめるか楽しめないかくらいのものなのですか。在宅の寝たきりの人がもう十年以上も前から、訪問入浴のスタッフが集まらず今週はお風呂に入れるかどうか分からない、という綱渡りの生活をしているのに? この文章は今年の9月4日に朝日新聞に掲載された、芥川賞作家の市川沙央さんの文章です。誰ひとり取り残さず、すべての人が暮らしやすい持続可能な地球と社会について考えることをうたった「朝日地球会議2024」に対する寄稿文の一部です。私自身も恥ずかしながら知らなかったことですが、日本では人口の約3.5%の方に、身体に障がいがあります。その時の会議には登壇者は76名いたそうですが、障がい当事者や家族、あるいは支援者は一人もいませんでした。朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりだったのだろう、と市川さんは述べています。 先日朝日新聞の書評に市川沙央さんの作品が紹介されていたこともあり、またとても印象に残った文章でしたので、改めて9月4日に掲載された寄稿を読んでみました。 「持続可能な地域と社会」というスローガンのもとに、私たちの周りには様々なイベントや事業が行われます。地球規模や国レベルで叫ばれる壮大なものから、一部の組織、あるいは個人レベルまでその内容は様々です。この結果起こりうる情勢の変化によって、恩恵を受ける方も多数いるでしょうが、少なからずネガティブな影響を受ける人もいます。真っ先に影響を受けるのは弱者、特に身体的弱者です。 この影響は、コロナ禍において顕著になりました。医療の受けづらさ、面会制限、世間の無関心。そして正常化する社会からは置き去りにされ、切り捨てられる。コロナ禍という非常時の経験で、正常という名の下での世の中で、弱者はますます生きづらくなった、と彼女は述べています。 市川さんはさらに言います。私は障がい者への配慮の不足を批判しているのではない。「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。 私たちは「共生」という言葉を、多くの場合良い意味で、そして未来の理想的な世界の象徴という意味で、満足感をもって使用することが多いと思...